<   2004年 12月 ( 23 )   > この月の画像一覧

「茶の湯とキリスト教のミサ」に寄せて

 Sさん、こんにちは。
 とても興味深く読ませてもらいました。
 日比屋了慶とルイス・デ・アルメイダとの逸話も、小生には初耳でした。
 早速、ネットで調べてみると、以下のようなサイトがありました(但し、「日比屋了珪」と記されている)。
 戦国時代、そして大航海時代の当時、日本もヨーロッパの国々の支配への触手が伸びたわけです。その先兵が例によって宣教師達だったわけですね。茶の湯に限らずキリスト教の影響は広範に渡って及んだもののようです。
 けれど、民度の高さに、簡単には支配の手が及ばないことを悟ったとも聞いています。下々の民衆であっても、渡来の文化に興味を示し、理解し、学習し、習得し、我が物としていく文化に脅威を覚えたのでしょうか。
c0008789_2033242.jpg
 
 利休も、彼自身は分からないけれど、彼の後妻や娘の中にはクリスチャンがいたようですし、利休が考案したと言われる茶杓に、十字架のモチーフを読み取る向きもあるようです。
[茶杓(ちゃしゃく)はあるサイトを参照 ]
 袱紗さばきや回し飲みの技法も、当時の宣教師等が行っていたものを真似たもののようですね。
 「千利休とその妻たち」の著者・三浦綾子氏が、ある時、利休の子孫と言われる千宗室氏を訪ねた際、利休の切腹の理由は如何にと問うたところ、宗室は即座に利休がクリスチャンだったからと答えたとか(エッセイの中で三浦氏が書いている逸話)。
 「茶の湯と十字架」の関係については、以下の本があるようです(小生は未読):
 『茶道と十字架 』(増淵宗一著、角川書店)

 何処かのサイトで読んだことで、茶の湯の道についても詳しくない小生が真偽の程を確かめ様がないのですが、茶室の出入り口(躙り口)が狭いのは、天国へいたる狭き門を象徴しているという説もあるようです(四畳半の茶室そのものは、村田珠光(1423~1502)の創案によるもの)。
[この項も含め、飛び石などの庭園の思想とキリスト教の関係は、茶室への躙り口や、利休が切腹を命じられたのはクリスチャンであったが故であると
いう逸話も含め、このサイトに詳しい。 ]
 その村田珠光は寺を追われた身だったようですね。
 でも、禅の教えを捨てられなかった。そんな時に京都で出会ったのが、能阿弥(1397~1471)や一休だったわけです。能阿弥からはお花の生け方を学び、和の文物への眼識をも学んで、後の侘び茶へ繋げていったのでしょう。
 だからこそ、茶の湯の世界には、自由な誰もが親しめる形での禅の教えが茶の香りのように漂っているのでしょう。
 大きな声では言えませんが、濃茶を喫することは、健康にいいだけでなく、座禅で長く坐っている際の、眠気覚ましに効果的だったとか。修行にも、いろいろ苦労があったんですね(小生は、この眠気覚ましに効果的という一点で、禅とお茶の関係に得心が行ったものでした。ああ、なんて下世話な理解だろう)。
 村田珠光が親しめる形に大成する以前のお茶(お茶の葉っぱの種)は、栄西禅師により中国(宋)から1191年に齎されたものであることはクイズの問題などで出題されることがあるように、よく知られていることです。但し、栄西のお茶は、いかにも禅の修業と教えの厳しさとから切り離すことの出来ない、厳かなお茶だったとか…。

 但し、歴史を遡ると、遣唐使により平安時代の頃には(ことによると奈良時代の頃には既に)齎されていたとか。貴族や僧侶の間では、その形は分からないけれど(中国の風習に学んでいたのでしょうけど)お茶は広まっていたようです。
 あるサイトによると、「日本のお茶の歴史は、平安時代に遣唐使の一行に加わって唐に渡った3人の僧、永忠、最澄、空海が、日本に喫茶の風習をもたらしたとする説が一般的」だとか。
 このサイトによると、「文献上では「日本後記」の815年の記事に、僧の永忠が自ら煎じて嵯峨天皇に献じたという記事があ」るということです(小生は未確認。でも嵯峨天皇とお茶の逸話は有名ですね)。
 さて、日本のお茶のルーツが中国にあることは間違いないのでしょう。飲茶の風習は数千年の歴史があるとか。お茶に毒消しの効果があるということは古くから知られていたようだし。
 ただし、当然のことながら仏教を含めて宗教との繋がりは必ずしも明確ではないようです。もともと中国にあった風習が、後に中国に伝わった仏教の世界にも無関係ではありえなかったということなのでしょう。
 日本へお茶の文化が古来より中国から直接、あるいは朝鮮を通じて入っていても不思議ではない。お茶と認識していたかどうかは別として、薬草とか漢方に類するものとして、日本でも有史以前から伝わっていたのではないだろうか。
 日本に渡来した中国人の先人が、そうした日常生活に不可欠の産物を齎さないとは考えられないからだ。それが継続する形で日本に土着したかどうかは分からないとしても。

「禅やキリスト教の儀式を形骸化させることによって、日常のなかに宗教的な境地を呼び入れた。茶の湯は信仰を持たぬ者にも宗教の喜びを味わわせてくれる」という指摘は、粗忽な小生も納得します。
 特に利休が大成したお茶は、キリスト教への態度が厳しくなる中、見かけの上での脱宗教(脱キリスト教)が絶対条件だった以上は、宗教臭さを極力排したものと推測されます。
 その結果が、我々に親しめるお茶の文化になった…としたら、皮肉な歴史を感じざるを得ません。
「教えはあるが、伝道はない。祈りはあるが、神はいない。」至言ですね。



                                    (02/11/15)
[本稿は、Sさんの「茶の湯とキリスト教のミサ」と題された一文に寄せたコメントです。]
 
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by at923ky | 2004-12-27 00:17

夕方の風

c0008789_052475.jpg 買い物やクリーニング店に行くため外に出たら、吹く風が心地いい。
 午後、ザッと雨が降ったにも関わらず、からっとした、ひんやりした風だ。ようやく記録的な暑さがやわらぐのだろうか。
 息をするのが楽になったような気さえする。
 明日は(東京は)雨が降るという予報も出ている。
 景気が冷えるのは困るが、天気は、若干であれば涼しくなるのはありがたい。
 我輩は、外出時(特に車中では)冷たいお茶を飲むけど、自宅ではペットボトルのお茶を電子レンジで温めて呑む。
 夏場は、ヒーターでお湯を沸かすと部屋の中が暑くなり湿気も高まるので、電子レンジのお世話になっているのだ。
 だから、夏場は台所でラーメンさえ作らない。もともと、台所がヒーターが一つあるだけの格好ばかりのものだし。
 年をとったせいか、在宅時には胃や体に負担のないよう、冷たいお茶は飲まないようにしている。
 この数年の習慣である。
 それでいて、ネット仲間の方の影響で、アイスクリームをほぼ毎日のように食べていた。それとヨーグルトと牛乳。これらは、絶対、冷たいのじゃなくちゃ、いやだ。
 それにしても、暑いのは厭だと、秋の到来を切望していたけど、いざ、冷たい風が吹くと、せっかちというか、気が早いもので、秋を一足飛びで越えてしまって、冬の到来に怯えてしまう。
 もう、昔のように夏の暑さに負けないなんて、そんな自信はなくなっている、それと同じように冬の寒さにも、ひたすら凍えて行過ぎるのを待つばかりで、結局、心地いい頃合いの時期というのは、ほんの僅かしかないのである。
 四季に恵まれている日本とは思うけれど、それぞれの情趣を堪能できるには、ちょっと体力が足りないのが悲しい。



                                   (02/09/05)
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by at923ky | 2004-12-27 00:06 | 随想

難民支援と排他性と

[ アップに際し、旧題の「難民支援と排他主義と」から、表題のように変更しました。
 一読されれば分かるように、別に明確な自覚を伴った主義として排他性が日本人の一部にあるわけというのではなく、無自覚な形で、しかしそれだけに濃厚に外国人に対する排他的傾向が見られるという趣旨なのです。
 但し、本文は全く手を加えておりません。メルマガに掲載した形そのままにアップしました。 18日の営業中、ラジオを聞いていたら、日本の大学への外国人留学生の話題に接することが出来た。
 留学生のうちかなりの人が日本の企業への就職を希望している。が、実際に夢が叶っているのは僅かだという。そこには日本の社会の排他的な土壌があるという指摘をされる余地がある。同時に、日本の企業の国際化で多様・多彩な人材の登用の必要性を痛感している、また、留学生に限らず意欲ある若い外国人の日本の企業や社会への参加を希望している現実がある。実は、その両者のニーズを結び付けるシステムが未だ整っていないという面も指摘されてしかるべきだという話だったと思う。
 こうした話題を耳にしたので、懐かしいコラムをここに載せることにしたのである。 ]


 どうやら、タリバーン政権も崩壊し、暫定的政府が立ち上がりそうな雲行きである(情勢は流動的だが)。
 とはいっても、タリバーンやアルカイダが地上から消え去るわけではない。世界中に網の目のように広がっている組織が、アフガニスタン内と同時に崩壊するわけではないのだから。
 さて、パキスタンにも恐らくはアフガニスタンにも日本が求められるのは、財政面での貢献が主たるものとなりそうである。戦わない逃げ腰の自衛隊に、難民支援を含めて何ができるか、日本以上に海外の国家が足元を見透かしているのだろう。
 さて、自衛隊はともかく、NPOを含めて難民支援がこれからの大きな課題になることは、言うまでもない。
 ところで、その難民支援で、財政の面での支援も大切だが、忘れてならないのは、難民の受け入れ問題だと思う。
 過日、アフガニスタンからの避難民を法的に厳しく解釈して難民認定せず、国外追放処分としたことは記憶に新しい。それも僅か9人ほどの「難民」である。国家の政策として、難民を受け入れることは様々な困難が予想され、また、政治的にも障害が見込まれて、結果として一番、日本として無難な道を選んだということなのだろう。
 国会を実質的に審議のない空洞化にまで至らせて、特措法を成立させた。一部の人は、顔の見える貢献のできる一人前の国家への一歩だと標榜している。自衛隊の海外派遣は、長年の宿願でもあったようだ。特に旧日本軍の幻影を引き摺る連中や、外務省の一部の幹部やOB、保守層の一部、あるいは何かと憤懣の念を抱く人々など、快哉を叫んでいるのかもしれない。
 が、顔の見える貢献というなら、国外での難民支援も大事だが、同時に国内に難民を受け入れることも、非常に大きな貢献のはずではないか。むしろ、後者のほうが、よっぽど効果的だし、喜ばれるに違いない。自衛艦でアフガン難民をピストン輸送してみたら、いかがなものだろう。
 いっそのこと、数年の居住期間を経て、日本国籍を与えたって構わないはずだ。
 今更、言うまでもなく、日本は、特に近代に入って、異常なほどに排他的国家になってしまった。難民も、移民も、およそ外国人の受け入れは忌避しつづけてきたのだ。
 アメリカは、非難の余地はあったにしても、海外からの移住を受け入れてきた。何もアメリカに限らない。欧米の多くの国々がそうだったし、現にそうだ。数万、数十万の難民を受け入れてきたのだ。
 一方、日本はどうか。ほとんど日本という国全体が極端な右翼というか、根っからの国粋主義者であるかのように、海外からの人々を受け入れることを嫌っている(留学生や技能労働者などは別として)。何かの新聞の投書にあったが、日本は国家として極右主義政策を採っているかのようなのだ。
 石原都知事が、近年、急増している過激な犯罪の多くが外国人(中国人など)によって行われていると指摘し、怒っていた。なるほど、事実としてそういう現実が進行していることは否定できないだろう。
 これが、難民の一層の受け入れとなると、ただでさえ刑事事件などが増加し、しかも刑事事件の摘発・解決の割合が急減している現状を思うと、誰が見ても憂えるべき事態の招来は避けられないに違いない。
 が、特措法など、ほとんど超法規的法律を超国会的形式で通し成立させるほどに勇ましい連中が、本当に国際的な視野に立っていて、その上で自衛隊の海外派遣も含めて顔の見える国家像を思い描いておられるなら、少なくとも数十万単位の難民の受け入れの覚悟を示すべきではないのか。たとえ、犯罪の急増を見たとしてもである。
 それでこそ、特措法を断固として成立させる言動との言行一致がなるはずである。
 それでこそ、世界の荒波をまともに受け止める覚悟の証明となるはずである。
 そんな覚悟などまるでなく、ただ自衛隊の海外派兵を実現できて、しかも野党第一党も基本的に与党案に賛同するなど隔世の感がある、なんて、喜んでいるだけじゃ、その覚悟の薄さが透けて見えるというものである。



                                     (01/12/02)
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by at923ky | 2004-12-19 23:40 | コラムエッセイ

久しぶりの神田古書街だったのに

 ちょっと所用があって、小生の住む町からは山手線を挟んだ反対側に位置する神田に行ってきた。
 ようやく午後の4時ごろになって、用件も済み、せっかくだからと古書街を散策した。
 神田に来たのは、久しぶりな気がする。数年ぶり? 自分でも分からない。
 前の会社にいた頃は、山手線の駅で数個くらい行けば済んだので、結構、来ていたのだ。
 神田の古書街が久しぶりなら、古書店に入るのも、久しぶりなんだと気が付いた。
 この頃は、そもそも、本屋さんか足が遠のいている。リストラされてからは、本は、ほとんど近くの小さな書店で済ませている。
 買う本は、ほとんどが文庫本である。雑誌は買わない(買えない)。大きな本屋さんに行くのは、本の虫の小生には目の毒なのである。
 それでも、何店か回っていくうちに、ああ、これも読みたかったんだ、え、こんな本があるの、という感じで、段々、深みに嵌っていく。今、一応仕事があるとはいえ、自分が単行本などを買える状況にはないことは、分かりきっているはずなのに。
 古書店には、新刊本しか扱わない書店とは全く違う匂いがする。この匂いというのは、比喩ではなく、実際に本の紙魚の匂いが店内にプンと漂っているのである。
 残念ながら、朝早く軽食を取っただけで御腹がすいていたことと、あまり長居をすると何冊も買い込みそうで、二冊ばかり買うだけで、早々に引き上げることにした。
 買ったのは辻邦生氏のエッセイを一冊と、名の知らないエッセイストの書いた『聖なる対称性』という科学エッセイの本。これ以上は、ダメダメ。
 新刊の本を売る店を何時間も掛けて歩くのも好きだ(最近はいろいろあって遠慮してるけど)。けれど、古書店の魅力は、そうした勢いと新鮮さとで売る店とは全く違う世界がある。仮に新刊本の書店を氷山の一角だとすると、古書店は海に沈んだ部分の氷の塊だ。
 その一見しては見えないところに、実は深い深い世界が広がっている。
 本は、これからも、デジタルの時代とはいえ、ドンドン出版されていくのだろう。
 その一方、そうして新しい本が生まれるたびに、古書の地層は分厚くなっていく。古書は、まさか新聞では、余程のことがない限り宣伝はされない。何かの欄で、言及されることがあるかどうかだ。
 それでも深く厚く堆積した古書の層は、コンクリートで舗装された地表を実は支えているのだ。新しい知識という表層は、豊かな幾重にも折り重なった、容易には見通しの出来ない地盤の上に、ようやく立っているのである。
 ああ、それなのに、今、自分は、新しい層にも、古い層にも縁遠くなっている。コンクリートの上で彷徨っている。精神的には、もう、路上生活者になっている。
 自分のような心の貧しい人間には、路上を蠢いても智慧の一つも浮かびはしない。ひたすらに飢えゆく魂を持て余すだけなのだ。
 すごすごと宵闇の神田を去る自分は、先の見えない生活という、より深い闇に呑み込まれていくようで、寂しさより、恐怖さえ覚えているのだった。



                                  (01/10/16)
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by at923ky | 2004-12-19 23:23 | 随想

思わず鴨居玲展の画集を開く

 Mさん、こんにちは。

 相変わらず素敵な文を綴っておられますね。
 特に今回は小生も好きな鴨居玲を巡ってということで、小生は思わず鴨居玲展(1991年大阪市立美術館)の図録を引っ張り出してしまいました。それは、やはり小生の好きな松本俊介の図録と並んで棚に収められているものです。
 残念ながら貴兄の言及されている「Etude(A)」は手元の図録の中にはありませんでした。が、鴨居玲の絵の数々を久しぶりに手にとる楽しみは味わえたわけです。
 鴨居は裸婦も描いていますけど、おっしゃられるように酔っ払いも随分、描いています。
 その酔っ払いの画のタイトルがとても、面白い。

 おっかさん 何処へ 月に叫ぶ 私の話を聞いてくれ 夢候よ 踊り候え 酔って候
 
などの数々です。
 ピエロを描いた絵にも、面白いタイトルが付いています。

 出を待つ 月に叫ぶ

などです。
 何か言葉にならない言葉を、酔漢やピエロでなければ感じられない何かを訴えようとする衝白感、切迫感のようなものを覚えます。

 また、自画像と思しき作品では、その人物の口から蛾が吐き出されていることが多いようです。何故でしょうか。
 芥川竜之介から材を採った「蜘蛛の糸」などは傑作という域を超えていると小生は思います。
 最後に、手元の図録に引用されている鴨居玲と美術評論家の坂崎乙郎氏との対談を掲げておきたいと思います(坂崎乙郎氏は小生を絵の世界に導いてくれた人です。何冊かの彼の本を幾度も読み直した記憶があります)。

鴨居:私はデッサンでは、ジャコメッティのが一番好きです、現代の作家の中では。
  ほかのデッサンにはあまりショックを受けませんけどね。ああいうデッサンが
  できれば……あれが本当のデッサンだと思います。
坂崎:いいですね、なにかこう、あらわれてくるという感じですね。
鴨居:それとエンピツという材料が好きです。
坂崎:木炭ではなくて、エンピツで……。
鴨居:はい。木炭よりエンピツのほうが好きですね。いま5HからHまで使ってま
  す。一番強いのでHBぐらいです。
坂崎:普通はもっとやわらかい、4Bなんかを使っているでしょう。
鴨居:ところが、あれはどっちかというと、デッサンしてさまになりやすいやわら
  かさということでしょうか。
坂崎:やわらかさだけで雰囲気がありますからね。
鴨居:それよりも5Hぐらいから刻んでいくという、ああいう感触が好きなんです。
坂崎:ジャコメッティも固いでしょうね。
鴨居:だと思います。5Hなんて、いくらこすったって色の限界があるんです。そ
  れをまた無理やりに刻み込んでいく、描くというよりか刻むという感じが好き
  です。エンピツの色って、いい色が出ますね。ジャコメッティのデッサン、あ
  あこれはエンピツで描いてあるな、という気持ちは起きないでしょう。だから
  好きです。私もそんな気持ちで……エンピツであってエンピツでない、夜中に
  起きて描き出して、朝までもそのままで、完結できるまで描けるでしょう、エ
  ンピツという材料はそれで好きなんです。
 
鴨居玲語録


                                (01/08/12)
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by at923ky | 2004-12-19 23:19 | 人物紹介

前田夕暮のこと

 K・Aさん、こんにちは。
 K・Aさんのコメントへのレスになるかどうか分からないので、自己レス風に書きます。

 昭和26年の今月の二十日に亡くなった歌人がいる。それは前田夕暮である。
 小生が歌人・前田夕暮(まえだゆうぐれ)のことを知ってから未だ十年にもならない。
 それは小生が会社をリストラされ、失業保険で食いつないでいた94年のことだった。本を買える筈もなく、図書館通いをしていた。時間と本は無尽蔵にあるので(ちと、大袈裟な表現かな)、カネを出してまでは手を出さない筈の本をもタップリと読むことが出来た。
 その94年から翌年の夏までの失業時代に発見した作家や思想家は少なからずいる。
 マルシア・ガルケスもそうだし、前からそれなりに好きだったミラン・クンデラを読み込んだのもその頃だった。万葉集や古事記を読めたし、十返舎一九の『東海道中膝栗毛』や井原西鶴の諸著にも接することが出来た。ヴィトゲンシュタイン関連の文献を漁れたし、ジェームズ・ジョイスの「フィネガンズ・ウエイク」(柳瀬尚紀訳、河出書房新社刊)も読了できた。
 そうして発見した歌人に前田夕暮(1883-1951)がいるのである。確か中央公論社刊の『日本の詩歌 07』(伊藤信吉/編)の中で扱われていた歌人の一人に前田夕暮がいたのである。
 その本では、太田水穂・前田夕暮・川田順・木下利玄・尾山篤らが扱われていた。
 実は小生は高校時代以来、木下利玄のファンなのである。その時も、お目当ては木下利玄に他ならなかった。「曼珠沙華一むら燃えて秋陽つよしそこすぎてゐるしづかなる徑」の木下利玄とは、小生は現代国語の教科書の中で出会っていたのだ。
 けれど、元々粗野な小生のこと、長いサラリーマン生活ですっかり心が渇いてしまった。思い出したように日記に創作めいたモノを書くだけで、文筆からも遠ざかっていた。
 それが、リストラにより時間がタップリと恵まれ、一年余りの間に三百冊ほどの本を渉猟する中で、ふと、詩や歌の類いにも触れたいと思ったのだ。そうだ、久しぶりに木下利玄の世界に浸ろうとある日思いついたのである。
 早速、『日本の詩歌 07』を借り出して、自宅で捲ってみた。すると、木下利玄もいいけれど、小生には全くの未知の人である前田夕暮の歌が小生にはとても馴染みやすく感じられたのだ。
 別に小生などに彼の歌が理解できるとか、まして評釈などできるものではないが、しかし、彼の歌の世界に素直に浸れる。

 ところで、ゴッホやムンクが話題に上っていた。そう、小生はそういえば前田夕暮にも彼らに触れた歌があったはずと思い出したのだ。
 探すと、あるある。

 ムンヒの「臨終の部屋」をおもひいでいねなむとして夜の風をきく
 
 向日葵は金の油を身にあびてゆらりと高し日のちいささよ

 まあ、後者は別にゴッホに関係があるとは言い難い。向日葵ということで連想しただけなのかもしれない。
 前田夕暮というと、「魂(たましひ)よいづくへ行くや見のこししうら若き日の夢に別れて」という歌で始まる『収穫』が有名だ。
 前田夕暮が好きだといいながら、今回、ネットで『収穫』を検索してみて初めて、彼が小生の敬愛する島崎藤村ともなかなか関わりが深いことを知った。そもそもこの『収穫』というタイトルそのものに絡むエピソードが島崎藤村との間にあるのだ。
 『収穫』の「自序」を読んで欲しい。
 尚、この『収穫』は、作家・秦 恒平氏のサイトで見つけたものである。

 前田夕暮については他にもいろいろと興味深いサイトがある:
 「前田夕暮研究室
 前田夕暮の郷土である秦野市の図書館には夕暮関連の叢書が販売されている。
 
 1年8か月の疎開生活を過ごした秩父の「入川谷山荘」の写真が見れる。

 下記のサイトによると、ゴッホからの影響があったという。「ゴーギャン・ゴッホなど印象派からの強烈な刺激をうけ、外光や色彩に多くの影響がみうけられる彼の歌は、数回に及ぶ作風転換にもかかわらず一貫してみずみずしく清新なものであった」…。
 なるほど、そうだったのか。印象派的な色彩鮮やかなタッチが彼の持ち味だったのだね。
 ちなみに、上記のサイトは、「文学者掃苔録」というサイトの中のもの。



                      (03/04/06)
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by at923ky | 2004-12-15 22:29 | 人物紹介

二重まぶたと弥生人


 4月16日に古代史や考古学に関わる事績で重大な報道がなされた。朝日新聞の同日夕刊によると、「鳥取県青谷町の青谷上寺地(あおやかみじち)遺跡で、約2000年前の弥生時代の人の4分の1から5分の1の大きさの脳組織が出土したと16日、同県教育文化財段が発表した」とある。
 弥生時代の「脳組織が分析可能な状態で見つかったのは国内では初めて」で、それというのも、「遺跡は低湿地帯にあり、適度な水分と粘土層で外気を遮断したことなどから、保存状態が良かったらしい」とのこと。
 弥生時代後期の遺跡から発見された92体の遺骨を鳥取大学医学部の井上貴央教授(解剖学)が鑑定し、その中の「3体分から脳が見つかり、うち2体は保存状態が良かった」というのである。
 更に朝日新聞の報道によると、「これまで古代人のDNA分析は骨などから取り出したミトコンドリアのDNAに頼っていた。しかし、ミトコンドリアDNAは情報量が少ない上、母親から伝わった特性しか持っていないため、父親の系譜をたどるのが難しかった」
 「中国大陸などでこれまで出土している人骨のDNAと照合すれば、弥生時代の日本人のルーツを探る手がかりとなるかもしれない」と井上教授は述べる。
 小生など古代史や考古学ファンならずとも非常にワクワクするニュースだった。
 ところで小生が古代史や考古学に関心を抱き始めたのには、非常に個人的な切っ掛けがあった。
 それは大学に入って2年目の夏、田舎に帰省していた小生は、いつものように夕暮れ近く家の近所を散歩し、いつしか神通川という田舎では大きな川の土手に至ったのである。護岸を施された堤を沈み始める夕日を対岸に見つめながら歩いていると、ふいに突風が生じた。そして小生の目に埃が入ったのだ。
 目を擦るといけないと思いつつも軽く擦ると、ポロッと涙が零れたりしたが、その涙は何の感傷の意味もないことは言うまでもない。
 ところが、ゴミは涙で流れ落ちたという感じはあるのに、何か眼の辺りの感触に違和感を覚えたのである。
 しかし、それはそれだけのことだった。遠い記憶だと、そのままいつもの散歩コースをゆっくり歩いて、暗くなった頃合いに我が家に帰ったと思う。
 帰宅してからも、依然として目の周辺にいつもとは違うむず痒さがあり、心配性の小生は鏡を覗かざるをえなかった。
 恐る恐る覗いた鏡に小生は愕然とした。
 何と、そこには二重瞼(まぶた)の自分の顔が映っているではないか。
 正確に言うと、小生の左の目は奥二重だった。目が小さいので一重に見えないこともないけれど、元々から二重は二重だったのである。
 ところで問題は右目である。右目はどう眼をしばたいてみても一重だった。生まれながらの一重だったのである。
 その右目もその神通川の不意の疾風の悪戯のせいか、奥二重になったのである。
 ただ、しっかり覗かないと気が付かないような小生らしい謙虚な二重で、親も姉妹も変化には気づかなかったようだ。
 その奇妙な経験は、何か異常な経験として友人の誰にも告げなかった。そして一回り以上の年月を経て、既に小生も三十路を超えたある日のこと、テレビ好きな小生は、いつものようにダラダラとテレビを見ていたのだった。
 が、その何かの番組で長年の小生の怪事は決して怪事ではなく、実は日本では珍しくもなく生じる現象だと分かったのだ。
 その番組である先生が曰く、[日本人のベースは縄文人である。そこに弥生人がやってきて、その後の長い時間をかけた混血の上に今日の日本人はある。ところで縄文人はどちらかというと東南アジア人と共通するところがあり、やや毛深かったり、彫りが深かったり、体型ががっしりしていたり、眼が二重なのである。 
 対して、弥生人は(これは中国系なのか朝鮮系なのか、それとも蒙古系なのかはっきりしないが)、体毛は薄く、彫りは浅く、体型がすっきりしていて、顔は細長く、眼は一重瞼なのだ。
 そうした大きく違う二つの系統の上に多くの日本人は成り立っているので、時に奇妙な現象も生じることがある。つまり、多くは二十歳前後だが、それまで一重瞼だった人が不意に二重になることが、まま、あるのである]と。
 上記の[ ]内の談話は小生の記憶に残ったものを文章にしているので、先生の正確な談話ではない。
 ところでこのテレビ番組を見て、小生の長年の疑惑というか懸念というかは氷解したのである。
 もっとも、この<怪事>を胸の奥深く潜めつつ、小生はもしかしたら特別な人間ではという、何処か自惚れた意識も吹き飛んでしまったけれど。
 いずれにしても、小生は平凡な日本人の典型だということが分かった、あの日のテレビだった。
 それから小生は他人事でなく、古代史や考古学に関心を抱き始めたのである(なんといっても、その先生の説が説明としては納得できても、科学的に正しいのかどうか、今一つ確信が持てないし)。
 近い将来の研究の成果を、そして読者諸賢のご指摘を期待したいものである。


(01/04/18)
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by at923ky | 2004-12-15 20:54 | 古代・歴史・考古学

ヒト遺伝子には負いきれない人間観

「ヒト遺伝子には負いきれない人間観」

 3月22日付け朝日新聞夕刊に「ヒト遺伝子が問う人間観」(サブタイトル:環境と複合的に作用)と題された東京都神経科学総合研究所参事研究員の黒田洋一郎氏による一文が掲載されていた。
 過日、新聞やテレビなどマスコミでも大きく報道されたように、ヒトの遺伝子の塩基配列が判明した。その際、素人はともかく専門家も大きく驚いたのはヒトの遺伝子の総数がハエの約2倍しかなかったことである。
 人間の行動の複雑さを思えば、ほとんどが本能行動に帰着するハエに比して格段の数の遺伝子(塩基配列)があってしかるべきだという思い込みがあったのである。
 詳しく解説をする立場にはないが、人間を理解する上で、確かに遺伝子によって規制される面が小さくはないだろうが、それ以上に環境という因子が如何に大きいかに注目されるべきだと黒田氏は述べる。
「ある種のガン、花粉症、アトピーぜんそく、糖尿病などのここ数十年における増加は遺伝子が原因ではなく、原因環境因子があると考えられる」
「環境ホルモンの例のように、遺伝子は正常でもその働きが乱されることがあり、環境の影響は大きい」
「遺伝因子が変えられないのに対し、環境因子は個人や地域社会の努力で変えることができる」
 従って「病気のかかりやすさに関係する遺伝子の研究も、原因環境因子との相互作用をふまえて行われるべきであろう」となるわけである。
 なるほど氏も言うように「オオカミに育てられた子」や「地下牢に放置された子」などに見られるように、人間関係のない環境で育った子供の心の異常は知られている。
 ところで小生のように生命科学の素人が口を挟む余地はないようではあるが、それでも何か奥歯に物の挟まったような不全感が募る。
 遺伝子のレベルではハエと大差がないのに、生活行動レベルでの人間とハエなどとの違いの大きさは一体何に起因するのか。それを環境という切り口で括ることに有効性があるのだろうか。
 何だか思いっきり狭っ苦しい概念に制約されているようで、小生など息が詰まるのである。
 むしろ、人間の生活世界の幅広さ、奥行きの深さは、環境というタームを超えているような気がするのである。
 日々想い、感じ、悩み、喜び、退屈する、そうした心情の世界の広がりの層は下部構造としての遺伝子の塩基配列や、更に単なる環境の様々な原因因子のレベルを超えたところに成立しているように小生は思えるのである。
 それを環境因子云々という切り口で括ろうとすると、血液型や星座や生まれた地域に人間の精神の位相を還元してしまい、結果としてひどく劣悪な行動解析に陥ってしまうのではないか。
 誤解を恐れず端的に表現すると、人間は観念の動物なのである。あるいは意味の動物と言い換えてもいい。
 そこかしこに無数の<モノ>が溢れている。そうした<モノ>は人間にとって決して単なる得体の知れない<モノ>ではなく、テーブルだったり電信柱だったり車だったり女だったり犬だったりする。
 そうした無数の物たちが単なる<モノ>としてしか捉えられなくなると、それこそサルトルの傑作小説『嘔吐』の世界となる。
 我々人間は意味の世界に生きている。全てのものに意味付与して生活している。それぞれの物が意味という相貌を帯びて存在している。
 更にヒトにとっての人の顔の相貌の無限さを思う時、ヒトは人の顔に観念を見ている。あるいはそれを差異と味気なく表現しておいても当面はいい。
 感情や感覚や情緒といったものも所詮は肉体の表面的相貌ではある。だからといって感情や心は脳神経の動きに帰着されるものでもなければ、心臓の鼓動に還元されるものでもない。
 肉体の動きは形而的相貌ではあるが、形而上のもやもやした観念の世界とイコールなのでは決してないのである。
 実は小生は当たり前のことを述べているだけに過ぎない。
 一時期、リチャード・ドーキンスの人間(肉体)は遺伝子の乗り物に過ぎないという説が誤解され、肝心なのは遺伝子なのだ、という倒錯した議論が蔓延しことがある。
 しかし実は黒田氏も述べておられるように「ヒトの遺伝情報の全文、いわばお経の原本が全部見つかったわけだが、今後必要な、すべての遺伝子のつくるたんぱく質の機能(遺伝子の働き)を知る、すなわちお経の意味を完全に理解することはケタ違いに困難であろう」ということなのである。
 まして人の心となると、推して知るべきであろう。
 むしろ遺伝子に限らず、そうした科学の進展に人の心の解明や悩みの解決の糸口を見出そうとするのは、実は現代において我々が自らに背負うべき課題の重みに耐え兼ねて、科学による精神的諸難題の解決がいつの日か可能になるかもしれないという幻想に身も心も委ねているからではなかろうか。



                           (01/03/23)
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by at923ky | 2004-12-13 04:40 | コラムエッセイ

宇宙を焼き尽くすべきか

「宇宙を焼き尽くすべきか」

 生きていることは素晴らしいことか。そう思う必要があるのか。
 あるいは必要があろうがなかろうが、思う人は思うし、感じることの出来ない人は一生(その一生が短いか長いかは神のみぞ知るだけれど)人生の素晴らしさを感じることなく終えてしまう。
 とするとそう思う必要があるのかという上記の問いは無意味になる。素晴らしいと感じている人は必要があるなしに感じているのだし、生きるに値しないと感じている人は、その暗中から容易に脱することはないだろうから、素晴らしいなんて思う必要があるのかという不毛な問いをするしかないわけである。
 あるいは不幸な人だからこそ、そんな愚問になりかねない問いを発するのだろう。
 きっと、人は人生が、世界が素晴らしいと感じたいのだ。今、自分が虐められていること、自分がゲームの中の主人公や画面の向こうのヒーローやヒロインのように注目を浴びる素晴らしい人たちではないことは何かの間違いであって欲しいのだ。悪夢であり、目覚めたら歓呼の声の中で自分が迎えられるのであってほしいのだ。
 時代は情報に全てが還元される方向に向かっている。その情報とはオンとオフの順列と組み合わせであり、その中に結局は決定論であるところのカオスの理論程度の混沌は許容できても、人間の、あるいは自然の、底知れない混沌の付け入る余地はない。
 情報とは明るい液晶の画面に映りえるものでなければならない。
 暗い影、後ろ向きの感懐、反抗的な態度、無政府的なまでの政治や経済への怒り、内臓の呻き声、声にならない叫び、脳の底の通奏低音のように鳴り止まない嗚咽は画面に馴染まない。
 子宮という繭の中で子供は無限の夢をむさぼる。一切の妥協と挫折と傷付くことからの完璧な絶縁。
 けれど、今、人間の作り出した化学物質は子宮をも繭の状態にはさせてくれない。高速道路の遠い轟音、公共工事の低い唸り音、部屋の中の低周波音、父と母の決して交わることのない情念。
 誕生という祝福すべき瞬間は地獄への歓迎にも似た眩い光の炸裂でもある。
 生まれた瞬間から呪詛の旅が始まる。
 情報とは、情報の世界に参入可能なものの世界。この無意味な同語反復。情報の世界に己の身体は入らない。アレルギーに悩み、胃腸の調子に悩み、肌荒れに悩み、髪の痛みに悩み、化粧の乗りの悪さに悩み、顔やスタイルの造作に悩み……。
 私とはそうした一切の全体なのである。
 けれど、情報機器の端末に引っかかるのは金融経済の利用可能な、料理可能な、つまりは消費可能な、交換可能な、そうした一切以外にない。
 その中に丸ごとの私の入る余地は全くない。
 情報とは変化である。無際限に続く変化の連続である。
 昨日の世界は過去の世界。明日の世界は全く未知の世界。今日の私はその両方に挟まれて、うろうろするばかり。
 今、そしてこれからの時代は加速化する情報の時代、変化の時代なのである。
 つまり、極言すれば、一切の人々が徹底して孤立化していく時代なのである。
 なぜなら、それぞれ置かれた人の立場は、置かれた位相によって全く違うのであって、これからの時代に生まれる人は、平安時代の人と江戸時代の人の位相の違い以上に違う。
 生まれた土地、環境、生まれた時間のほんの僅かなズレが人と人にとてつもなく懸け離れた位相の相違を齎せてしまう。
 情報に触れることが悪なのでも、無意味なのではない。
 肝心なのは加速度的に肥大する情報の海に漂流する個々の人の懸隔が問題なのである。その懸隔は広がることはあっても、その拡大に加速度がつくことはあっても埋まる見込みは絶望的である。 
 従って人は、これからの時代、ますまる孤立することだろう。だからますます隣りの人、あるいは情報端末で繋がるXへの依存を強めることだろう。そうでなければ不安なのだ。
 変化の度合いの深化は孤独の度合いの深化を強める。
 一旦、どこかで気を抜いて、一人の瞬間を持ったら、その人は浦島太郎の状態になる。ただの一瞬の反省や沈思がその人を異邦人にさせてしまう。
 つまり情報の時代、変化の加速化する時代では、沈思を決して許さないのである。そこに愛情の追いつく島がないのだ。
 老人が建前上は大事と言われながら、実際上の扱いでは無用の長物とされている。仮に有用だとされても経済価値的に社会の中で占める割合が高いから、一応の待遇を図るだけであって、老人の智恵も経験も慈愛も全く必要とされてはいない。
 なぜなら時代の変化の速さは老人を、つまりは我々のすぐ未来の姿としての老人を置き去りにすることなのだ。
 情報の肥大した海に孤立して漂流する個々バラバラの人々。それぞれが情報端末にすがって、なんとか自分が孤立していないことを証明しようとしている。悲しいほどに憐れな試み。
 けれど宇宙が膨張しているように、エントロピーは増大していく。人が技術と智恵の限りを尽くす、その営みが人を遠ざけていく。なぜなら生命の営み、その極限としての人間の知的行為という、一見するとエントロピー増大の法則に反する存在を保つために、人間は宇宙を食い尽くしているのだから。


                           (01/03/21)
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by at923ky | 2004-12-13 04:36 | コラムエッセイ

田代まさし事件に思う

「田代まさし事件に思う」

 人気タレントだった(過去形で表現するしかないのか、もう、芸能界に復帰はありえないのか)田代まさしが、今度は覗きだけではなく、覚醒剤で逮捕された。
 実刑になるのかどうか、小生には分からない。
 ま、覚醒剤は、ちょっと許し難いものがある。とはいっても、覚醒剤事件を起こした数多くのタレントが、せいぜい三ヶ月程度で復帰していることを思うと、それだけだったらそんなに長い謹慎期間を経なくても復帰はありえたんだろう。
 ところで、覚醒剤はともかくとして、最初に田代まさし(呼び捨て風に名前を書くけど、これは今も彼を一人の売れっ子のタレントとして、他の芸能人を呼び捨て風に呼ぶのと同様の扱いをここではしているのだと思って欲しい)が掴まったスカートの下をビデオで盗み撮りをしたって事件。覚えておられるだろう。
 これだけだったら、ま、社会復帰(芸能界復帰)も間近だったんだろうな。
 で、次が覗き、それも男が入っていた風呂だったとか(あるいは女が入浴していたかもと期待して覗いたのか)。これって一種の病気なんだろうな。性癖って奴。
 でも、小生は別に彼を責めるつもりはない。かといって、褒めるってわけじゃ、尚更、ないけど。
 つまり、この性癖って奴は、いいからやってる、いいと思うからやってるってわけじゃない。あくまで好きで、つい、衝動でやってしまう。覗いてしまう。
 大体、女子高生など、近年、やたらとスカートの丈が短い。もう、ももの半分以上が曝け出ているってくらい。小生はふとももフェチだから、この今の流行りは嬉しい限り。この現象が小生の高校時代にあったら、ただでさえ出来なかった勉強がもっとできなかっただろうな、嬉しくって、気になって。きっと、登校するのが待ち遠しかっただろうな。きっと、毎日、薄暗いうちから校門でたむろしちゃったりして。
 尤も、小生の場合、ふとももフェチだし、腕フェチだし、顔フェチだし、御腹フェチだし、胸やおっぱいフェチだし、背中フェチだし、髪フェチだし、足フェチだし、指フェチ(足の指も手の指も)だし、あと何が残ってたっけ、そうそう御尻フェチだし、要するに女体フェチ(但し、小生の年齢以下の女性に限るけど)なのだ。
 で、街中で女子高生などが短いスカートから真っ白なあんよなどを曝してくれると、嬉しくって嬉しくってならない。
 なのに、階段などを上がる時とか、鞄で御尻を抑えたりするのは、本当にけしからんと思う。潔くない。あそこまで短くしてるんだから、仮に見えたって構わないと覚悟を決めてくれなくっちゃ。
 うん、何の話をしてたっけ。
 そうそう田代まさしのことだった。
 さて、それをカメラやビデオで隠し撮りをするのは、ちょっとやり過ぎってこと。とは、思いつつも、思わず撮りたくなる気持ちも分かる。その衝動は、抑えがたいものがあるし、見れるものなら小生も見たい(気が小さくてビデオ屋さんにあるというその類いのビデオを借り出すことが未だにできないでいる)。
 隠し撮りがダメだって、じゃ、堂々とカメラ(ビデオ)を出して撮らせてくれるかというと、それもダメなんだろうし、これでは八方塞ではないか!って、怒っても仕方ないか。
 とにもかくにも男にとって見たいという気持ち、衝動は抑えがたいものがある。が、みんな我慢しているんだ。
 痴漢にしても、そう。やりたいという気持ちは分かる。痛いほど分かる。でも、小生はしない。大概の奴もしない。みんな、やりたいのを我慢しているんだし、それどころか、痴漢行為と紛らわしい行為さえも、しない。誤解されることすら、みんな恐れている。
 何しろ、痴漢行為って奴は、それこそ誰かが犯行現場を隠し撮りでもしてくれないかぎり、証拠は残らないのだから。スカートかブラウスかパンティに男の手垢か指紋でも残っていない限り、あとは、被害にあった女性が、ちゃんと本当の犯人の手を捕まえてくれるのを祈るばかりなのだ。つまり、いつでも濡れ衣を被せられる可能性が誰にもあるってこと。
 男は、一応、社会に出ると世間体が今も大事なのだ。世間の指弾を受けることだけは、何が何でも避けたいのだ。だから、込み合った電車の中でも、必死に、身近にいる、あるいは時には心ならずも(内心は嬉しくてたまらなくても)ギュッと押し付けあっている相手の女性の肉体を、女体だとは思わずに、何かの物体、例えば、電信柱だとか(どうも、これでは固さの点で例として不適当か。自分の持ち物の固さとの比較の際に持ち出すべきだったかも)座布団か、あるいは何処ぞのオバチャンか、鞄かに違いないと無理にも思い込もうとするのだ。
 この時、男は神に祈る思いよりも懸命で真剣な念力で祈っているのである。
 でも、ドツボに嵌ることがある。女性のお尻の割れ目に、男性の何がぴったり合致してしまう羽目に追いやられることもあるのだ。そして電車は心地よく揺れる。すると…。天国と地獄が同居しているような複雑な思いと感覚と幻想の中で、男は気が遠くなるのを堪えるってわけである。
 あれ、何を書いてたんだっけ。
 そうそう。男の性癖そのものだけは、非難しないで欲しいってことだ。やった行為はいけないとしても。隠し撮りはダメだし、覗きもいけない。覚醒剤など、論外。
 ただ、そういう衝動に駆られる動物って面が男にあるってことそのものを責めるの
は酷だ。
 田代まさしにしても、小生は冒頭で病気だ云々と軽率にも書いた。でも、本意ではないのだ。だって、好きになるってことは、本人の意志でなるわけではないのだ。若い女の子が好きになる奴もいるし、太った女の子が好きな奴もいる。老婆でないと性的衝動を覚えない奴もいる、男が好きな男だっているわけだし。で、それぞれに好きな対象は、結構、様々なわけで、その好きになるってこと、その対象に触れたいとか、見たいとか、映像に残したいとか、等々の気持ちそのものは自然なのだと思う。
 だから、小生は、覚醒剤はともかく、覗きや隠し撮りをしたがる気持ちは責めたくないのだ。但し、実行となると別の話だよ。それはみんな我慢してるんだから、一人だけ抜け駆けで楽しむのはよくないよ。
 何だか訳の分からない結論で終わっちゃった。いつも終わる時は、不本意ってのは、男の悲しい性(さが)か…。では。


                                      (01/12/17)
[ 今年、秋、田代まさしは、またも薬物使用で逮捕された。当人は勿論だろうが、まわりで支えていた人たち、ファンの方たちにとっても痛恨事だったろう。悲しい。 (04/12/12) ]
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by at923ky | 2004-12-12 00:17 | 芸能・風俗