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ブログで拾った夫婦別姓の声(7)

「夫婦別姓の周辺」後日談など
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by at923ky | 2005-01-30 12:40 | コラムエッセイ

スキー靴の思い出

 もう、一回り以上も昔のこと、急に会社でスキーに行く話が盛り上がった。
 というより、しばしばそんな会話が交わされていたのだが、何故かその話の輪に小生が巻き込まれてしまったのだ。
 小生は、内気な人間なのか、自分から誰かを誘ったりはしない。しない、というか、できない。例えば、テニスとか、あるいはゴルフとかの話が出ると、何となくその話題の渦中に忍び寄り、誘っていただくという寸法なのである。
 で、スキーも、そういう次第だった。つまり、小生がスキーに関心を持ったから、そんな話題に耳を傾けた、と表現したほうがいいのかもしれない。
 さて、「お前はスキーに行ったことないんだろ、滑れるのか?」という社長等の冷やかしの言葉やら、「でも、雪国の人なんだから、滑ったこと、あるわよね」という女子社員の興味津々の問い掛けやらが、小生の周囲を飛び交い始めた。
 そう、もう、小生、一緒に行くと宣言してしまったのである。
 内心、冷や汗だった。そう、確かに小生は雪国生まれである。スキー板を履いて滑った体験はたっぷり、ある。ミカン箱の下に竹を釘で打ち付けて、即席の橇を作り、小高い山から滑り降りたことも、ないわけじゃない。
 が、その小高い山ってのが、問題なのである。その山は、せいぜい、数メートル。恐らく、一番高い山で10メートルで、ほとんどは2、3メートルの雪山に過ぎない。
 雪山って、つまり、道に降り積もった雪を脇に除ける必要があるのだが、そうした除雪で生じた小山とか、あるいは屋根から滑り落ちて堆くなった邪魔な雪の堆積塊のことである。
 それでも、そうした<山>から滑れば、それはそれで楽しかったのだ。
 思えば、小生の郷里は、ほとんど起伏のない地だった。やや久しい昔の幾度も繰り返された洪水などで形成された平野部のど真ん中にあり、何かの建物でもなければ、起伏など生じようがないのである。何処か、子供の足では遠いところまで遠征でもしないと、百メートル規模の山など望めなかった。
 今、小生は東京に在住しているが、東京がこんなにも坂の多い街だとは、住んで初めて知った。江東区などの埋立地以外は、小高い山や岡が広がり、その岡を削るようにして無秩序に街が出来上がった場合が多い。城下町とはいいつつ、山の手の武家屋敷跡に出来た町は、みんな坂道で繋がっている。しかも、その道が曲がりくねっていて、初めて来た人は、迷路のように感じるかも知れない。
 今にして、郷里の地の、まさに田園などに相応しい地の利を再認識した次第である。
 
 さて、話がまた、逸れた。
 つまりは、小生、平坦な田舎の田圃をスキー板を履いて走ったとか、あるいは、小学校のスキー山(昔、豪雪に苦しんだ時、せっかくだからと、校庭の脇に標高10メートル弱の小高い山を作ってもらったのだ、そう、スキーをするために)で少
々滑ったくらいしか、経験がなかったのである。
 小生の家では、誰彼が連れ立ってスキーをしに行くという趣味は当時、持ち合わせていなかったこともある。
 しかし、行く、一緒に滑ると宣言してしまったのだ。今更、あとには引けない。

 行くのはいいのだが、小生はスキー板もスキー靴も、スキー用の服も、とにかく何も持っていない。二度目、三度目にスキーに行く時は、小生は、スキー場で借りるように習慣付けてしまったが、最初ということもあり、周りのみんなの言いなりになった。
 服装については、小生が、日頃、オートバイに乗っていることもあり、少々、勝手が違うのだが、オートバイ用のジャケットやオーバーパンツ、そしてグローブで間に合わせることにした。みんな、それでいいじゃん、というし。
 で、スキー板もスキー靴も、会社の同僚から借りればいいってことになった。その彼は、もう、スキーは卒業したし、貸してくれる用具も古いので、初心者には丁度いいということになったのだ。 
 さて、しかし、借りた相手が悪かった。小生より若干、背が小さい。背だけではなく、足のサイズも小さい。早速、持ってきてくれたスキー靴を合わせてみる意味もあり、試しに履いてみたが、実際、窮屈ではある。でも、履けないこともない。
「どう?」と、女子社員たちが口々に聞く。
「うん、いいんじゃない」と、小生は、つい、言ってしまった。せっかく持ってきてくれた同僚にも悪いし、気の弱い小生は、他に返事が浮かばなかった。
 それが悪夢の始まりだったのだ。


                               (02/01/30)
[「無精庵徒然記」の「懸想文(売) 」の項で、スキー靴に纏わる話題を出したので、本稿は関連する小文ということで、急遽、アップする。三年前に書いたものだが、今、読み返してみて、中途で終わっていることに気付いた。というか、ここから先こそが話のメインなのに。そのうちに書き足したいものだ。]
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by at923ky | 2005-01-30 06:47 | 随想

原田泰治美術館のこと

[本稿は、03/12/05付けのメルマガにて公表した一文である。このほど、無精庵万葉記にて、「谷川晃一著『絵はだれでも描ける』」という書評エッセイを掲載したが、その中で、この一文に言及している。よって、ここに再掲する。悲しいかな、この美術館を未だ訪れていない。(05/01/22 記)]


 昨日だったか、ラジオを聞いていたら(NHK)、原田泰治美術館という名前が耳に。どうやら、原田泰治氏本人へのインタヴューのようだ。仕事中なので、例によって断片的にしか聞けない。
 例によってネットで得られた情報で聞き取れなかった部分を補いながら、若干、この話題の周辺を、メモしておきたい。
 まず、この美術館は他とは違って、<煩い>美術館なのだ、というのが印象に残った。
 聞きかじりなので、正確な理解とは言い難いかもしれないが、その館内の<煩さ>というのは、察するところ、原田泰治氏の作品の世界と無縁ではないようなのである。
 原田泰治氏は、グラフィックデザイナーであり、かつ、画家である。
 原田泰治氏の作品の世界は、一般的には、素朴画(ナイーブ・アート)と呼ばれているようである。彼の名前だけなら小生も聞いたことがあるし、彼の名前をすぐに思い浮かべられなくても、多くの人は、彼の作品を目にしているかもしれない。見れば、ああ、あの絵の作者なのか、と思われることもあるかもしれない。
 というのも、「1982年4月から2年半にわたって朝日新聞日曜版のフロントページを飾り好評を博した」ことなどがあるからである:
原田泰治美術館

 この美術館の名誉館長が、歌手のさだまさしだということが昨日のラジオで言及されていたかどうかは分からない:
原田泰治美術館
 どうやら、さだまさし氏が原田泰治氏の作品に惚れ込み、二人には長い交流があるらしい。
 さて、ネットにて、原田泰治氏の作品を見ていただこう。
 残念ながら僅か数点しか見ることが出来ないが、原田泰治の世界が素朴画(ナイーブ・アート)と呼ばれ親しまれる由縁くらいは感じ取られるかもしれない。
 話が戻るが、美術館の館内が煩いというのは、彼の絵を見て、訪れる多くの人が、懐かしい気持ちになり、ああ、昔はこうだった、あそこはこうだったという会話が自然に生れるからのようである。
 原田泰治氏は、「1歳の時小児麻痺にかかり両足が不自由になる」というハンディを背負いながらも、今、「「日本のふるさと」をテーマに全国47都道府県をくまなく取材し、そこにつつましく生活する人々の暮らしを限りない愛情を込めて描き」続けていると、昨日のラジオで話されていた。
 時代の流れで多くの日本のふるさとの風景が失われた。
 けれど、原田泰治氏は、そうはいっても、実際に歩いてみると、たくさん、いいものが残っている。自分は、そうした数々のものを描いていきたいのだと語ってもいた。描きたいものは、たくさんある、これから何十年どころか、何百年生きても描ききれないほどだとも。
 そうして描かれた日本の風景が館内に展示されている。美術館を訪れる方は多くが年輩だとか。だから、尚更、昔話に花が咲く、ということも<煩さ>に結びついているのだ。
 それだけではなく、「障害をお持ちの方、お年寄りの方への配慮」「目のご不自由な方への配慮」の尽くされた美術館でもあり、館内でお喋りについ夢中になり、話し声が大きくなろうが、そんなことなどどうでもいいことなのである。

 原田泰治美術館は、原田泰治氏の生地である諏訪市(諏訪湖畔)にある。この美術館は、二つの願いを込めて開館したという。
 一つは、「1つは詩情豊かな[原田泰治の世界]を核に、ナイーブアート(素朴画)の世界への発信拠点として成長、発展する美術館としたいという願い」であり、もう一つは、「「人に優しい美術館」として多くの方々から愛される美術館という願い」だとか。
 98年7月に開館したという。
 小生は、帰省の際には、スクーターで中央自動車道、ついで上信越自動車道と走るのだが、ちょうど、諏訪湖の辺りで道がクロスしている。
 いつも、素通りだった。知らないとはいえ、惜しいことをしていたものである。今度、何とか時間を作って、ほんのしばしでも、この湖畔の美術館に訪れたいと思った。

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by at923ky | 2005-01-22 11:47 | 人物紹介

炭 太祇のこと

 前項で、炭 太祇の句、「寒月や我ひとり行(く)橋の音」を引用させてもらった。
 せっかくなので、炭 太祇のことをネットの上でだが、調べてみた。

 炭 太祇の句選集である『太祇句選』によると、「たん・たいぎ(1738-1791) 京都島原に住み不夜庵と号した。蕪村らと交遊。『太祇句選』……没後、蕪村・嘯山が選し、門人呑獅が刊行。明和9年刊。前記三人の序。」とある。
「広辞苑」によると、「江戸中期の俳人。江戸の人。雲津水国・慶紀逸(けいきいつ)に俳諧を学び、のち旅をつづけ、京都島原に居を定め、不夜庵と号。俳風は人事を得意とし、高雅で清新。句集「太祇句選」。(1709-1771)」とある。
 ん? 生没年が上と違う。他のサイトを見てみよう。

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by at923ky | 2005-01-22 01:09 | 人物紹介

男と女と家事と

 過日、ラジオを聞いていたら家事を男性がもっと受け持つべきかということで議論されていた(TBSラジオのアクセスとかいう番組)。
 残念ながら、小生はその番組のお終い部分を聞きかじっただけで、どんな議論が交わされたのか、よくは分からない。
 ただ、いずれにしても、少なくとも日本においては、男性が家庭において家事を受け持つ度合いが低いことは、統計上、歴然としているようだ。欧米などと比べるのは、文化の問題とか斟酌すべきだろうし、一概に多い少ないを論じても、不毛な議論になりかねない。
 それでも、日本において夫婦共稼ぎの家庭であっても男性が家庭において家事を分担する割合も、家事に費やす時間も欧米に比して少ないという現実は、はっきりある。
 それは、文化の問題なのだろうか。伝統に根ざしたものなのだろうか。それとも、歴史の中で作り出されたものなのか、という点は、多少考えてもいいように思う。
 日本は、江戸時代などは封建的な時代だったという。身分制度も厳然としてあったわけだし、男尊女卑の風もあったようでもある。
 しかし、江戸時代の武士階級は家督が長子に譲られるわけだし、そのため女性は子供を産むための存在、つまりは血筋を保つための道具、あるいは大名家同士の政略上の道具にされてしまった面がある。平安の昔を顧みるまでもなく、女性には名前すら判然としないことが多い。
 が、では、一般庶民の間ではどうだったかというと、男だろうと女だろうと子供だろうと、労働力の一端を担うのは当然とされ、従って女性も一定程度の力や役割を有していたと考えていいようだ。
 鎌倉時代であってさえも、しかもその時代の武士に限っても、女性は実際、絶大な権限を有していたようだ。
 というより、武士の妻は、子どもの養育・家の財産管理・従者の管理指揮など家の中のこといっさいを取り仕切っていたのではなかったか。別にテレビの大河ドラマを見るまでもなく、武士の妻たる女性は御台所とか呼ばれて、奥向きの一切を分掌していたわけだ。
 一般庶民は押して知るべきであろう。
 それが変貌したのは、江戸時代ということになるのだろうか。

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by at923ky | 2005-01-22 00:54 | コラムエッセイ

ネットと切れた日に思う

 過日、パソコンが不調になり、Windowsがまるで立ち上がらなくなった。幾度、再起動しても同じメッセージを示す画面が現れ、どのキーを押しても画面が消えるというのである。
 こうなると、システムに弱い素人の小生には、手の施しようがない。仕方なく、業者を呼ぶことにするが、その間の数日は、ネットにつながりを持てない日々となってしまった。
 それどころか、そもそもWindowsが開けないのだから、パソコンを使うこと自体が、論外という状況なのである。
 小生は、ホームページを持っており、そこをベースにメールマガジンを発行している。
 仕方なく、小生は近所の図書館のインターネット体験コーナーへ出向き、パソコンを借りて、ホームページに事情を書き込み、同時に配信予定のメールマガジンが発行できなくなったことを告げる号外の号を急遽、配信した。
 その上で、土曜日からほんの数日、ネットとは繋がりを持てない日々を過ごすことになったのである。数日とはいうが、正味二日あったかどうかだ。
 が、そのホンノ僅かの時間が、ネットの世界で様々な人々と関わることを習いにしていた自分には、とても寂しく、また、宙ぶらりんの時となったのである。
 週末の日曜日は、一日がとっても長かった。遅めに起きたのだが、それでもベッドでゆっくり惰眠を貪り、かつ、少々の読書をして10時半頃、ようやく起き出す。

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by at923ky | 2005-01-22 00:46 | 随想

煽る文化の行く末は

 小生は結婚しているわけでも、まして子どもがいるわけでもない。だから、子どもについての教育論を語る土壌そのものが無い。
 それでも、子ども達の生活環境を見ていると、感じることがないわけではない。所詮は子育ての経験のない外野の感想に過ぎないのだろうが、メモ程度に綴ってみる。
 感じるのは、表題にもあるように煽る文化が小学生(あるいは未就学児童)にまで及んでいるということだ。ほんの一昔前、女子大生ブームだった頃がある。おにゃんこクラブが大人気だった頃と時期的に重なっているような気がする。
 オールナイターズというグループがあって、構成するメンバーは女子大生(女子短大生)だった。
 それが十年も経たか経ないと、80年代の終わりから90年代の初めは、今度は女子高生ブーム(?)がやってきた。女子高生の援助交際(援交)が先端の現象としてマスコミでクローズアップされた。マスコミに採り上げられたことで、また、援交が全国的な現象となった(あるいは、全国的な現象なのだということが分かった)。
 それが10年足らず続いたかと思うと、次は中学生がそうした社会風俗現象の一番の先端世代として扱われた。化粧品も、女子高生から中学生にまで売る圧力、つまりは買う圧力の下、一気に広まった。ブランド物(バッグや小物、アクセサリー類)も、中学生(女子)たちは、同じような圧力の下にあるのが常態化した。
 中学生の援交が当然のように話題になり、風俗での人気のターゲットも中学生の女の子に定まった。
 そんな中学生が脚光を浴びる中心だった時期はあっという間に過ぎ去った。この数年、特に去年から露骨となったのは、小学生の女の子が化粧や買い物や風俗の中心ターゲットになっていることだった。
 化粧品メーカーは、テレビで平気で小学生相手の化粧品を宣伝している。ブランドメーカーも、日本における販売の裾野の広がりを大歓迎しているようだ。
 当然ながら、常識的な形では購入が叶うはずもない。買えるものと買えないものとの差が歴然としてくる。我慢出来る子は少ない。我慢させる親も少ない。他の子が化粧してるよ、化粧するのは当たり前だよ、みんなにバカにされるよと言われると親も返事ができないらしい。
 それでも一応の歯止めに親がなっている場合もある。その場合でさえ、親の前ではしおらしく振る舞っても、さて、親の目の届かないところでの子どもの振る舞いとなると、信じるしか術(すべ)はないようだ。
 教室で、あるいは登校、特に放課後は、プレッシャーとの闘いらしい。街中を行く女の子を見ると、何かの雑誌の頁を切り抜いたかのようなファッションの子が見受けられる。
 顔は幼いのに、目元にアイラインが走っていたり、頬紅がまぶされていたり、持つ小物がいかにも高価な品物と分かるものだったり。
 そもそも、そうした子ども達の親が既に援交世代なのだ。高校生・中学生の頃から化粧をし、ブランド物の小物を持ち、最先端のデザインの衣装を羽織るのが当たり前だった世代になっているのだ。
 そして、社会というのは、派手な子どもが目立つ。そんな子どもがクラスに一人か二人居ると、もう、その圧力は周囲に瞬く間に感染する。波紋が広まる。自分も負けてはならないと意地でも派手なファッションへと走る。
 援交世代の次の世代は、セックスに関しても、罪の意識とか、体を大切にしなければとか、大人にどんな奴がいるかなど、何も考えないうちにカネに換算することを覚える。本当に思春期を迎えた頃には、深く深くカネと欲望の泥沼に嵌り込んでいる。喫煙と同じで、体に有害だと理解できる年齢になる頃には、習慣性が体に浸透し、もはや泥沼から足を抜くことはできなくなる。
 しかも、脚光を浴びる年齢は下へ下へと下がる一方だから、思春期になり体を、つまり自分を大切にすることの重要さに気づく頃には、市場価値は低落の一途を辿っている。カネの必要は年齢を重ねると、余計に高まるばかりだから、結局は、より劣悪な環境下で安い値段で体や心を売るしかなくなる。
 あるいは、自分に市場価値がなくなっているけれど、より若い子に値打ちがあることを知っているから、関係する市場で自分がブローカー的な役割を果たしてみたりする。
 言われるように現代は、映像の時代、露出の時代、話題の俎上に載ることが何よりも大切な時代なのである。他人に見える形で自分が露出していることが、何よりも大切なのだ。男の場合は、出世コースに乗ること(依然として、それが厳然としてあると思う。有名なブランドの大学や企業にコンタクトできるか否かが何より大切なのだ。履歴書や名刺に堂々と書き込める経歴が大切というわけだ)。
 内に秘めた情熱とか、簡単には表現できない人間的な魅力や優しさは、瞬間芸を求められる現代において、つまり、マイクやカメラを向けられた瞬間に瞬時に輝けるような才能が至上の才能とされる現代において、価値を持てない。カメラを向けられてすぐさま自分の能力や才能や輝きを示せないなら、見ている観客がイライラする。時間を無駄にされたように感じる。
 そう、大人の社会もイライラしている。成果は、直ちに数字となって表せないと、誰にも評価されない、実力は無いものと判断される、そんな情報化社会と言う名の短気で視野の狭い社会に生きている。そんな社会で神経を磨り減らされている。
 だから、テレビを見ても、結果が即座に出ないならチャンネルを切り替えるのみなのだ。
 見た瞬間、美しいかどうか、見た瞬間、優しいと感じられるかどうか、見た瞬間、身なりが立派かどうか、見た瞬間、体型が好ましいかどうか、見た瞬間、ビジュアル系かどうかが、何より大切なのである。
 結果重視、成果重視、短期での成功重視の社会。そこにモラルの入り込む余地などない。人の心がどうだとか、弱いものの犠牲の上に成り立っているとか、そんな<悠長な>議論など、何処か他所でやってくれ、というわけである。
 人間は商品である。カネに換算できる。換算できないものは、人間として値打ちがない。脱落者だという烙印を押される。 
 そんな中、癒し系だとか、和み系だとか、時代の潮流に抗うかのような動きもある。が、小生が見るところ、そういう系に入れるくらいなら、最初から苦労もしないし、悩みもしないのだ。化粧品メーカーを突端とする人間の表情や感情をもカネに換算しようとする圧力の波は、大多数の弱き者を呑み込んでいる。

[誤解して欲しくないのは、小生は化粧品メーカーを悪者扱いにしているわけではないことだ。分かりやすいから例として採り上げているだけである。例えばお菓子のメーカーも新しい味を開発・開拓し、新しい嗜好を大人にも子どもにも広げようとする。これも、善悪の両面から理解できるが、いずれにしても立派な煽る文化の事例である。他に飲料メーカー、ドラッグのメーカーなどなど、事例は無数にある。それぞれのメーカーや販売側は、個別には善意で動き、研究開発していると小生は理解している。]

 他の人がやっているから自分も、そうしないとダメだという弱き者、自分で自分をしっかり見詰められない者、流れに乗るしか能のない者、虐めを誰かがやっていて、それが教室の大勢なら、事の善悪など度外視して自分も加わる、そうしないと自分もやがて虐めのターゲットになると恐れる、自分が仲間外れにされる、そんな自分に自信がない弱き者達が、流行の洪水の犠牲者になっているのだ。
 そんな渦中にある者達に、癒しだとか和みだとか言ったところで、馬耳東風になるしかないのである。
 今、人間をトコトン商品化する圧力の波の先端は小学校の高学年になっているようだが、早晩、低学年にターゲットが絞られるのは、目に見えているような気がする。やがては未就学児童さえも、化粧やブランド物を所有する圧力の潮流に飲み込まれるのだろう。
 いや、幼児のうちから、子供向けファッション雑誌を参考にした小奇麗な衣装を纏わせて悦に行っている。既に親たちが子育ての初期の段階から、身心共の商品化の社会の予備軍に子どもを仕立て上げているのだ(よく言えば、子どものうちから商品化社会に対する免疫を与えているとも理解可能かもしれないが、可能性の話に過ぎない)。
 人間とは何か、などといった悠長な問いなど、通用しない世界。そんな暇もないうちに、時代の波が子ども達を飲み込んでいく。
 親たちも、子どもを大切にしている。この大切というのは、一応は子どもに意見をするが、結局は、子どもの言いなりになること、それが子どもを大切にすることと実際には等価であること。つまりは市場を子どもに広げたいメーカー側の思惑に合致すること、それは大人の社会の論理が子どもにおいて貫徹することに他ならない。
 煽る文化に終わりがあるとは思えない。一旦、煽りの情念に火が点いた以上は、行き着くところまで行くしかないのかもしれない。が、小生には、一体、どうなった状態が行き着く先なのか、まるで分からないのだ。
 子を持つ親たちは、このままでいいと思っているのだろうか。子のない小生などが何を言っても、説得力などないことは分かっている。小生などが心配しても何の意味もないことも痛く、感じている。
 でも、街中をちょっと歩くと、明るそうな笑顔の陰に、悲鳴を上げる無数の子ども達の存在を感じる。何処かのスモークガラスの車の中から、何処かの瀟洒な高級マンションのベランダ越しの窓から、校庭の隅っこから、何処かのビルの谷間の一角から。
 こんなことを書きながら、溜め息をつく。所詮は、外野でのぼやきにしか過ぎないのだと感じて。

 


                                   (03/08/21)
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by at923ky | 2005-01-14 23:29 | コラムエッセイ

ダイエット! ファッション!

 中国製「やせ薬」が今、世間を騒がせている。漢方薬ということで、健康的に痩せられるという謳い文句が受けているようだ。
 実際に買った人の中には、実際に痩せる人もいるという。ただ、痩せない人もいるし、異常に痩せて、驚いて病院に駆け込んだり、あるいは献血の際に血を調べたら、汚れすぎていて献血には向かないと断られた人もいる。昨日のラジオで経験者と称する人の話を聞くと、事情は様々なのである。
 いずれにしても、下手すると肝機能障害や甲状腺異常などの被害を受けている人が全国で多数いることは、報道などで既に明らかである。死者も一人や二人ではないようだ。被害者の総数というと、三百人を超えているようである。
 これらは、多くインターネットでの個人的な買い付けで、法の網の被らない購入方法での入手によるもののようだ。
 健康食品は、あくまで食品であって、薬事法などで規制されるような薬は入っていてはいけないのだが、実際には何故か混入されていることが多い。
 それは、服用なり実際に食べたりしての効果が、劇的に現れることを期待してのことだろう。本来、漢方などは長期間の服用が正しい使い方だし、その場合でも専門家のアドバイスの上での服用が望ましいことは言うまでもない。
 なのに、こうした安易な入手と服用が蔓延るのは、何故なのか。
 健康食品だとか漢方という言葉が隠れ蓑になっていることは、まず言っていいだろう。
 表面的なイメージに過ぎないのだが、漢方というと体にいい、そして中国からのものだと訳も分からず、とにかく西洋的な薬品とは違って、長い歴史が背景にあり、体に優しい薬なのだという印象を多くの方が持っておられる。
 小生も、そういうイメージを抱いていることは認めるしかない。
 しかし、それでも、漢方だからと購入したりはしない。まして、服用などは論外だ。
 しかし、考えてみると、それは自分が、必ずしも痩せることに、それほどのメリットというか、緊急性を感じていないからなのかもしれない。痩せたいなら食を控えるより、薬に頼るより、まず、運動だという常識的な考え方が潜んでいるし、その考えで当面は乗り切れると思っているからなのだろう。

 だが、世の中には、そうでない人たちもたくさんいる。昨日のラジオでも、ある女性の方が、そうした痩せ薬をネットでも安易に入手し使用する気持ちが分かると述べられていた。
 その人は、小さい頃から、デブ、デブと、散々男の子達に虐められてきたそうだ。
 その方の場合、体は別に太ってなくて、むしろ体型や体重は標準程度なのだが、顔が丸顔で、そのため太っているかの印象を周りが(一部の連中が)持つらしいという。
 で、その女性は、何とかして痩せなくてはと、一日をプリン一個で済ませるなどの食事制限などを行ってきたという。涙ぐましい努力を払ってきたわけだ。それでも体が持ったのは、彼女がまだ若かったからに過ぎないのではないか。
 では、何故、デブ、デブと虐めたりするのか。太っていてはいけないのか。太ることは罪なのか。
 また、男の子達は、何故、<デブ>を差別し虐めるのか。誰がそんな価値観を男の子達に刷り込んでいるのか。テレビや雑誌や、親たち以外にないだろう。
 特にテレビや雑誌などで「やせること」に絡む特集が、非常に多いことに気が付く。
 やせることが至上なのである。太っていること、それどころか健康的な肉付きでさえも、非難の対象であるかのようだ。何故にそんなに脅迫的に痩せることが奨励されるのか。

 ここには、一部のメーカーサイドの計算が働いているように思えてならない。
 化粧品もイメージ戦略で徹底的に売り込まれ、今は男性のみならず、若い女性、果ては子供にまで化粧品が売り込まれている。子供用の化粧のパレットなどが売られている時代なのだ。
 単に健康であるとか、清潔であるとか、元気であることでは足りないというのだ。
 体の匂いさえも敵視される。汗など論外だ。シミやソバカスなど最低。髪の毛は天然の色ではダメで(持って生まれた髪ほどに個性的なものはあるだろうか?)、何かしらに染めないと個性的ではないというのだ。染めたら他人と似たり寄ったりになるじゃないか!? 髪の毛も顔の色や形も、もともとみんな違っているではないか。生まれながらにそれぞれに個性を持って生まれてきたはずじゃないのか。
 それが、どこかのメーカーの戦略で、個性の強調という名目で、流行の化粧法が施され、結局は個性が消えて、どこの地方へ行っても似たような髪型、似たような化粧法、似たようなファッション、似たようなアクセサリー、似たようなベルトやバッグなどの小物となっている。
 果ては、発想法までが雑誌かテレビの影響なのか、紋切り型になっている。口調も含めて。
 ここまで個性がメーカーの戦略の結果、似たり寄ったりに成っているというのに、どうして気付かないのか不思議だ。
 というより、ファッションというと、個性をイメージする自分のほうが時代遅れであり、勘違いしているのかもしれない。ファッションというのは、流行であり、他の人と似たような土俵に載ることに他ならないのだ。ある流行の化粧や発想法のシンボル体系があり、その体系の中で、ほんの僅かの違いを見出して、それが個性だと主張するのが現代のファッションなのかもしれない。
 要は群れたいということなのだ。群れの中で、胸や顔につけるゼッケン番号だけ、ちょっと違う、見分ける識別番号さえ違っていればそれでいいということなのかもしれない。

 つまり現代のファッションとは個性の抹殺であり、自分で個性や健康や生き方を考えることの忌避なのだ。考えるのはメーカーに任せろというのだ。
 同時に、もしかしたら自分で考えることに対する恐怖感があるのかもしれない。自分で生き方を考えるとは、孤独を引き受けることに他ならず、そんな気概など、初めからあるはずもないのかもしれない。
 それはそれで、人様のことだ。勝手にすればいい。
 ただ、問題なのは、その土俵が非常に狭いことだ。あまりに狭く堅苦しく紋切り型に堕していることが問題なのである。
 やせることに価値を見出すのもいい。でも、太ること、つまりは健康的であることに価値を見出したって構わないじゃないか。何故、狭い価値体系の中に人間を、しかも若く感受性の強いはずの女性たちを追い込むのか。化粧品メーカー、薬品メーカー、食品メーカーのエゴがどれほど世界を窮屈にしているか、再考すべきではないか。
 流行は巨大メーカーの戦略の中で作られる。その演出され計算された土俵の上で、バカな踊りを踊らせられる。
 もっと世界は豊穣なものだと思う。何処かのメーカーの都合で左右されてはならないと思う。
 あるいは左右されないだけの価値観を作ること、それ以外に強制された窮屈な価値観地獄から脱する道はないのかもしれない。



                            (02/07/25)
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by at923ky | 2005-01-14 23:22 | コラムエッセイ

「夫婦別姓の周辺」後日談など


 SJさん、こんにちは。コメントをありがとう。

 さて、小生の述べた「従来は結婚したら女性は男性の家の姓に変更することが、民法で決められている」という点は、確かに小生の事実誤認ですね。
 
1898年(明治31年):明治民法公布・施行
◎788条「妻は婚姻に因りて夫の家に入る」

 であり、

1947年(昭和22年):民法の親族編・相続編の改正
◎750条:「夫婦は、婚姻の際に定めるところに従い、夫又は妻の氏を称する。

 つまり、「民法の改正を受けて「家制度」は廃止され、法の上では男女は平等になった」わけです。
 むしろ、今の日本は未だに明治の民法など(あるいは明治の封建的な社会風習)に引き摺られて、制度上は男女同権であるにもかかわらず、実態においては、男尊女卑的風習が残っていると言うべきだったと思います。
 つまり、結婚したら民法上は夫や妻のどちらの姓を名乗っても構わないのですけど、実際には夫婦の99%は夫の姓を名乗っているようです。
 それは夫が妻の姓を名乗ると、婿養子という扱いに(実態の上で)され、それだけで男は甲斐性なしだと世間から見なされかねない実情があるからでもあるようです。
 別の観点から言うと、明治の民法でも示されているように(◎746条「戸主及び家族は其の家の氏を称す」と規定)「家」の制度の風習が色濃く残っているからでもありましょう。
 今でも結婚式というと、田中家と山口家の云々と式場で表現されたりするように、社会的に古い慣習が是認されているようです。
 名前に拘る、ましてどちらの名前にするかに拘るというのも、「家」の制度を当然の如く前提にしているからだろうと思います。
 さて、選択的夫婦別姓制度については、小生の中にある感覚からすると、やっぱり夫の姓に妻も合わせろよ、と、夫婦が同姓を名乗って初めて一体感があるんじゃないか、別姓にしたら子供が将来、困ることになるんじゃないか、更には、「家」の崩壊は、つまりは古き良き社会の崩壊に繋がるんじゃないか、そんな取り留めのない思いが様々、脳裏を巡ります。
 一体、夫婦とは何か。結婚という制度に裏打ちされないと存立されないものなのか。では、制度上(結婚というお役所に認められた手続きを踏んでいないが故に)独身の者達は冷遇されたままでいいのか。
 女性の晩婚化が進み、更には独身願望が強まる中(結婚はしない、けど子供は持つというケースも含めて)、もっと個々人の自覚と独立心が求められる世の中になるのだろうと思います。それは個々人の、古き良き時代への懐旧の念とは別個の、もっと大きな流れとして、「家」から「個」への比重のシフトが目立ってくると予測して、大きくは外れないでしょう。
 今、多くは子供は夫婦の間から生れます。が、将来、クローンなどという極端なケースは取り合えず想定しないまでも、それこそありとあらゆる男と女(あるいは男と男、女と女という繋がりも含めて。その人たちだって、結婚したいし子供を持ちたいと思うわけですから)の形態の輻湊を前提に社会が成り立つようになっていく、そう予測せざるを得ないと思います。
 恐らく、時代は選択的夫婦別姓以上に進んでいく、制度は実態を追随さえ出来ない、そんな予感がするのです。
 戴いたコメントへの返事にはなっていないでしょうが、正直、そんな感想を持っ
ているのです。



                              (01/08/29)
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by at923ky | 2005-01-10 01:54 | コラムエッセイ

夫婦別姓の周辺


 昨日、ラジオを聞いていたら(TBSのアクセスとかいう番組だった)夫婦別姓をテーマにバトル(論戦)を展開していた。
 従来は結婚したら女性は男性の家の姓に変更することが、民法で決められているのを、今後は、民法の改正により、結婚後の女性の姓の如何は、その結婚する男女の自由な決定に委ねられるという法案が提出に向けて、いよいよ現実化してきたことを受けてのテーマ選択だったのだと思われる。
 興味深かったのは、男性は別姓に多数が反対し、女性は多数が賛成だということである。その女性たちも、いざ自分達はどうするかについては、自分は男性の姓を名乗るとしているにも関わらずである。
 やはり女性は結婚による改姓の不都合を実感をもって感じている、けれど、未だ別姓を自分が実行するには躊躇いがあるが故のアンケート結果なのだろうと思われた。
 ところで、番組の中で明治の昔、福沢諭吉は結婚したら、夫婦の間で協議して新しい名前を作れるようにしたらと提案していたらしい。
[福沢諭吉は「新婦人論」で結婚後の姓は結婚後に新しく作ってはどうか(例:山田+中村=田中)と言っている]
 実は小生も、どうせなら別姓にするくらいなら、夫婦版創氏改名を、と考えたことがあるから、昔、そんなことを考えたことがある人間が他にいると知って、面白いと思ったのである。
 小生がそんなことを考えたのも、男女同権を心底から実現するなら、男女別姓か、あるいは夫婦の姓から別の姓を創るに如くはないと思ったからである。
 ところで、この別姓の件をちょっとネットなどで調べてみたら、今のような結婚したら男性の姓を女性が名乗ると強制されるようになったのは、意外に新しくて、

1898年(明治31年):明治民法公布・施行
     ◎788条「妻は婚姻に因りて夫の家に入る」
     ◎746条「戸主及び家族は其の家の氏を称す」

と、1898年からだったのである。
 実際、1867年(明治9年):太政官指令・内務省指令では「結婚後も女性は改姓しない」

とあったというのだから、我々が思うような封建的制度なんていうのは、実は江戸の昔からというより、実は明治の半ばから、庶民に強制されたイメージそして実態だったのかもしれない。
 更に670年:日本初の全国的戸籍「庚午年籍」ができ、夫婦は同じ戸籍に入っても別姓だった。源頼朝と北条政子、足利義政と日野富子のように、日本は伝統的には夫婦は別姓である。
[以上の引用はここを参照]

 日本はつい19世紀末までは伝統的に夫婦別姓だったのである。
 それが男性の姓を名乗ることを強制されたのは、戦争(=軍国主義の台頭)が背景にあったのだと推測される。
 戦国時代や江戸時代はどうだったのだろうか。
 何かの本で読んだのだが、江戸時代は封建的だったと一般にいうが、事実、女性は鉄漿(お歯黒)を象徴的例とするように、「家」の中に閉じ込められていたというイメージが強い。
 が、少なくとも江戸の都などに関しては、数の上で男性が圧倒的に多く、女性が少なかったので(それ故、吉原などが作られた)、女性の希少価値が高く、従って、男性の女性への気遣いは大変なものだったという。
 まあ、庶民の間では姓などはなかったらしいので、男女が同姓ってこともありえないわけである。男は掃いて捨てるほどいたから、男が気に食わなかったら、女は風呂敷堤一つで他の甲斐性のある男のところへいつでも移っていけたわけである。
 しかし、実情はどうだったのだろうか。
 さて、夫婦別姓論議は、いよいよ夫婦別姓の自由へと現実味を帯びだしている。男性が甲斐性がないのか、女性の社会進出は目覚しい。未だ、女性の受け入れ態勢は整っていないとしても、男女を問わず、能力のある人材の活躍が期待される今日、男女のあり方を含め、社会の在り様は大きく変貌しそうである。



                            (01/08/25)
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by at923ky | 2005-01-10 01:49 | コラムエッセイ