サンバ(ブラジル)関連用語解説(転居!)

本稿は、下記へ引越しました:
無精庵サンバ館 サンバ(ブラジル)関連用語解説

「サンバ(ブラジル)関連用語解説」注記
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# by at923ky | 2006-09-10 14:44 | 番外編

天皇陵・古墳の学術的研究・保存を早急に求める

[高松塚古墳]壁画損傷こっそり補修、東文研所長が指示
 奈良県明日香村の高松塚古墳(7世紀末~8世紀初め)で、作業中の文化庁や東京文化財研究所(東文研)の調査員が02年に国宝壁画を傷つけ、公表せずに補修していた問題で、補修が当時の東文研所長で、現在は文化庁の同古墳壁画恒久保存対策検討会座長を務める渡辺明義氏(70)の指示で行われていたことが14日分かった。補修にあたった複数の当事者が検討会のメンバーになっていることも分かり、関係者からは検討会の正当性を疑問視する声が上がっている。
 東文研は、文化財の保存と修復技術の調査研究をする独立行政法人の機関。高松塚古墳では美術などの専門家が傷んだ壁画の修復などにあたっている。
 指示は文化庁の内部資料、「高松塚古墳修理日誌カード」などから分かった。事故はこの年の1月に起き、その場で補修が行われたが、2カ月後の3月28日の日誌によると、渡辺氏は同日午前、現地を訪れ、「事故部分には周囲の土を殺菌して、水だけで溶いて塗付する」と方針を示した。作業は午後、その方針通り行われた。
 渡辺氏を含め補修に当たった7人のうち4人が検討会(24人)の委員。【栗原俊雄】

 上記で「指示は文化庁の内部資料、「高松塚古墳修理日誌カード」などから分かった」とあるが、「朝日新聞などが文化庁に情報開示を請求したことで明るみに出た。分厚い現場の作業日誌を丁寧に読んでいって、ようやくたどりついた事実だ。逆に言えば、情報開示を求めていなければ、日の目をみることはなかった」(「06/04/16付け朝日新聞・社説」より)ものだ。

「検討会の正当性を疑問視する声が上がっている」というが、渡辺座長は、15日になって座長の座と共に委員も退く意向を示している。
 高松塚古墳の壁画にカビが発生したことが報じられた時は、下手に外部からの手が入ると長年にわたってとりあえず残ってきた壁画も傷んでしまうのかと、学術的調査・研究に待ったが掛かるのかと思われたものだが、なんのことはない、「工事関係者が規定に従わず、防護服を着ないで古墳内で作業したため、石室内にカビの大発生を招いた」ものだったのだ(「06/04/16付け朝日新聞・社会面」より)。
 こうした不祥事を隠す仕儀は、東京文化財研究所(東文研)の姿勢のみならず文化庁の体質に無縁ではないように思われる。
 天皇陵に限らず国宝などの文化財の保存を文化庁の管理に任せておいていいのか、不安でならない。
 数知れない古墳の中には徹底した調査をすれば壁画などの貴重な文化財が見つかる可能性があるのではないか。特に古墳などを雨ざらしのままに風化させてもらっては困る。

 以下、5年前に某フォーラムに投稿した関連する記事をホームページのエッセイ欄から原文のままに転記する。

続きがあるよ
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# by at923ky | 2006-04-16 12:34 | コラムエッセイ

「煤払」…末期の一服

「煤払」は、この季語随筆で昨年の12月、すでに採り上げている。その表題も「煤払い」と、そのまんまで分かりやすい。
 季語としての「煤払」については、大凡のことはその記事の中に書いてある。
 なのに、一年を経過して(未だ扱っていない12月の季語・季題は数多くあるというのに)再度「煤払」を話題に採り上げるのは、季語として記述しておくべき重大な事項が抜けているのに気付いたから、というわけではない。
 昨年の「煤払い」においても、話題は特に後半の部分は、季語としての「煤払」より、専ら煙草に焦点が合っていた。
 実は今日、このキーワードを糸口に扱うのも、煙草に関する話題である。
 昨年の当該の小文を読まれたら、煙草には人一倍関心がある小生なりの事情の一端も分かるだろう。

 昨日、営業中、ラジオから煙草に関するニュースが流れてきた。マンションなどの耐震データ偽造問題などの陰に隠れていて世間的な耳目を集めにくいはずだが、それでもNHKはさすがに漏らさず報道してくれるのでありがたい。
 そこでニュース記事が削除されてしまわないうちに、関連する記事NHKのサイトから一部を抜き出しておく。
 といっても、児童手当が従来の小学校3年生までだったものが、今度の税制改正で6年生までに拡充された、その際の財源として、煙草に課せられている税金が、1本当たり1円ほどアップされるというニュースではない。

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# by at923ky | 2006-01-09 19:36 | コラムエッセイ

寒波の中の帰郷(続)

 長岡駅で待ち合わせの「はくたか」に乗ってみると、中はガラガラ。「maxとき」は、ほぼ指定席が満杯だったが、今度は隣は勿論だが、場合によっては気分次第で席を変えることも出来る。

 ゆっくり本も読めそう。あとは出発を待つばかり。と思っていたら、しばらくして車内放送が。「柿崎と某所との間で電車が架線事故に遭い、電車が動かなくなっています。現在、原因を確認中。詳しいことが分かり次第、放送します。」といったようなことを言っている。

c0008789_2214597.jpg 我輩の後ろに居た中年の女性が騒ぎ出す。仕事だし、今日中に富山へ行かないといけない。あら、予定が立たない。この電車、動くの、動かないの、車内販売の女性にまで聞いている。品物を売りながらも、返答に窮する売り子のおばちゃん。答えられるわけ、ないじゃん。そのうち車掌が回ってきたので、車掌に談判みたいな質問。

 雪の中だし、事故現場へ向かうだけでも時間が掛かるのは明らか。小生は、開き直ってトイレへ。その帰り道、構内に蕎麦屋を見つけた。

 昔、富山と東京の往復というと、乗り換え駅は長岡だった。その頃は、よくその蕎麦屋で蕎麦かうどんを食べたものだった。待ち合わせの時間も一時間だったか二時間だった、とにかくそこそこの時間が合ったので、ぶらぶらしたり、何か食べたり、新潟や東京ではパチンコをしたこともあった。今と比べてのんびりしていたのだ。

続きがあるよ
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# by at923ky | 2005-12-29 22:11 | 日記・雑事

寒波の中の帰郷

寒波の中の帰郷
 先週末に切符は入手していた。三泊の往復だと周遊扱いになって安い(それに他にもレンタカー利用料が安いなどの特典もあるけど、説明の文面をよく読んでいない)。座席指定なので、寝坊さえしなければ、慌てることなく出かけられるし、自由席の席を確保するため寒風の中、並んで待つ必要もない。

 でも、心配性なので午前中に季語随筆を書き上げて昼前には出かけた。慌しい中での出発で、バッグに詰め込むものも当日の朝、あれこれ詰め込めるだけ詰め込む。衣類は勿論だが、パソコンを収めるので、結構、嵩張るし重くなる。しかも、本を三冊ほど。

 バスとか待合の間に読む新書を読みかけの分と併せて二冊。単行本は村上春樹の『海辺のカフカ』。上・下巻を持っていこうかと思ったけど、上巻だけにとどめる。残りは帰京してからの楽しみだ。

 東京駅には出発の一時間以上前に着いてしまった。これなら自由席の列に並んで待つ余裕だってある。でも、席は予約されているので、まあ、東京駅の新幹線の改札口で人を待つようなふりをして(?)新書を読みふける。

 読んでいるのは車中で読みかけの小山慶太著の「肖像画の中の科学者」である。個々の科学者に割く文章は短いが、逸話が豊富だし、意外な文献を教えてくれるので、この本の中で知った本をいつか読みたい、などと発展していくかもしれない。

 本のタイトルをメモしておくと、たとえば『元禄御畳奉行の日記』(神坂次郎、中公新書)である。朝日文左衛門という名の尾張徳川家の家臣・役人(侍だが、要するに今風に言うと高級官僚みたいなもの)の赤裸々な私生活が綴られている。

 地方(町)へ行くと地元の人間に接待漬けとなる。酒、女、博打など道楽。当時の世相風俗も縷々。きっと、今の官庁の役人も接待漬けの毎日なのだろう。でも、仮に日記を書いていたとしても、読めるのは今世紀末か来世紀か…。今の時代の本当の現実などあからさまには世に出せないだろうし。

 他に、イギリスにも17世紀に膨大な量の秘密の日記を綴っていた人が居て、(一部は出ていたが)1970年代に全貌が明らかになったのだとか。それを紹介する本が臼田昭著の『ピープス氏の秘められた日記』(岩波新書)である。

 余談はこれくらいにして、さて、時間が来て列車に乗り込んだ。24日ということで、指定席は満杯かと思ったが、自由席も含め、多少は空き席もあった。我輩は三人席の通路側。窓からの景色は眺められないが他の二人は若い二人連れの女性だったので、まあいいか、である。

 バッグも上の棚に仕舞い、駅の構内で買ったお土産の「ひよこ」入りの紙袋を足元に置いて、さて、村上春樹の本を手に。でも、隣の女性たちがカバンから何かを取り出して、簡易テーブルに並べる。

 いかにも女性らしい、カラフルなケーキ(? ご飯?)がそれぞれのテーブルに並ぶ。我輩も負けじと、夕べの食べ残しのお菓子(黒砂糖の麩菓子)を取り出してペットボトルのお茶と共に喫する。食べるものも食べたし(実は朝、日記を書くのに時間が取られ、食事の時間がなくなり、カップ麺で済ませていたのだ)ようやく落ち着いてきたので、今度こそ、『海辺のカフカ』である。

 村上春樹の本はこれまでに二冊は読んだが、実は本格的な小説は始めてである。今まではエッセイ(村上朝日堂)と『神の子供たちはよく…』という本なのだ。本書は評判がすこぶるいいようなので、今年を締めくくる本として敢えて選んだのである。

 ダン・ブラウンの『ダ・ヴィンチ・コード』は、まあ、面白いが仕掛けに頼りすぎていて、まだ読み止しの段階で評は下せないが、準一級の娯楽本といったところか。あれこれキリスト教関連の雑学的知識が盛り込まれていて、それが好奇心を掻き立てるし、ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」の絵も、見方によっては謎めいたメッセージを読み取れなくもないが、しかし、ダ・ヴィンチは凄いのは、そうした仕掛けよりも、あるいは仕掛けがあるにも関わらず絵として屹立しているからなのだ。

 さて、読み始めた『海辺の…』だが、さすがだ、段々、物語の中に引きずり込まれていく。主人公(?)の少年は中学生だというのに、非常にませている。知的に卓越しているのだろうし、複雑な家庭環境を生きて、自覚を迫られるということもあったのだろうが、あまりに大人びている気もする。凡庸そのものの自分と比べるのは笑止だとしても、少年の感懐が今の書き手の気持ちの吐露ではないか、という疑念をついつい抱かされてしまう。

 しかし、小学校のうちに漱石全集くらいは読み倒す人間が世の中には居る。実は、この『海辺の…』を読んでいて、村上春樹に例の酒鬼薔薇聖斗を扱った小説を書かせたら、彼なら凄いものを書けるのではと思ったりした。酒鬼薔薇も知的に異常なほどに発達している。感受性も並ではない。あの公表された<詩>にはただならぬもの、鬼気迫るものを覚えたものだった。

 列車は雪の影響で本来の越後湯沢ではなく長岡まで走った。乗り換えも長岡で、とのこと。長岡。上越新幹線が開通するまでは、東京と富山とは長岡での乗換えが常だった。その意味で懐かしさがある。長岡で「maxとき」から「はくたか」に乗り換えた…のだが、ここから本格的なトラブルが始まった。

(以下、続く)
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# by at923ky | 2005-12-26 00:11 | 日記・雑事

「仮の宿」とマッチ箱の家と

 随筆日記の表題を選ぶのに、いつもながら、迷う。
 冒頭に木曜日の朝、仕事が終わって会社の車庫に戻り、納金などの雑務を済ませて、さて、帰ろうかと思ったら、車庫のあるビルの脇に咲いている花が目に付いた。
 野暮天の小生には花の名前など、分からない。そこには、何種類かの花が咲いている。例えば、黄色の小さな花…、恐らくは菊の仲間だろうとは思えるのだが。
 雑草というわけではなさそうだ。かといって、誰かが丹精篭めて世話していると思えるような場所でもない。通りすがりの誰かが、ゴミなど捨てそうな、何気ない場所。
c0008789_1722523.jpg 花にとって、雑草など、花の咲かない植物にとって、地上の世界とは一体、何なのだろう。たまさかの仮の宿なのだろうか。花は、寒くなってきた今も、恐らくは一晩中、咲きつづけている。葉っぱも、枯れ葉だとか紅葉などとは無縁だとばかりに緑色の光沢が鮮やかである。
 時間帯によっては、直射日光だって容赦なく浴びる場所。
 路傍の植物達が、とにもかくにも地上世界に顔を出した場所が、仮の宿だろうが、花粉か何かでもっと他の場所へ移っていくことを希(こいねが)っているのだとしても、いずれにしても、今、ここで咲いている、緑の葉を誇らしげに揃えている、この今の場所を終の棲家とするしかない。
 ということで、今日の表題は、「仮の宿」とすることにした。

「仮の宿」は、季語でも何でもない。
 ただ、これが「狩の宿」なら、冬、それも12月の季語のようである。文字通り、狩りをするための宿で、昔なら、山間の粗末な(?)小屋だったりしたのだろうが、今なら、旅館かホテルか、とにかく立派な宿舎なのだろう。
 いずれにしても、「狩の宿」は、今の我々には馴染みが薄い。あるいは、全くない。
 が、「仮の宿」となると、話は別だろう。
 今のマンションや頑丈そうな家に住まれる方であっても、どこか、日本人の多くは仮の宿という感覚があるのではなかろうか。

続きがあるよ
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# by at923ky | 2005-12-10 17:25 | 季語随筆

落句拾遺アップのお知らせ

 小生の雅句駄句落句、11月の成果をアップしました。
 これまでは「雅句駄句拾遺」と銘打っておりましたが、このたび、堂々「落句拾遺」と謳うことにしました!

c0008789_1955185.jpg


↑ 紫苑さんに戴いた京都南座の画像です。中村鴈治郎改め坂田藤十郎襲名披露とか。詳しくは画像掲示板の829を参照してください。

 落語なる芸事があるなら俳句ならぬ落句なる芸能があってもいいじゃないか、ということです。
 だからといって、別に、その、中村鴈治郎改め坂田藤十郎襲名披露に対抗しようなどといった野心があるわけじゃありません。

落句拾遺11-1」へゴー!

(覗きに行ったら、素敵な画像に逢えるかも!)
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# by at923ky | 2005-12-06 19:56 | 季語随筆

melma!blogサービス終了!

無精庵徒然草」は、事情があってこの「ココログ」と「melma!blog」にてアップしてきた。
c0008789_1863815.jpg 事情というのは、ブログを始めた頃、そもそもブログなるものが分からず、とりあえず取っ付きやすそうな「melma!blog」にて試験的に配信し、使い勝手などを確かめてみたのである。

← 真ん中付近の街灯の灯の直下に注目。明け方の月なのです!

 約二週間ほど運用してみて、なるほどHPと比べて一長一短はあるものの、文章や画像などをアップするという意味では小生にはとても楽で助かることが分かった。
 文章をアップする。小生はメルマガを02年の3月初めより(HPに遅れること一ヶ月ほどのこと)配信してきた。メルマガにて公表した文章は、随時、HPに掲載してきたが、どうにもアップ作業が追い着かず、数百個の文章がメルマガ配信による公表に留まり、HPには掲載できずにきた。
 それらの文章をHPにも収めたいと、それなりに努めてはきたが、溜まる一方という状況は一層、募っていくばかり。
(尚、申し訳なくも情なくも、肝心のメルマガは配信が頓挫したまま。やはり、今のところ、「無精庵徒然草」で手一杯なのである。アップを待つ書評エッセイ群をブログサイトに載せ終えた段階で、再度、態勢の見直しを図るつもりなのだが、今のところ不透明である。)
 そこへ、一昨年だったろうか、小生もブログという簡易な日記公表サイト方式があることを知った。半年余り、幾つかのブログの運用振りを眺めてきた。これなら自分にもなんとか出来るかもと感じられてきた。
 けれど、何事も腰の重い小生、ズルズルと昨年の夏を迎えてしまった。サンバに夢中になったりして、メルマガではなくHPに最初から掲載するレポート、そしてなんといってもサンバダンサーやバテリア陣らの画像を載せる機会も増えるばかり。
 とうとう、晩生の小生、昨夏、ついにブログに挑戦することに決めたのである。
 が、小生のこと、まずは簡単そうに見えた、また、たまたまメルマガの配信にも使わせてもらっていた「「melma!」の公式サイトを眺めていて、よし、やっちゃおう! と思い立ったのである。 
 それが、「melma!blog」なのだった。
 ついで、上記したように「melma!blog」での二週間の運用を経て、「ココログ」での運用に踏み切ったのである。
 このため、二つのサイトで全く同じ内容のブログ「無精庵徒然草」を運用する結果となったのである。
 それぞれに一長一短がある。「melma!blog」には下記するように、日付どころか、アップした時間までが記録される。アクセスも多かった!
 御蔭様で、ブログに手を染め始めたことで、溜まっていた雑文もブログサイトへのアップ作業も捗り、アップを待つのは書評エッセイを中心に残すところあと30個ほど(但し、メルマガで配信した文章のうちコラムエッセイを中心の約100個ほどの雑文は日の目を見る予定はない)。

 ところで、先ほど、たまたま「melma!blog」の公式サイトを覗いてみたら、なんと以下のような案内が:

melma!blog会員の皆様へ

「melma!blog」は2005年11月末日をもってサービスを終了することとなりました。
これまでご愛顧くださった皆様には、大変ご迷惑をおかけすることとなります。
詳細は下記よりご確認くださいませ。


 小生には全くの寝耳に水の話。
 これは困った。拙い!
 何が拙いかというと、アップした時間はともかく、上記したように「melma!blog」で先行する形で二週間、ブログを運用してきた。その間の文章は、当然ながらがこの「ココログ」での「無精庵徒然草」には載っていない。
 小生は、過去に書いた文章は、ネットの世界に参集した当初の一年分ほどを除いては、一切、保存していない。紙への印刷もしていない。全て、メルマガのサーバーかHPか(今はブログサイト)のサーバーに残っている(のを期待する)だけ。
 よって、ここに、「melma!blog」にて先行して掲載した雑文類をここに再掲しておく。
 但し、アップに際し画像は省きました。
                                   (05/11/05記)

ここをクリックして覗いてほしい!
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# by at923ky | 2005-11-05 13:13 | 日記・雑事

グローバリズムの影に怯える

[本稿の末尾に追記があります。]

 昨年の2月にインド西部の州グジャラートで起きた暴動を知る人は、日本では少ないかもしれない。事件勃発当時は日本でもニュースにはなっていたけれど。
 所詮は遠い地の出来事に過ぎないのかもしれない。
 小生にしてもそうなのだが、「ヒンズー教徒とイスラム教徒の間での暴動事件に引き裂かれた」事件の一つに過ぎないのだと思っていた。ただ、その事件での死亡者が多数に上ること、焼き討ちなどで「10万人近くが家を失った」ことがあり、日本でもニュースになったのだろうと思っていた。
 宗教的対立の凄まじさ。
 が実は、この事件の背後には、インド国内の宗教対立に隠されたもっと別の原因が潜んでいることを、小生は『 哲学クロニクル』というメルマガの「第351号 (2003年2月11日)帝国との対決(1)」で知った:

 その号に掲載されているのは、1997年度のブッカー賞を受賞したインド人の作家であり環境保護運動家であるアルンダティ・ロイ女史の講演である。
 彼女によると、

昨年の三月のことでした。グジャラート州では、国が後援した組織的な虐殺計画によって二千人のイスラーム教徒が殺戮されました。裸に剥かれ、ギャングにレイプされ、そして生きたまま焼き殺されたのです。放火犯たちは、店舗、住宅、繊維工場、モスクに火をつけて、略奪したのです。一五万人以上のイスラーム教徒が家を追われています。イスラーム教徒のコミュニティの経済的な基盤は破壊されました。


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# by at923ky | 2005-11-03 21:33 | コラムエッセイ

ジョージ・ワシントンの桜の木の逸話

 昨日のラジオでアメリカ合衆国大統領ジョージ・ワシントンの桜の木の逸話が話題に上っていた。
 その逸話というのは、「アメリカ合衆国の初代大統領、ジョージ・ワシントン(1732~1799)は少年時代、父親が大事にしていた桜の木を斧で切ってしまったのですが、正直に「僕がやりました」と告白。逆にその正直さに父親も「お前の正直な答えは千本の桜の木より値打ちがある」とほめたというあのお話」である。

 素直な小生は、ガキの頃、こんな話を多分、小学校の授業の中で聞いて、「そうか、正直って大切なんだ、でも、自分にはできないな」と、こっそり思っていた。
 この話にはいろいろ考えさせるところがある。
 そもそも正直に話したからといって、みんながみんな出世できるとは限らない。父親によっては、お前はなんて碌でもない奴だと罵倒された挙げ句、宮本武蔵ではないが、それこそ桜の木にぶら下げられる、なんていう罰を食らうかもしれない。
 あるいは、馬鹿だな、そんなこと黙っていればいいんだと大人の<知恵>を授けられるかもしれない。秘密を保てない人間は偉くはなれないよ、と諭されるかもしれない。
 穿った見方をすると、ワシントン少年は父親の性格を見抜いていて、正直に告白したら褒めてくれる父親だと分かって告白したのかもしれない。
 それに正直といっても、勇気を持って告白したのかもしれないし、ただただ黙っていることに耐え切れずに、打ち明けることで不安や孤独を紛らわしたい一心だったのかもしれない。小生が犯した過ちを打ち明けるとしたら、気の小さい人間で一人では秘密を保ちきれないからだったかもしれない。
 いずれにしろ、正直者というのは、為政者の立場からすると、国民としての大切な資質なのだということは痛いほど分かる(もし、小生が人を管理する立場の人間だったら、みんな、どんな隠し事もしちゃいけないよ、と言うだろうな。あるいは隠しカメラだって設置するかも)。だからといって、為政者が正直とは限らないのが皮肉というか、悲しいが。

 この有名な逸話を聞いた時、現下の英米によるイラク攻撃のことを連想した。
 イラクが大量破壊兵器を開発するためにアフリカのある国から大量のウラニウムを買ったという偽情報が英米からまことしやかに流され、この情報の故にアメリカ議会では民主党も沈黙を守る結果になったし、必要な時にブッシュ大統領がイラク侵攻を決断することを認めさせることにもなった。
 が、この情報はIAEAによって呆気なく否定された。この偽情報(偽造の証拠)の源は、イギリスの諜報機関「MI6」だった可能性があると指摘されてもいる。真相が如何なるものにしろ、既にアメリカのイラク政権を倒すという方針を左右するには遅すぎた。
[田中宇氏「諜報戦争の闇」参照 ]

 湾岸戦争の時もそうだった。クウェートの女性がアメリカの議会でイラク兵により赤ん坊が残虐な目に遭っていると証言し、その劇的な証言が開戦を決議する契機になったことは有名だ。テレビでもさんざん証言の様子が放映されたものだ。
 さらに、その証言が実はCM会社による作り話だったことを暴露されたことも、今では多くの方が知っている。
 確かに、アメリカは言論の自由の国で、秘密があったとしても、いつかは露見する国なのかもしれない。
 が、その秘密の暴露は全てが終わった後のことだ。
 つまり、イラクへの開戦が決まり、イラクをクウェートから撤退させ、大量破壊兵器の廃棄などを約束させた後、つまりは、アメリカの議会での証言の詐欺紛いの性格の暴露も、後の祭りというわけである。
 
 ワシントンが正直に告白したとしても、桜の木を切り倒した後のことである。後でいくら正直に言ったとしても、やってしまったことは決して取り返しが付かない。殺人を犯した後で、轢き逃げをした後で、実はあれは私がやりましたと言っても、殺された人はこの世に帰らない。一度決まったことは元には戻らない。
 
 さて、昨日のラジオでは、ワシントン大統領の子供の頃の逸話に関して、さらに先があった。
 それは、かの有名な話は、実は真っ赤な嘘、作り事なのだというのである。かの逸話が本当はある人物による作り話なのだということを、聞いた瞬間、えっ、と思ったが、そういえば、以前、作り話と聞いたことがあったかなと思われてきた。
 上掲のサイトから再度、引用する:
「……はこの習慣の由来となった桜の木のエピソードにも及びました。なんとこの話そのものが作り話だったという疑いがでてきたのです。この話はロック・ウィームズが書いた『逸話で綴るワシントンの生涯』という本の中で紹介されましたが、初版にはなく、1807年に出版された第5版から突然登場しているのです。どうもウィームズは売上を伸ばそうとして、それまであった逸話よりさらにオーバーなエピソードを「創作」してしまったようです」
 まあ、ワシントンが正直者だという前提があるからこそ、この話に信憑性を持ったのだろう。ニクソンやクリントンだったら、誰も信じないかもしれない。

 思うのは、アメリカの言論の自由であり、あるいは言論の怖さである。ロック・ウィームズ(Weems, Mason Locke 1759-1825)に類似した人間が自分の本をもっと売ろうとして、過激な話、実話でない話をでっち上げて、ある人物の印象を左右してしまう。ある人物を立派な人間に仕立て上げようとして、思いっきり脚色された人物像をテレビで新聞でネットで、あるいは本の形で、キャンペーンの形で世間に印象付ける。高潔で決断力と勇気のある大統領ブッシュ…。正義の味方。十字軍。

 我々の多くは、ブッシュ大統領の実像を知らないように、フセイン大統領の実像も知らない。フセイン大統領は(ブッシュ大統領よりは)教養があり、子ども好きで、女性の登用を含めて開放的な政策を採っていたのかもしれないし、あるいは英米が喧伝しているように、冷酷な独裁者で残虐な人間なのかもしれない。
 しかし、シーア派、スンニー派、クルド民族らの入り組む国家で冷酷な決断力がなければ国家が国家として持つのかどうか。だとしたら、非難する種なら無数に見つかりそうである。
 フセイン大統領の実像も、ブッシュ大統領の人間性も、このたびの戦いの評価も後世になって初めて定まるものなのかもしれない。
 その時になって、あの頃のアメリカは一部の狂気の集団が舵取りをした、アメリカが思い上がった不幸な時代だったと分かるのかもしれない。
 その全ては先の話だ。分かったところで、犠牲になった軍人も民間人もジャーナリストも帰ってこない。アメリカ軍は解放軍ではなく、ただの侵略者であり、実はやっぱり石油の利権とイスラエルとイラクという超親米の枢軸を作りたかっただけなのだと分かったところで、誰も責任をとるはずもない。
 すべては、物語、映像、印象、偏見、無関心、憎悪の渦巻く闇の彼方なのだ。



                               (03/04/11)
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# by at923ky | 2005-10-28 13:00 | コラムエッセイ