[ 小林忠著『江戸の画家たち』(ぺりかん社刊、〔新装新版〕)を読んでいたら、「蟻通明神と恋する乙女」という章にて、以下の文章に出会った(『江戸の画家たち』についての感想などは、季語随筆「春の灸…青い鳥」の項を参照のこと):
年齢を満で数えるようになってからとくに、正月の格別の重みがうすれてきたのではないだろうか。かつては、日本国中の老若男女が同時にひとしく年を加えて、そのめでたさをともにことほいだものである。 元旦は早朝に起きて初日を拝み、その年の年男が井戸から若水を汲む。そして、今年一年の福徳をつかさどる歳徳神(としとくじん)に礼拝するため、供物をそなえた歳徳棚(恵方棚)に威儀を正して燈明をあげる。そののちに、床の間を背にした裃姿の父親を筆頭に、家内中が屠蘇酒を飲み、延年長寿と無事繁栄を祝い願う。 (転記終わり) このあとも、滋味深い文章が続くので、ずっと転記したいのだが、そうもいかない。 季語随筆でも紹介したことがあるが、HPに「早生まれの意味、生きることのなつかしさ」と題した随筆、とはいっても、幾分、コラムの気味も加味されている随想文が載っている。 4月25日朝のまだ通勤時間帯の終わりきらない頃に発生した尼崎脱線事故(事件)は、今もホットな話題である。近くに同志社大学があったり、通勤・通学などに使っていた方もいて、亡くなられた方には若い人が多数、含まれていた。 老若男女を問わず、理不尽な形で生を断ち切られたことは、慙愧に耐えない。 生きていたら、将来が明るいとは限らないとしても、それぞれの人生が開けていたことは確かなのだ。 生きていること、ただそれだけで、実は在り難き事なのだということを改めて思ったりもする。 直接に関係する訳ではないが、たとえば年の数え方という一見すると些細な事柄にも、含意するところは実に深い。 書いてから既に三年を経ているが、基本的に原文のまま、ここに表題の拙稿の全文を掲載しておく。 改めて、満年齢の意味、年齢を昔は数え年で数えていたことの意味を再考し、ひろくは生きることの意味を感じてみたいのである。 「早生まれの意味、生きることのなつかしさ」(02/05/24) 小生がガキの頃、お袋がよく近所の人とかに「この子は早生まれだから…」と言うのを聞いた覚えがある。 同時に、その言い方の中にかすかに言い訳がましいニュアンスが含まれていることを、幼いながらに感じていた。 鈍感な小生は、思春期も大分過ぎてから、ようやく「早生まれ」の意味が理解できるようになった。そして、何故にお袋が弁解口調で語っていたかの訳も。 早生まれというのは、「1月1日から4月1日までに生まれた人のこと」である。この4月1日というのには、微妙な意味合いがある。「法律上で1歳年をとるのはいつかという区切りについては、民法第143条の《暦による計算》がその根拠となってい」るという。詳しくはこのサイトを参照してほしい。 さて、言うまでもなく特に子供の頃の半年や一年の差というのは成長の上で非常に大きい。体格的にもそうだが、精神的(知的)な面でも、差は場合によっては圧倒的だったりする。 従って、4月になり小学校に入学すると、同じ学年であっても、最大でほぼ一年という年齢の差があるわけである。 ところで、かく言う小生は2月生まれである。ということは、早生まれに該当するということである。 で、理解のとろい小生は、ガキの頃、早生まれの意味が分からず、といって、どことなくお袋とか大人の誰彼に意味を聞くことも何故か憚られて、早く生まれたってことなんだから、つまり、早いってことだし、つまり、みんなより早い…。ン? 成長が早いってこと? でも、それにしては、お袋の言い方の中には一抹の悲しさというか弁解口調というか、だから仕方ないんだよ、という色彩が滲み出ていることは、鈍感な小生にも感じられる。 何か意味が矛盾する…。 もう、さっぱり訳が分からないでいたのだ。 そのうちに、多少は小生も成長して、ようやく早生まれの意味が分かった。上記したように、同じ学年の中でも生まれた時が(早いのではなく)遅いということ、(ここから先が大事なのだが)だから、多少、成長や勉学の上で人より見劣りがしても、仕方ないんだというお袋の弁解というか擁護の口調に繋がっていくわけである。 つまり、我輩は出来が悪かったのだ。というより、まるでやる気のない人間だっ たのである。 それは勉学に限らない(体が小さかったことあるが)。そもそも遊びにしても何にしても意欲の類いが欠片も、他人様に、そして学校の先生にも親戚方にも嗅ぎ取ることの叶わない生徒だったのである。 他人様には窺い知ることはできなくても、せめて自分の胸中や、あるいはお袋の贔屓目の見方にくらいは、何か意欲の片鱗だけでも染み出てくれればよかったのだが、自分でも何も心中に熱いものがないことは分かりすぎるくらい分かっていた。 考えてみれば、なるほど早生まれなのだから、4月の2日に近く生まれた連中よりは成長の点で劣っていたことの理由に為しえなくもない。しかし、小生同様に早生まれの連中だって周りに何人もいたわけだし、そうした連中が小生同様、出来が悪いかというと、決してそうではないのである。 それに、勉強はともかく遊びを含めた生気(覇気)という点で、小生のように影が薄かったわけではないのである。 さて、この早生まれというのは、満年齢で年を数えるという方法が戦後、導入されてから生じた現象である。 この満年齢というのは、一体、どういう意味を持つのだろうか。満年齢での年の数え方というのは、産まれた時が0歳で1年が経過すれば、満1歳となる方法である。 この方法が採用されるまでは、(年配の方なら御存知だろうが)数えの年での年齢方法を使っていた。つまり、生まれたばかりの赤ちゃんでも、数えだと一歳なのである。 このことの意味するところは非常に大きい。 赤ちゃんがお母さんのお腹の中で妊娠(受胎)し成長し出産するまでの年月をちゃんと数の中に入れているということなのだ。言い換えれば胎児を人間として認めていたということでもある。 この点が重要なのだ。 悲しい現実なのだが、日本は(日本に限らないかもしれないが)堕胎天国と呼ばれたりする。妊娠中絶は、相当数に上っている。堕胎は、決して若い女性が望まない妊娠をしたために中絶するだけではなく、生活が成り立たないために二人目や三人目は養えないという理由だったり、あるいは高齢での妊娠で世間体が悪いということだったり、他にも病気が絡んでいたり(そもそも妊娠や子どもを持つことを厭う人も居るらしいし)して、一概に悪いことだと責められるわけでもない。 ただ、この胎児が人間としてカウントされていないという現実だけは厳然としてあるというだけである。 同時に、堕胎という暗い営みの苦しみ(と社会的宗教的矛盾)を、その当人だけが背負うという現実があるだけである。 この中絶を公然と認めていることの裏返しとして(ということは胎児を殺したということとは見なさないが故に)、妊娠中の女性を殺傷しても、女性を殺せば殺人に当たるが、胎児を死に至らしめたとしても、その胎児に関しては殺人とは法的に判断されないという現実とも相関してしまうわけである。 小生のような野暮天には、現代の日本において妊娠中の女性の胎児への接し方がどのようなものであるか知る由もない。一体、胎教はどれほどの重みを持って考えられているのだろうか。もしかしたら胎教を軽んじる風潮はかすかにでもあるのではなかろうか。 近年、お腹の中の胎児も、その妊娠中の周囲(母親だけではなく、大きく家庭環境も含めての)人々の理解と思いやりが、胎児の成長に大きく左右することが科学的にも実証されてきた。だから、胎教の重要さも、わざわざ小生如きが云々せずとも理解されているものと期待していいのかもしれない。 どこかで聞いたことだが、「お産は胎教の総仕上げ」という先人の知恵というのは、大したものだ。同時に数え年という方法を採っていたのも、長い経験に裏付けられた深い知恵の賜物だったのではなかろうか。 これは、また、昔は、子供が授かることの意味を今以上に大切に思っていたからではないのかと推測させてくれる。 「授かる」という表現は、まるで受動的な受け止め方のように見えて、実は、全く逆であり、子供が天からのまさに「授かりもの」だという感謝の念の積極的な現れなのではないかと思う。 (昔は、仮に生まれても幼少のうちに亡くなる事例があまりに多かった。成人できたなら、それだけで僥倖のことだったのだ。幼名があったりするのも、悲惨な現実があったればこその話だ。江戸の人には痘痕顔の人が実に多かったとか。病気になったら薬がある、病院へ駆け込む、ネットで医療情報を入手できるなどという現実は、つい近年のことなのだ。「立川昭二著『江戸病草紙』」を参照ねがいたい。05/04/29 追記) ところで、さて、日本では出生率が近年、激減している。何故なのだろうか。どこかの大臣が、「これでは日本民族が絶滅する」と言ったとか言わなかったとか。 そんな問題だろうか。生まれる子供にとって、つまりはお母さんになるべき方たちにとって、日本の現実が子供を実は歓迎していないということの証左だったとしたら…。 子供を産むと生活が大変だから、だから手当てを充実させて云々と考えたりする向きもある。それも大切だろう。けれど、では、昔のお母さん達が、楽な子育てを出来ていたのか。 まさか、である。むしろ、はるかに厳しい現実の中で産み育てたのではなかったか。あるいは産めよ殖やせよという戦争(国力)のための奨励の面もあったのか。 小生は、そんなことより、生きていることの大切さと素晴らしさを生活の中で感じることが出来ていたからではないかと思う。生きている中で何が大切か。豊かさ、便利さ、楽しさ、……。 でも、一番大切で貴重なことは、家族の絆であり、その絆の焦点に合ったのが子供だったのではないかと思う。 つまり、現代の日本では家族が崩壊してしまったことが出生率の崩壊の元凶だと考えるのだ。価値の基準軸が、これから生きてくるものたちではなく、将来の家族を中心とした地域に根ざした絆ではなく、今、生きている自分が楽しいとか便利であるとかに移行してしまったのだ。 出生率の急減という現実は、われわれに生きることの意味を問い直すことを要求しているのではないか。一体、何のために生きているのだろう。生きていくのだろう。 ああ、何だか、また、大きく脱線してしまった。生きることの懐かしさ、生きていくことの豊かさ、それだけをとりあえず感じておこう。
by at923ky
| 2005-04-29 18:52
| コラムエッセイ
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