水谷修氏というのは、「1956年横浜生まれ。上智大学文学部哲学科卒業、現在、横浜市の夜間高校の教師。
教師生活のほとんどの時期、生活指導を担当し、高校生の非行・薬物問題にかかわる。「夜回り」と呼ぶ深夜の繁華街パトロールを通して、若者とふれあい、彼らの非行防止と更生に取り組んでいる。現場での経験をもとに、少年非行や薬物汚染の実態と背景をひろく社会に訴え続けている。」という方。 詳しくは下記サイトにて: 「夜回り先生」 「水谷修の春不遠」 このサイトの中で、水谷修氏の講演が読める。 不況の中、社会の歪みは弱い部分、弱い人間にしわ寄せが来る。 覚醒剤(ドラッグ)に関わるシビアーな話だったよ。上記の紹介にもあるように、水谷氏は、「夜回り」して街頭(繁華街)で若者達に直接、声をかけている。凄いね。自分には到底、できない。 (03/04/20) [本稿は、03/12/05付けのメルマガにて公表した一文である。このほど、無精庵万葉記にて、「谷川晃一著『絵はだれでも描ける』」という書評エッセイを掲載したが、その中で、この一文に言及している。よって、ここに再掲する。悲しいかな、この美術館を未だ訪れていない。(05/01/22 記)]
昨日だったか、ラジオを聞いていたら(NHK)、原田泰治美術館という名前が耳に。どうやら、原田泰治氏本人へのインタヴューのようだ。仕事中なので、例によって断片的にしか聞けない。 例によってネットで得られた情報で聞き取れなかった部分を補いながら、若干、この話題の周辺を、メモしておきたい。 まず、この美術館は他とは違って、<煩い>美術館なのだ、というのが印象に残った。 聞きかじりなので、正確な理解とは言い難いかもしれないが、その館内の<煩さ>というのは、察するところ、原田泰治氏の作品の世界と無縁ではないようなのである。 原田泰治氏は、グラフィックデザイナーであり、かつ、画家である。 原田泰治氏の作品の世界は、一般的には、素朴画(ナイーブ・アート)と呼ばれているようである。彼の名前だけなら小生も聞いたことがあるし、彼の名前をすぐに思い浮かべられなくても、多くの人は、彼の作品を目にしているかもしれない。見れば、ああ、あの絵の作者なのか、と思われることもあるかもしれない。 というのも、「1982年4月から2年半にわたって朝日新聞日曜版のフロントページを飾り好評を博した」ことなどがあるからである: 「原田泰治美術館」 この美術館の名誉館長が、歌手のさだまさしだということが昨日のラジオで言及されていたかどうかは分からない: 「原田泰治美術館」 どうやら、さだまさし氏が原田泰治氏の作品に惚れ込み、二人には長い交流があるらしい。 さて、ネットにて、原田泰治氏の作品を見ていただこう。 残念ながら僅か数点しか見ることが出来ないが、原田泰治の世界が素朴画(ナイーブ・アート)と呼ばれ親しまれる由縁くらいは感じ取られるかもしれない。 話が戻るが、美術館の館内が煩いというのは、彼の絵を見て、訪れる多くの人が、懐かしい気持ちになり、ああ、昔はこうだった、あそこはこうだったという会話が自然に生れるからのようである。 原田泰治氏は、「1歳の時小児麻痺にかかり両足が不自由になる」というハンディを背負いながらも、今、「「日本のふるさと」をテーマに全国47都道府県をくまなく取材し、そこにつつましく生活する人々の暮らしを限りない愛情を込めて描き」続けていると、昨日のラジオで話されていた。 時代の流れで多くの日本のふるさとの風景が失われた。 けれど、原田泰治氏は、そうはいっても、実際に歩いてみると、たくさん、いいものが残っている。自分は、そうした数々のものを描いていきたいのだと語ってもいた。描きたいものは、たくさんある、これから何十年どころか、何百年生きても描ききれないほどだとも。 そうして描かれた日本の風景が館内に展示されている。美術館を訪れる方は多くが年輩だとか。だから、尚更、昔話に花が咲く、ということも<煩さ>に結びついているのだ。 それだけではなく、「障害をお持ちの方、お年寄りの方への配慮」「目のご不自由な方への配慮」の尽くされた美術館でもあり、館内でお喋りについ夢中になり、話し声が大きくなろうが、そんなことなどどうでもいいことなのである。 原田泰治美術館は、原田泰治氏の生地である諏訪市(諏訪湖畔)にある。この美術館は、二つの願いを込めて開館したという。 一つは、「1つは詩情豊かな[原田泰治の世界]を核に、ナイーブアート(素朴画)の世界への発信拠点として成長、発展する美術館としたいという願い」であり、もう一つは、「「人に優しい美術館」として多くの方々から愛される美術館という願い」だとか。 98年7月に開館したという。 小生は、帰省の際には、スクーターで中央自動車道、ついで上信越自動車道と走るのだが、ちょうど、諏訪湖の辺りで道がクロスしている。 いつも、素通りだった。知らないとはいえ、惜しいことをしていたものである。今度、何とか時間を作って、ほんのしばしでも、この湖畔の美術館に訪れたいと思った。 More 前項で、炭 太祇の句、「寒月や我ひとり行(く)橋の音」を引用させてもらった。
せっかくなので、炭 太祇のことをネットの上でだが、調べてみた。 炭 太祇の句選集である『太祇句選』によると、「たん・たいぎ(1738-1791) 京都島原に住み不夜庵と号した。蕪村らと交遊。『太祇句選』……没後、蕪村・嘯山が選し、門人呑獅が刊行。明和9年刊。前記三人の序。」とある。 「広辞苑」によると、「江戸中期の俳人。江戸の人。雲津水国・慶紀逸(けいきいつ)に俳諧を学び、のち旅をつづけ、京都島原に居を定め、不夜庵と号。俳風は人事を得意とし、高雅で清新。句集「太祇句選」。(1709-1771)」とある。 ん? 生没年が上と違う。他のサイトを見てみよう。 More Mさん、こんにちは。
相変わらず素敵な文を綴っておられますね。 特に今回は小生も好きな鴨居玲を巡ってということで、小生は思わず鴨居玲展(1991年大阪市立美術館)の図録を引っ張り出してしまいました。それは、やはり小生の好きな松本俊介の図録と並んで棚に収められているものです。 残念ながら貴兄の言及されている「Etude(A)」は手元の図録の中にはありませんでした。が、鴨居玲の絵の数々を久しぶりに手にとる楽しみは味わえたわけです。 鴨居は裸婦も描いていますけど、おっしゃられるように酔っ払いも随分、描いています。 その酔っ払いの画のタイトルがとても、面白い。 おっかさん 何処へ 月に叫ぶ 私の話を聞いてくれ 夢候よ 踊り候え 酔って候 などの数々です。 ピエロを描いた絵にも、面白いタイトルが付いています。 出を待つ 月に叫ぶ などです。 何か言葉にならない言葉を、酔漢やピエロでなければ感じられない何かを訴えようとする衝白感、切迫感のようなものを覚えます。 また、自画像と思しき作品では、その人物の口から蛾が吐き出されていることが多いようです。何故でしょうか。 芥川竜之介から材を採った「蜘蛛の糸」などは傑作という域を超えていると小生は思います。 最後に、手元の図録に引用されている鴨居玲と美術評論家の坂崎乙郎氏との対談を掲げておきたいと思います(坂崎乙郎氏は小生を絵の世界に導いてくれた人です。何冊かの彼の本を幾度も読み直した記憶があります)。 鴨居:私はデッサンでは、ジャコメッティのが一番好きです、現代の作家の中では。 ほかのデッサンにはあまりショックを受けませんけどね。ああいうデッサンが できれば……あれが本当のデッサンだと思います。 坂崎:いいですね、なにかこう、あらわれてくるという感じですね。 鴨居:それとエンピツという材料が好きです。 坂崎:木炭ではなくて、エンピツで……。 鴨居:はい。木炭よりエンピツのほうが好きですね。いま5HからHまで使ってま す。一番強いのでHBぐらいです。 坂崎:普通はもっとやわらかい、4Bなんかを使っているでしょう。 鴨居:ところが、あれはどっちかというと、デッサンしてさまになりやすいやわら かさということでしょうか。 坂崎:やわらかさだけで雰囲気がありますからね。 鴨居:それよりも5Hぐらいから刻んでいくという、ああいう感触が好きなんです。 坂崎:ジャコメッティも固いでしょうね。 鴨居:だと思います。5Hなんて、いくらこすったって色の限界があるんです。そ れをまた無理やりに刻み込んでいく、描くというよりか刻むという感じが好き です。エンピツの色って、いい色が出ますね。ジャコメッティのデッサン、あ あこれはエンピツで描いてあるな、という気持ちは起きないでしょう。だから 好きです。私もそんな気持ちで……エンピツであってエンピツでない、夜中に 起きて描き出して、朝までもそのままで、完結できるまで描けるでしょう、エ ンピツという材料はそれで好きなんです。 鴨居玲語録 (01/08/12)
K・Aさん、こんにちは。
K・Aさんのコメントへのレスになるかどうか分からないので、自己レス風に書きます。 昭和26年の今月の二十日に亡くなった歌人がいる。それは前田夕暮である。 小生が歌人・前田夕暮(まえだゆうぐれ)のことを知ってから未だ十年にもならない。 それは小生が会社をリストラされ、失業保険で食いつないでいた94年のことだった。本を買える筈もなく、図書館通いをしていた。時間と本は無尽蔵にあるので(ちと、大袈裟な表現かな)、カネを出してまでは手を出さない筈の本をもタップリと読むことが出来た。 その94年から翌年の夏までの失業時代に発見した作家や思想家は少なからずいる。 マルシア・ガルケスもそうだし、前からそれなりに好きだったミラン・クンデラを読み込んだのもその頃だった。万葉集や古事記を読めたし、十返舎一九の『東海道中膝栗毛』や井原西鶴の諸著にも接することが出来た。ヴィトゲンシュタイン関連の文献を漁れたし、ジェームズ・ジョイスの「フィネガンズ・ウエイク」(柳瀬尚紀訳、河出書房新社刊)も読了できた。 そうして発見した歌人に前田夕暮(1883-1951)がいるのである。確か中央公論社刊の『日本の詩歌 07』(伊藤信吉/編)の中で扱われていた歌人の一人に前田夕暮がいたのである。 その本では、太田水穂・前田夕暮・川田順・木下利玄・尾山篤らが扱われていた。 実は小生は高校時代以来、木下利玄のファンなのである。その時も、お目当ては木下利玄に他ならなかった。「曼珠沙華一むら燃えて秋陽つよしそこすぎてゐるしづかなる徑」の木下利玄とは、小生は現代国語の教科書の中で出会っていたのだ。 けれど、元々粗野な小生のこと、長いサラリーマン生活ですっかり心が渇いてしまった。思い出したように日記に創作めいたモノを書くだけで、文筆からも遠ざかっていた。 それが、リストラにより時間がタップリと恵まれ、一年余りの間に三百冊ほどの本を渉猟する中で、ふと、詩や歌の類いにも触れたいと思ったのだ。そうだ、久しぶりに木下利玄の世界に浸ろうとある日思いついたのである。 早速、『日本の詩歌 07』を借り出して、自宅で捲ってみた。すると、木下利玄もいいけれど、小生には全くの未知の人である前田夕暮の歌が小生にはとても馴染みやすく感じられたのだ。 別に小生などに彼の歌が理解できるとか、まして評釈などできるものではないが、しかし、彼の歌の世界に素直に浸れる。 ところで、ゴッホやムンクが話題に上っていた。そう、小生はそういえば前田夕暮にも彼らに触れた歌があったはずと思い出したのだ。 探すと、あるある。 ムンヒの「臨終の部屋」をおもひいでいねなむとして夜の風をきく 向日葵は金の油を身にあびてゆらりと高し日のちいささよ まあ、後者は別にゴッホに関係があるとは言い難い。向日葵ということで連想しただけなのかもしれない。 前田夕暮というと、「魂(たましひ)よいづくへ行くや見のこししうら若き日の夢に別れて」という歌で始まる『収穫』が有名だ。 前田夕暮が好きだといいながら、今回、ネットで『収穫』を検索してみて初めて、彼が小生の敬愛する島崎藤村ともなかなか関わりが深いことを知った。そもそもこの『収穫』というタイトルそのものに絡むエピソードが島崎藤村との間にあるのだ。 『収穫』の「自序」を読んで欲しい。 尚、この『収穫』は、作家・秦 恒平氏のサイトで見つけたものである。 前田夕暮については他にもいろいろと興味深いサイトがある: 「前田夕暮研究室」 前田夕暮の郷土である秦野市の図書館には夕暮関連の叢書が販売されている。 1年8か月の疎開生活を過ごした秩父の「入川谷山荘」の写真が見れる。 下記のサイトによると、ゴッホからの影響があったという。「ゴーギャン・ゴッホなど印象派からの強烈な刺激をうけ、外光や色彩に多くの影響がみうけられる彼の歌は、数回に及ぶ作風転換にもかかわらず一貫してみずみずしく清新なものであった」…。 なるほど、そうだったのか。印象派的な色彩鮮やかなタッチが彼の持ち味だったのだね。 ちなみに、上記のサイトは、「文学者掃苔録」というサイトの中のもの。 (03/04/06) 「星野冨弘…、懐かしいな」
新聞に星野富弘の詩画集カレンダー発売の広告が出ていた。 つい、先日、車中の暇の徒然に、何故か星野富弘の詩文を想い起こしていた小生は、その広告に目が釘付けになった。 星野冨弘のことを知ったのは、大学生になりたての頃で、もう、下手すると三十年近く以前のことになる。下宿住まいだった小生の下宿人仲間のO君とすぐに親しくなった。そのO君は、遊び呆ける小生とは違って、は福祉関係のボランティアをやっていた。 その彼の書棚に星野富弘の詩画の本があったのだ。 彼が勧めてくれたのか、それとも本好きな小生のこと、他人の書棚を眺め回しているうちに見つけたのか、覚えていない。 が、その詩や画の醸し出す世界には、すぐに魅入られてしまった。 彼、星野富弘自身が確か口に筆を銜えて書いた、野の花の水彩画と、彼の詩とがマッチして、人の心の温もりを、人が生きていることの懐かしさを、しみじみと感じさせてくれたのである。 遠い記憶の底から語っているので、上記したことも、あるいは正確ではないかもしれない。その頼りない記憶ついでに述べると、彼は体育の先生だったはずだ。体育の授業での事故で半身不随、首から下、全部が不随になってしまったのだ。 熟年真っ盛りの小生が、今、星野富弘の詩画集を読んだり眺めたりしたら、どう、感じるだろうか。そういう本に感動したこともあるという、遠い懐かしい思いが蘇るだけなのか、それとも、改めて人の命の大切さ、人の心のぬくもり、生きていることの奇跡を改めて感じるだろうか。 (01/11/09) 「原民喜のこと」
日本語の研究者である大野晋氏の『日本語の水脈』(新潮文庫版)を読了したので、簡単に読書感想文を書いておこうと、参考になる情報がないかと、ネットを「大野晋」で検索してみた。 すると何故か「原民喜」が出てくる。あの「夏の花」の原民喜である: http://www.sumomo.sakura.ne.jp/~aozora/tamiki/hara_tamiki/files/hara_tamiki_isho.html 大野晋氏は、原民喜について、何か語っているのか。 そうではなかった。別人だったのだ。 実は、原民喜が世を去って半世紀が経ち、彼の著作権が消滅したのである。 それに伴い、彼の作品を是非、ネット公開したいという動きが表面化し、同じ志を持つ人たちの中で、大野晋氏(日本語学者の大野氏ではないほうの)が発起人になる形で、原民喜プロジェクトがスタートしたわけである。 サイトは勿論、このフォーラムでも何度も紹介した「青空文庫」である: http://www.sumomo.sakura.ne.jp/~aozora/tamiki/tamiki_index.html このプロジェクトに関わったある人の感想などが読めるサイトがある: http://www.ne.jp/asahi/suigyu/suigyu21/sg0208.html#LUNA%20CAT 日本にアメリカ軍によって広島・長崎に原爆が投下されたという歴史的事実を知らない若い人も増えているとか。忘れていいことなのだろうか。忘れてはならないことなのか。その答えは、結局は各人の胸の中で決めることなのかもしれない。 自分としては、原爆投下という悲惨な現実は、決して忘れてはならないことと思う。思いつつも、忘れていくのが人間でもあるような。 そうした迷いの時、原民喜の諸作品を読み、静かにこの現実を思うのだ。 (02/09/16) 「山田かまち…」
幾度となく耳にはしている。だけど、ちゃんとは知らない、そんな人物が世の中にはたくさんいる。 「山田かまち」も小生には、その一人である。 昨夜、ラジオ深夜便を聞いていたら、山田かまちの母親が「かまち」を語る、ということで小一時間に渡って、山田かまちについて縷縷語ってくれていた。 その放送を聞いて、小生は初めて山田かまちという人物像を知ったわけである。 山田かまちは天才少年画家と呼ばれ、一部の識者に将来を嘱望されていた画家だったという。 が、ある日、感電死してしまった。エレキギターにも凝っていたというから、その関連での事故だったのか、その詳細は聞き逃した。 ネットで検索してみたら、山田かまちというホームページがあった。色使いの印象的な絵を画面上でも見ることが出来るので、一応、紹介しておこう。 http://www.wind.ne.jp/emi-mh/ykmuse/ykmuse1.htm (01/08/10)
「永倉萬治さんだって」
昨夜、車の中でラジオを聞いていたら、ナガクラマンジさんという馴染みのない作家が扱われていた。恥ずかしながら、小生には恐らく初耳である。 正確に言うと、永倉萬治(本名は長岡恭一)という作家の奥さんがNHKアナウンサーの森川靄子さんにインタヴューされていたのだ。奥さんの名前は、長倉有子という。その奥さんが、作家永倉萬治の完成し切れなかった作品を完成し刊行に至ったこともあり、この度の登場となったようだ。 詳しい経緯や経歴などは以下のサイトで示すが、もしかしたらNHKドラマ「父帰る」のモデルとなった人、というと、ああ、あの人、と思い出される人もいるかもしれない。「言葉と半身マヒ克服した作家」ということで、黒柳徹子女史の「徹子の部屋」に98年に出演されたこともある: http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/backno/html/980310.html 平成元年に脳溢血に倒れ、作家としての復帰は絶望視されたこともあったのに、懸命の努力と奥さんの介護もあり、作家活動を再開したのだった。 その作家も、一昨年、ついに永眠された。 今のともすると自信を喪失したり、不況の克服を国頼りしがちになる、今日、彼の人柄と文学世界に触れてみるのもいいのではないか。 ネットで永倉萬治さんのファンサイトを見つけた。興味のある方は覗いて見てください: 「なんたって永倉萬治!!」: http://www2.ttcn.ne.jp/~HOME1/sub13.htm (02/01/24) < 前のページ次のページ >
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