人気ブログランキング | 話題のタグを見る

統合失調症だって

 恥ずかしながら小生は知らなかったのだが、全国精神障害者家族会連合会(全家連)が先月、新聞広告などを通じて「『精神分裂病』に代わる名称を、一緒に考えてください」と呼びかけていたそうである(10月25日に締め切られている)。
 小生は昨日のラジオで聞いて初めて知った次第である。
 約2,500通の反響があったとか。
 この集計結果は、11月11日に日本精神神経学会が東京都内で開く「『精神分裂病』の呼称を考える公聴会」で報告されるとのことだ(9日付け朝日新聞朝刊より)。
 詳しくは以下のサイトを見て欲しいが、今のところ、有望な案は「統合失調症」らしく、約4割の支持を受けているらしい。
 朝日新聞にもあったが、「この病名でも個人を否定している感じがする」という意見も多かったという。
 確かにそうだ。精神の統合が失調しているわけだから、今の状態にある、というわけだし。
 が、思うに、やはり精神の病そのものへの偏見の強さが背景にあると思うべきなのかもしれない。何か、心の病に罹っている人が犯罪を起こすと、すぐ、対策を、拘禁を、と短絡的に考えてしまう風土が、残念ながら日本には厳然としてあると言わざるを得ない。
 かの小学校での多数の児童が殺傷された事件でも、首相は決然たる表情で、断固たる方策を立てると述べていたっけ。
 自律神経失調症なんて言葉もある。この病(?)に罹っている人は、少なからずいるだろう。
 まあ、一般論として人前で自分の病気がどうだと述べ立てる人はいないだろう。しかし、万が一、自分のかかっている病気が自律神経失調症だと世間に知れたとしても、非常なる哀れみや偏見の目を意識することは、少ないだろう。
 ああ、私もそうなの、なんて、持病の談義に花が咲くことだってあるかもしれない。
 が、精神分裂病に代わる統合失調症に自分が罹患していることが世間に知れたら。名前が変わっても、要するに精神の病に罹っている、不気味な人として、遠巻きにされるのがオチである。
 つまりは、土壌として、精神の病に関する世間の理解が進まなければ、事態は一向に改善されないのである。
 従来、何か精神病というと、精神そのものが病に罹っているかのイメージを抱かれがちだったのである。そうではなく、上記したサイトにも示したように、あくまでとてつもなく奥行きの深い心の世界の何処かに変調が来たしているわけであって、その人の心の世界の大部分は健全である場合が多いのだ。
 余談になるが、若い頃というのは、多感な時代でもある。まして今は世相も経済の面ばかりではなく厳しい。なんといっても「自己責任」という怪しい言葉が一人歩きしている。何か問題があっても、一人で背負うべきだと大っぴらに勧奨されている。
 成功は過分の報酬をその人に、失敗は、だから失敗した当人がしっかり背負えよ、というわけだ。
 が、成功する人は常に一人だ。大多数は、悲しいながら負け組みに追いやられていく。最終的に成功者として勝ちぬけられる人は、原理的に世界でたった一人のはずである。もし、二人いたら、その二人の間で熾烈な戦いが繰り広げられるに違いないから。
 つまりは、ただ一人の人を除いて、世界のすべての人は敗者を運命付けられているのである。
 そんな中、若い多感なる人々だけではなく、常にリストラの脅威、社会の片隅、あるいは会社の片隅に追いやられる恐れというプレッシャーを覚える人は、絶えざる精神の変調の可能性を背負っているわけである。しかも、一人で背負うしかないという日本的な精神病への偏見という土壌が、更にその人を厳しい状況へ追いやっていく。
 どうしたら、もっとゆとりをもって心の病を互いに語り合えるのだろうか。



                                          (01/11/09)
by at923ky | 2005-01-04 23:50 | コラムエッセイ


<< 原爆とアメリカと日本と 教師という因果な職業…ソープ事... >>