複素数から虚構を想う

 今時の高校ではどうか分からないけど、小生が高校生の頃は、数学では複素数を扱っていた。
 小生、訳もなく複素数の登場にワクワクしたものだった。やっと、本物の数学に触れられると、初心な小生は、教科書や黒板などに複素数(iという記号)という言葉が踊るだけで胸躍らせたものだった。
 が、さて、理解できたかと言うと、とんでもなかった。一応、教科書に書いてある記述は、フォローはできる。が、なんだか、分からない。掴み所がない。参考書を読んでも事情が変わらない。
 そこで、小生は、遠山 啓著の『数学入門 上・下』(岩波新書)を入手。なんとなく分かったような気がした。

 尤も、そこで分かったことは、ただ一つだったかもしれない。それは、複素数というのは、誰かから教えられたようには、あるいは字面から受ける印象とは違って、決して虚構の数、計算上、数学の体系上の都合で便宜上<存在>する数なのではなく、<実在>する数なのだということ。
 ある意味、このことは、小生の凡脳では理解が及ばないと直感しつつも、単に数学に観念を限ってさえも、とてつもなく巨大な、掴み所のない世界が広がっていることの啓示だった。

 啓示…。そう、そのような言葉を使って表現しても、必ずしも大袈裟な体験ではなかったように思う。

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# by at923ky | 2005-09-08 23:33 | 随想

冷蔵庫のない日々(後日談)

 故障した冷蔵庫のこと。
 やはり、冷蔵庫がないと困る。夕食は外食とか、スーパーなどで買ってきた食材をできるだけ早く食べれば、なんとかなる。極端に言えば、刺身だって食べられるし、冷たい飲み物も、なんとか飲むことができる。
 しかし、朝などは、ダメ。
 仕事で出かける朝は、そんなに時間的余裕があるわけじゃなく、いつしか棚にはカップ麺の類いが山積みとなってしまった。
 水を電子レンジで沸騰させ(ヒーターも故障中)、カップ麺の容器に注ぐ。カップのスープにも同じように沸騰させたお湯を注いで、食べたり飲んだり。
 でも、総菜の類い、お新香の類いは食卓にない! 
 醤油もいいけど、ポン酢がもっと好きで、食べ物にかけて味付けするけれど、これも冷蔵保存が必要とのことで、冷蔵庫が故障して二週間経った昨夜、とうとう残り半分を捨ててしまった! ああ、勿体無い。
 壊れた冷蔵庫。時間を置けば、そのうち、機嫌を直すかも、改心するかもと思っていたら、ホントに改心しました! なんてことは、ありえないので、とうとう我慢がならずに、新しい冷蔵庫を買うことにした。
 古い冷蔵庫とは、僅か15年の付き合いに終わった(但し、当分、部屋に置いておく。引き取りにも相当に経費が要求される)。まあ、室友だったので、その誼(よしみ)もあるし。
 既に予約してきた。小生にぴったりの可愛い可愛い電子レンジサイズのプチ冷蔵庫。
 暑い季節。大型の冷蔵庫を買うと、小生、その中に入って涼もうなんて了見を起こしそうなので、超小型のものにした。
 が、製氷室はあるものの、冷凍はできないらしく、アイスクリームを食べる生活は依然として夢のまた夢のようだ。
                                     (04/07/07)

[ 本稿には、「冷蔵庫のない日々へ」が姉妹篇としてあります。また、本稿に関連する雑文に「駄句で綴る冷蔵庫のこと(顛末)」があります。 (05/09/03 アップ時付記)]
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# by at923ky | 2005-09-03 06:04 | 日記・雑事

バーチャルリアリティと現実と

 バーチャルリアリティ(略してVR)という言葉は既に慣れ親しんでいると言っていいのかもしれない。但し、親しんでいるということと、その原理や効果や目的や可能性を熟知していることを保証するはずのないことは、言うまでもない。
 例えば、下記のサイトでVRについての定義を見てみよう:

「仮想現実。コンピュータの3次元シミュレーションなどにより、人間にとっては現実のイメージに近い仮想的な世界を作ること」とある。
 まあ、こうした新しい概念というのは、理屈を理解するより、「センサーに応じた3Dの映像」などを実地に体験するにしくはない。
 但し下記のサイトを見るまでもなく、「仮想現実」という訳語は誤解を与える(2):

「「みかけや形は原物そのものではないが、本質的あるいは効果としては現実であり原物であること」であり、これはそのままバーチャルリアリティの定義を与える」
 つまり、敢えて仮想という言葉を使うなら、手段としての媒体の我々に与えるみかけや形は原物そのものではないが、我々に与えられる結果としての「現実」は、まさに現実であり原物なのだということだ。

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# by at923ky | 2005-08-25 00:32 | コラムエッセイ

屋上緑化の効果

 ヒートアイランド現象に悩まされている東京都が、「2001年4月、改正自然保護条例を施行、敷地面積1000平方メートル以上の民間建築物(公共建築物は250平方メートル以上)を新改築する際、利用可能な屋上面積の2割以上の緑化を義務」付けたことは、御存知の方も多いだろう。
 ヒートアイランド現象とは「地表がコンクリートやアスファルトに覆われた都市部で発生します。水分の蒸発がほとんど起こらないため、地表面の温度が上昇し、空調など人工的な排熱もこれに加わり、夜間になっても気温が下がらない状態」を言う。
 この屋上緑化というのは、「オフィスビルの屋上の空きスペースを利用して樹木、草花、芝生などで緑地を造る緑化サービス事業のこと」を言う。「ヒートアイランド(都市の高温化)現象の解消策」として、「ビル自体の断熱、防音、冷暖房費抑制効果」も期待できるとして、推進されているものだ。
 詳しくは下記のサイトなどを参照願いたい:

 このサイトによると、「最近では都市で生活する人々のストレス解消や癒しにつながるとの指摘」もあるという。

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# by at923ky | 2005-08-18 22:48 | コラムエッセイ

濡れ落ち葉の行方

 別に風流なことを書こうというのではない。
 知る人は知っているだろうが、「濡れ落ち葉族」というのがあって、定年を迎え会社に通うこともなくなった亭主たちの一部の方々を指して評する言葉である。
 仕事一筋でずっと来て、趣味もなく、近所付き合いもなく、会社関係を離れると社会とのつながりもない。
 で、出かける当てもないので家でゴロゴロする羽目になる。外出というと、奥さんが出かけるときに、奥さんとしては必ずしもついてきて欲しくはないのに暇な亭主がくっ付いて来る。
 それは秋の日に路上に吹き溜まる落ち葉が、雨や露などで濡れていると、その上を歩いたりすると、靴の裏などに落ち葉がベタベタくっ付いてしまう。
 そのように亭主が奥さんにくっついて回って邪魔でしょうがない、亭主が奥さんの足手まといになっているそういう状態を指す言葉のようである。一説によると評論家の樋口恵子女史が造語された言葉だという。
 さて、つい先日、夫婦(あるいは広くは男女)関係のあり方をいろいろ考えさせる調査結果が公表されテレビ・ラジオなどで話題になっていた。
 その調査によると、男は(亭主は)仕事を隠退しても奥さんがいると独身の男性よりも長生きする。
 しかし、女性のほうは、亭主と一緒に暮らすより、独身であったほうが長生きできるという結果が出たというのだ。

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# by at923ky | 2005-08-09 22:16 | コラムエッセイ

いじめについて

 あるサイトの日記や掲示板で、同和問題(最近は、人権問題と呼ばれているらしい)が採り上げられていた。この問題は封建的な時代の遺習とはいえ、現代も生々しい形で、その差別の実態は残っているようである。
 多くは部落差別の問題だったが、そうした同和地区の問題は、見かけ上はかなり改善されたとも聞く。が、実際には、部落を出ても、出自の過去が付き纏い、結婚ができなかったりなど、問題の根はより陰湿になり複雑になった面もあるのかもしれない。
 結婚の際、相手方の<身分>を調べるなど、今も深刻な現実があるとか。
 その陰湿さの一つの面として、「えせ同和行為」が時折、新聞などで記事になるのを見かけることがある。つまり、同和問題の重さや一旦、関わった時の厄介さという現実に乗じる形で、同和問題を口実にして企業や公的機関に不当な寄付や利益を募ったりする。
 部落問題や差別を扱った小説には、住井すゑの『橋のない川』とか、島崎藤村の『破戒』など、いろいろある。

 差別という問題は、神野清一著の『卑賤観の系譜』(吉川弘文館刊)などを読むと、日本においては(日本に限らないと思うが)、少なくとも歴史と共に存在していたことが分かる。

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# by at923ky | 2005-08-07 23:07 | コラムエッセイ

三途の川と賽の河原と

 前回に引き続き、「さいたま川の博物館」での、「平成11年度第2回特別展「三途の川」」を道案内に、三途の川のこと、そしてできれば、賽の河原について幾分かでも学んでおきたい。
 こんなことを学んでどうなるというのか、どんな意味があるのか、少なくとも小生にはさっぱり分からないのだが、何故か惹かれるものがあるので(そろそろ呼ばれている?)、ひたすらに好奇心に駆られるままに、かといって、あまりに深入りして、それでは、自分で訪ねてみようとばかりに、往って(逝って)還らぬ人にならぬよう、浅瀬を選び、できれば、三途の川の中に足を浸さないだけではなく、飛沫さえ浴びないように、用心を重ね、不摂生なる日頃の生活をほんの少しは慎みながら、まあ、表面的なこと、触りのところだけを、無論、差し障りに至らぬ程度に、触れてみよう。
 さて、「平成11年度第2回特別展「三途の川」のご案内」を参照する:

 いきなり人の力を借りるのも、顰蹙モノかもしれないが、三途の川に行ったことがないのだし、その世界に不案内なのだから、仕方ない。上掲の頁の冒頭にかのようにある:
 日本人は、むかしからこの世とあの世を分ける境界として川を意識してきました。その川が日本仏教に取り込まれ「三途の川」になったと考えられます。

 確かにその通りで、宗教の世界には御無沙汰気味の小生も、そんな話を漏れ聞いたことが遠い昔の記憶として残っている。一体、誰に聞いたものなのか、今となっては定かではない。

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# by at923ky | 2005-07-29 22:14 | 古代・歴史・考古学

三途の川のこと

 あるサイトの掲示板で、千葉県には、三途の川という名の川があるという書き込みを見つけた。まさか、という気持ちと、でも、あっても可笑しくはないという気持ちとが相半ばしていたが、とりあえず、ネット検索。キーワードは、勿論、「千葉県 三途の川」である。
 すると、検索結果リストの筆頭に、「特別展点描  発見!「三途の川」」という表題のサイトが登場するではないか:

 その冒頭には、「さいたま川の博物館では、今年度第2回の特別展「日本人の他界観を探る-三途の川-」を開催しましす。」とある。
 続いて、「「三途の川」は、皆さんも知ってると思いますが、人が死んでからあの世に行くときに、必ず渡らなければならないとされた想像上の川です。しかし、特別展の開催を準備していた私は、ふと、「三途の川」という川は、実際にこの日本にあるのだろうかという素朴な疑問がわきました」とあるではないか。小生と同じような疑問を持たれる方がいらっしゃるわけだ。

 尤も、その方は、「早速、博物館にある『河川大辞典』をペラペラめくってみると、あったあった、全国に3ヶ所ありました」というわけで、小生とは比較にならない好環境に身を置いておられる。羨ましい限りである。
 とは言っても、小生がその立場にあって、ちゃんと辞典などを調べるかというと、これは怪しい。せめて辞典を枕に居眠りしないで居られれば、御の字なのだろう。

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# by at923ky | 2005-07-23 23:14 | 古代・歴史・考古学

都心の新風景

 東京の都心がこの数年、凄まじい勢いで変貌を遂げている。バブルの崩壊で土地の値段が下がり、再開発の勢いがここに来て一気に花開いているという状況なのだろう。
 中には、六本木ヒルズのようにバブル前から計画され、それが今になって形になったものもある。時期がたまたまほぼ重なったということなのだろうか。
 発掘調査が終わった汐留地区や丸の内(丸ビル)、新幹線の到着に伴う品川駅東口、他にも大崎もほんの数年前とはかなり様子が違っているし、まだまだ変わりつつある。大井地区も大規模な工事が続行されている。
 そうでなくとも高層ビルは都心の方々で林立しつつある。面白いのは、大規模開発そして超高層のビルを建てる代わりに敷地には庭園などが設けられるし、ビルの中、乃至は同じ敷地内に高層のマンションも建てられていることだ。
 当然のように、新しいビルが建てば古いビルや家屋は姿を消していく。例えば、汐留地区の再開発で、古い家屋が消えつつある様子を見てみよう:

 品川駅の東口も大変貌を遂げつつある。品川インターシティはビジネスビル群
だが、近くに品川セントラルガーデンが出現し、ちょっとした話題を呼んでいる:

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# by at923ky | 2005-07-04 22:31 | コラムエッセイ

神秘体験というよりも

 他の場所で、柳澤桂子氏の神秘体験にちなみ、小生自身の神秘体験について若干、触れてみた:

 ある朝、トイレの帰りだったか、玄関のドアを開いて、何の気なしに庭を眺めた。まだ庭の隅には屋根から落ちて堆積した雪の名残が見受けられた。
 何故か、庭を眺めつづけていた。すると、突然、何か炎のようなものが庭に燃え上がった。赤というより真っ白に近いような眩しい光の渦だった。それが庭で渦巻いたかと思うと、次の瞬間、その炎はある文字の形を描いた。
 その文字とは、「神」だった。

「神」という光り輝く漢字が、ほんの一瞬、それこそ閃光の如く描かれ、そしてあっという間もなく消え去った。
 気がつくと、そこにある庭はいつもの見慣れた庭で、何の痕跡もなかった。自分の幻覚か、それこそ夢なのかもしれなかった。我が目を疑うしかなかった。
 けれど、脳裏に刻み込まれた炎か光で描かれた「神」という文字だけは、それから長く<印象>となって残りつづけた。三十年以上も経った今でも、さすがに当時ほど鮮やかではないが、目を閉じるとその活字像が現れる。

                               (引用終わり)

 尚、柳澤氏の神秘体験は、柳澤桂子著『生命の不思議』(集英社文庫刊)や、下記のサイトなどで知ることができる:

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# by at923ky | 2005-07-04 22:23 | 哲学エッセイ