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景観のこと

 昨日、車中でラジオ放送を聞いていたら、景観についての法律がどうしたという話を断片的に耳にすることができた。
 国が初めて景観法を制定し、年内にも実施されるとか:
景観法成立、計画にNPOが提案権

 上掲のサイトによると、「6月11日、景観緑三法が参議院を通過し、成立した。景観法は、良好な景観を「国民共通の資産」として位置づけた初の基本法。NPOは、同法で都道府県などが策定する景観計画への提案主体となれるほか、景観重要建造物や樹木を管理したり、利用されない棚田などを耕作する景観整備機構になれることが盛り込まれた」とか。

 景観条例は、小生も耳にしたことがある。この「景観法は、今まで条例などで自治体が独自に規制を設けてきた景観条例に、基本理念や規制などの法的根拠を与えるもので、初の包括的な基本法」だという。





 京都市などは、早々と景観条例を作ったことは、話題になったし、なるほどと小生も感じたことがある:
市街地景観整備

 このサイトによると、「京都市では,市街地における景観の維持,向上を目指して昭和47年に全国に先駆けて「京都市市街地景観条例」を制定し,美観地区,特別保全修景地区などの制度で,京都の特色ある歴史的な町並みの整備に努めてき」たという。
「その後,昭和50年の文化財保護法改正で,伝統的建造物群保存地区の制度が創設され(途中、小生、略)伝統的な建造物により構成されている町並みの保存をすすめてきています」という。
 なるほど。
 小生は、事情があって、子供の頃から幾度となく京都の市街地は訪れている。十年程前も、行ったことがあった。
 そうして得た印象だと、景観を大切にしているはずの京都なのに、町並みが条理制度の名残なのか、通りが秩序だっているけれど、町の景観は雑然としているというものだった。
 が、小生が通ったり眺めたところは保存地区ではなかったのだ。
 その後、各地域で景観条例が定められていったが、さて、どれほどの効果を上げたのだろう。やはり各自治体の条例では限界があった面もあるのではなかろうか。
 下記のサイトを覗いてみる:
国が初めて景観法を制定、年内に実施   阿部和義

「日本の国は欧米に比べると汚いと言われてきた。電柱が立ち並び、電線が張り巡らされ、風俗店や貸し金業者の広告が道沿いや公衆電話のボックスに張られている。外国から来る観光客は東京や大阪の乱雑な街並みにびっくりする。景観が悪いことが外国からの観光客の来ない一因にもなっている」
 全く、その通りだと思う。
 テレビ、雑誌などで紹介されるヨーロッパの町並みは、秩序だっているし、美しい。スイス・アルプス地方の風光明媚なること、垂涎ものである。あの風景に、立て看板や電柱などが勝手気侭に乱立していると、それだけでうんざりだろう。
 まして、日本のように空き缶やペットボトル、煙草の吸殻、ガム、チラシなどのゴミが、路肩やグリーンベルトに吹き寄せられていると、うんざりしてしまう。
 よく言われることだが、日本人の多くは、自宅(の庭)は綺麗にすることに熱心だが、一歩、外に出ると、汚れに無頓着になる。平気でゴミを捨てるし、唾も路上で吐く。公共心がないのだ。云々。

 余談だが、「景観法」は「役人的に言うと」「3文字法」で、「「海岸法」以来40年ぶりの画期的なこと」というのは、ちょっと面白い。確かに、どの法律も、法律の本文より法律名のほうが長いのではと思ってしまうほど、長い。
 さて、話を戻して:

「国交省は03年1月に「美(うま)し国づくり委員会」を作り」という点にはビックリ。そんな委員会があったのか。小生の知見が狭いだけなのかもしれないが。
 既に、「「美しい国づくり政策大綱」を発表」され、「この中で美しい国作りの実現のためには国はもとより住民、地方公共団体、企業、専門家が協力していかなくてはならないと、した。そのうえで、良い景観を作るには基本法を制定すると共に都市に緑を増やすための法律、野外広告に対する規制や電柱の地中化を推進する法律も作るべきだ、と指摘している」とか。

 景観。これは美しいほうがいいに決まっている。

 が、しかし、ここから微妙な問題が始まる。そもそも、美しいと感じる、その判断(価値)基準は、人それぞれである。
 赤提灯のある猥雑な雑踏にこそ、郷愁や愛着を覚える人もいるに違いない。景観条例や景観法の対象となるのは、ある一定地域なのだろうから、そんな繁華街など、度外視しているのかもしれないが。
 例えば、東京で言うと、国立市の例が、考える材料になるのだろうか:

「赤い三角屋根のJR中央線国立駅から真南に伸びる幅44メートルの大学通りは、国立市のシンボル道路として広く市民に親しまれてきた。道路の両側のゆったりとした緑道には長さ1・2キロにわたって288本の桜と銀杏が植えられ、四季折々に彩られる並木の風景は新東京百景にも選ばれた景観の名所である」という。
 小生は、仕事でほんの二度ほど、駅前をしかも車で流しただけなのだが、整然とした景観は、東京都心などの雑然さとは別世界だと感じたものである。
 そんな光景を破壊するかのように、突然、周囲に威容を誇るかのような高層のマンションなどが建ったら、違和感が生じるだろうことは、想像力を働かせるまでもない。
 だから、地元民などが景観の保全に神経を尖らせるのも、当然なのだろうと思う。
 一方、そうした地域に住みたいと思う人も多いに違いない。宅地など限られている以上は、確保した土地に高層のマンションを建て、より多くの人に国立ライフを送ってもらいたいし、送りたいとも思うかもしれない。
 そこには地元民の景観を保全したいという願いや努力と同時に、これまでの快適な生活を守りたいという既得権への固執をも感じたりもする。

 国立市に限らず、平屋建てか、せいぜい二階建ての地域に、不意に高層のマンション建設計画が持ち上がって、トラブルになるケースが多い。日照権の問題もあるし、風景が一変することへの抵抗感もあるだろうし、いきなり高層の建物が出来たりすると、その高見から宅地の庭などが眺め下されるようでもある。プライバシーが奪われそうだ。
 また、ワンルームマンションだと、風紀上の問題も懸念される。

 こうした、問題のほかに、景観というと、さて、どのような景観が美しいのか、どの時点での景観を保つべきなのかが問題となる。
 小説の読みすぎ、映画などの見過ぎなのかも知れないが、江戸時代の江戸の町並みなどを見ると、美しいと思うし、端正だとも感じる。情緒が感じられ、伝統を大切にしていたのではと思ったりもする。
 では、江戸時代の風景を理想とし、そんな町並みをこそ、実現すべきなのか。

 小生が物心付いた頃の我が田舎は、農村から町になりたてで、平屋や屋根裏部屋があるだけの、まさに甍(いらか)の波といった光景だった。家々が軒を並べ、一方、その周囲には、野原があり、田圃や畑が広がっていた。
 道路はというと、砂利道で、ダンプカーどころか、たまに走りすぎる乗用車の振動が、我が家をも直撃するのだった。砂利を跳ね飛ばす音がモロに聞えてきたことは言うまでもない。
 裏の砂利道を挟んだ向こうには、藪があって、高い木々があり、その幹に小屋を遊びで立てかけたことがあった。竹薮もあったし、小川も、岸辺が護岸されているはずもなく、季節が来たら蛍の舞う草茫々の土手なのだった。土手を踏み外すと、呆気なく小川に嵌り、膝下など、ずぶ濡れとなる。
 そんな風景は、ほんの十年もしないうちに、あれよあれよと言う間に、消え去った。不意に、コンクリートの三階建てのビルが出来て、あれは何だと驚いていたら、道路は舗装され、バイパスが通り、空き地など何処へやら、マンションやら工場やらアパートやらテレビ局、あるいは駐車場などがひしめき合うようになった。
 近所の親しい方も、田圃や家を売り払って、郊外の方へ立ち退いていってしまった。昔日の光景は、望むべくもない。三十三体の地蔵さんが安置されたボロ小屋も、コンクリートの小屋に生まれ変わり、その向きも、昔は我が家だったのが、表通りを向いてしまった。
 変貌する町。町の相貌。それは新陳代謝を意味し、失われるものは惜しいけれど、新しい世界が実現されていく以上は、仕方ないのだろう。

 ただ、思うのは、変貌振りがあまりに急激だということだ。数十年か、或いはそれ以上のゆったりしたペースで景観が変わるのなら、人間の感性もその変化に追随できる。
 それが、自分の幼い頃、若い頃、働き盛りだった頃の光景が、現役を引退する頃には、その名残の欠片もないというのでは、寂しすぎる。懐かしい風景を前に、昔日を偲ぶ縁(よすが)も取っ掛かりも何もない。
 となると、年老いた人間は、浦島太郎の状態なのである。
 自分は年老いてしまった。自分は懐かしいはずの生まれ育った土地に舞い戻った。が、そこには自分を知るものは誰ひとりいない。せめて、風景の中に、昔を偲ばせる手掛かりでも残っていれば、それだけで、人は慰められる。が、それさえも、簡単に奪い去られる。所番地どころか、市町村名さえ、変化する。近隣の誰彼も、町をとっくの昔に離れている。
 私は誰、ここは何処、という浦島状態を強いられているのが、よく言えば活気のある町(時代)の、別の側面、ある意味、人の感性には酷薄な面なのだ。
 新しいものを求める。効率を追い求める。合理性が大事。交通の便が大事。地肌が露わだと、雨が降れば泥んこ道になり、厄介だから、コンクリートで埋め尽くす、それが手っ取り早い。
 その逐一は分かる。でも、変化が早すぎると思う。
 ちょっと話がずれてしまった。
 景観。一体、何処に安住すべき景観の理想を求めるべきなのだろう。大多数の方たち(あるいは当局)の思う理想の景観と自分の思う郷愁の景観が違ったら、一体、どうしたらいいのだろう。諦めるしかない?
 が、しかし、案ずるよりは生むが易しなのかもしれない。まずは、電柱を取り払い、建て看板や、どぎつい広告やチラシを撤去し、ゴミを安易に捨てないように心掛ける。取りあえずは、そこから始めるのがいいのだろう。
 そこから先のことは、ゆっくり考えたい。
 変わるものと変わらざるもの。変えるべきものと変えてはならないもの。
 不易と流行というキーワードを昨日のラジオでの聞いた。
 人の心は、どうあるのか。人の心に沿う町作りとは一体、どういうものか、ゆっくりじっくり考えるべき事柄なのだと今は思うだけなのである。


                          (04/07/13)
by at923ky | 2005-03-29 19:35 | コラムエッセイ


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