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前田夕暮のこと

 K・Aさん、こんにちは。
 K・Aさんのコメントへのレスになるかどうか分からないので、自己レス風に書きます。

 昭和26年の今月の二十日に亡くなった歌人がいる。それは前田夕暮である。
 小生が歌人・前田夕暮(まえだゆうぐれ)のことを知ってから未だ十年にもならない。
 それは小生が会社をリストラされ、失業保険で食いつないでいた94年のことだった。本を買える筈もなく、図書館通いをしていた。時間と本は無尽蔵にあるので(ちと、大袈裟な表現かな)、カネを出してまでは手を出さない筈の本をもタップリと読むことが出来た。
 その94年から翌年の夏までの失業時代に発見した作家や思想家は少なからずいる。
 マルシア・ガルケスもそうだし、前からそれなりに好きだったミラン・クンデラを読み込んだのもその頃だった。万葉集や古事記を読めたし、十返舎一九の『東海道中膝栗毛』や井原西鶴の諸著にも接することが出来た。ヴィトゲンシュタイン関連の文献を漁れたし、ジェームズ・ジョイスの「フィネガンズ・ウエイク」(柳瀬尚紀訳、河出書房新社刊)も読了できた。
 そうして発見した歌人に前田夕暮(1883-1951)がいるのである。確か中央公論社刊の『日本の詩歌 07』(伊藤信吉/編)の中で扱われていた歌人の一人に前田夕暮がいたのである。
 その本では、太田水穂・前田夕暮・川田順・木下利玄・尾山篤らが扱われていた。
 実は小生は高校時代以来、木下利玄のファンなのである。その時も、お目当ては木下利玄に他ならなかった。「曼珠沙華一むら燃えて秋陽つよしそこすぎてゐるしづかなる徑」の木下利玄とは、小生は現代国語の教科書の中で出会っていたのだ。
 けれど、元々粗野な小生のこと、長いサラリーマン生活ですっかり心が渇いてしまった。思い出したように日記に創作めいたモノを書くだけで、文筆からも遠ざかっていた。
 それが、リストラにより時間がタップリと恵まれ、一年余りの間に三百冊ほどの本を渉猟する中で、ふと、詩や歌の類いにも触れたいと思ったのだ。そうだ、久しぶりに木下利玄の世界に浸ろうとある日思いついたのである。
 早速、『日本の詩歌 07』を借り出して、自宅で捲ってみた。すると、木下利玄もいいけれど、小生には全くの未知の人である前田夕暮の歌が小生にはとても馴染みやすく感じられたのだ。
 別に小生などに彼の歌が理解できるとか、まして評釈などできるものではないが、しかし、彼の歌の世界に素直に浸れる。

 ところで、ゴッホやムンクが話題に上っていた。そう、小生はそういえば前田夕暮にも彼らに触れた歌があったはずと思い出したのだ。
 探すと、あるある。

 ムンヒの「臨終の部屋」をおもひいでいねなむとして夜の風をきく
 
 向日葵は金の油を身にあびてゆらりと高し日のちいささよ

 まあ、後者は別にゴッホに関係があるとは言い難い。向日葵ということで連想しただけなのかもしれない。
 前田夕暮というと、「魂(たましひ)よいづくへ行くや見のこししうら若き日の夢に別れて」という歌で始まる『収穫』が有名だ。
 前田夕暮が好きだといいながら、今回、ネットで『収穫』を検索してみて初めて、彼が小生の敬愛する島崎藤村ともなかなか関わりが深いことを知った。そもそもこの『収穫』というタイトルそのものに絡むエピソードが島崎藤村との間にあるのだ。
 『収穫』の「自序」を読んで欲しい。
 尚、この『収穫』は、作家・秦 恒平氏のサイトで見つけたものである。

 前田夕暮については他にもいろいろと興味深いサイトがある:
 「前田夕暮研究室
 前田夕暮の郷土である秦野市の図書館には夕暮関連の叢書が販売されている。
 
 1年8か月の疎開生活を過ごした秩父の「入川谷山荘」の写真が見れる。

 下記のサイトによると、ゴッホからの影響があったという。「ゴーギャン・ゴッホなど印象派からの強烈な刺激をうけ、外光や色彩に多くの影響がみうけられる彼の歌は、数回に及ぶ作風転換にもかかわらず一貫してみずみずしく清新なものであった」…。
 なるほど、そうだったのか。印象派的な色彩鮮やかなタッチが彼の持ち味だったのだね。
 ちなみに、上記のサイトは、「文学者掃苔録」というサイトの中のもの。



                      (03/04/06)
by at923ky | 2004-12-15 22:29 | 人物紹介


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