カテゴリ:コラムエッセイ( 54 )

天皇陵・古墳の学術的研究・保存を早急に求める

[高松塚古墳]壁画損傷こっそり補修、東文研所長が指示
 奈良県明日香村の高松塚古墳(7世紀末~8世紀初め)で、作業中の文化庁や東京文化財研究所(東文研)の調査員が02年に国宝壁画を傷つけ、公表せずに補修していた問題で、補修が当時の東文研所長で、現在は文化庁の同古墳壁画恒久保存対策検討会座長を務める渡辺明義氏(70)の指示で行われていたことが14日分かった。補修にあたった複数の当事者が検討会のメンバーになっていることも分かり、関係者からは検討会の正当性を疑問視する声が上がっている。
 東文研は、文化財の保存と修復技術の調査研究をする独立行政法人の機関。高松塚古墳では美術などの専門家が傷んだ壁画の修復などにあたっている。
 指示は文化庁の内部資料、「高松塚古墳修理日誌カード」などから分かった。事故はこの年の1月に起き、その場で補修が行われたが、2カ月後の3月28日の日誌によると、渡辺氏は同日午前、現地を訪れ、「事故部分には周囲の土を殺菌して、水だけで溶いて塗付する」と方針を示した。作業は午後、その方針通り行われた。
 渡辺氏を含め補修に当たった7人のうち4人が検討会(24人)の委員。【栗原俊雄】

 上記で「指示は文化庁の内部資料、「高松塚古墳修理日誌カード」などから分かった」とあるが、「朝日新聞などが文化庁に情報開示を請求したことで明るみに出た。分厚い現場の作業日誌を丁寧に読んでいって、ようやくたどりついた事実だ。逆に言えば、情報開示を求めていなければ、日の目をみることはなかった」(「06/04/16付け朝日新聞・社説」より)ものだ。

「検討会の正当性を疑問視する声が上がっている」というが、渡辺座長は、15日になって座長の座と共に委員も退く意向を示している。
 高松塚古墳の壁画にカビが発生したことが報じられた時は、下手に外部からの手が入ると長年にわたってとりあえず残ってきた壁画も傷んでしまうのかと、学術的調査・研究に待ったが掛かるのかと思われたものだが、なんのことはない、「工事関係者が規定に従わず、防護服を着ないで古墳内で作業したため、石室内にカビの大発生を招いた」ものだったのだ(「06/04/16付け朝日新聞・社会面」より)。
 こうした不祥事を隠す仕儀は、東京文化財研究所(東文研)の姿勢のみならず文化庁の体質に無縁ではないように思われる。
 天皇陵に限らず国宝などの文化財の保存を文化庁の管理に任せておいていいのか、不安でならない。
 数知れない古墳の中には徹底した調査をすれば壁画などの貴重な文化財が見つかる可能性があるのではないか。特に古墳などを雨ざらしのままに風化させてもらっては困る。

 以下、5年前に某フォーラムに投稿した関連する記事をホームページのエッセイ欄から原文のままに転記する。

続きがあるよ
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by at923ky | 2006-04-16 12:34 | コラムエッセイ

「煤払」…末期の一服

「煤払」は、この季語随筆で昨年の12月、すでに採り上げている。その表題も「煤払い」と、そのまんまで分かりやすい。
 季語としての「煤払」については、大凡のことはその記事の中に書いてある。
 なのに、一年を経過して(未だ扱っていない12月の季語・季題は数多くあるというのに)再度「煤払」を話題に採り上げるのは、季語として記述しておくべき重大な事項が抜けているのに気付いたから、というわけではない。
 昨年の「煤払い」においても、話題は特に後半の部分は、季語としての「煤払」より、専ら煙草に焦点が合っていた。
 実は今日、このキーワードを糸口に扱うのも、煙草に関する話題である。
 昨年の当該の小文を読まれたら、煙草には人一倍関心がある小生なりの事情の一端も分かるだろう。

 昨日、営業中、ラジオから煙草に関するニュースが流れてきた。マンションなどの耐震データ偽造問題などの陰に隠れていて世間的な耳目を集めにくいはずだが、それでもNHKはさすがに漏らさず報道してくれるのでありがたい。
 そこでニュース記事が削除されてしまわないうちに、関連する記事NHKのサイトから一部を抜き出しておく。
 といっても、児童手当が従来の小学校3年生までだったものが、今度の税制改正で6年生までに拡充された、その際の財源として、煙草に課せられている税金が、1本当たり1円ほどアップされるというニュースではない。

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by at923ky | 2006-01-09 19:36 | コラムエッセイ

グローバリズムの影に怯える

[本稿の末尾に追記があります。]

 昨年の2月にインド西部の州グジャラートで起きた暴動を知る人は、日本では少ないかもしれない。事件勃発当時は日本でもニュースにはなっていたけれど。
 所詮は遠い地の出来事に過ぎないのかもしれない。
 小生にしてもそうなのだが、「ヒンズー教徒とイスラム教徒の間での暴動事件に引き裂かれた」事件の一つに過ぎないのだと思っていた。ただ、その事件での死亡者が多数に上ること、焼き討ちなどで「10万人近くが家を失った」ことがあり、日本でもニュースになったのだろうと思っていた。
 宗教的対立の凄まじさ。
 が実は、この事件の背後には、インド国内の宗教対立に隠されたもっと別の原因が潜んでいることを、小生は『 哲学クロニクル』というメルマガの「第351号 (2003年2月11日)帝国との対決(1)」で知った:

 その号に掲載されているのは、1997年度のブッカー賞を受賞したインド人の作家であり環境保護運動家であるアルンダティ・ロイ女史の講演である。
 彼女によると、

昨年の三月のことでした。グジャラート州では、国が後援した組織的な虐殺計画によって二千人のイスラーム教徒が殺戮されました。裸に剥かれ、ギャングにレイプされ、そして生きたまま焼き殺されたのです。放火犯たちは、店舗、住宅、繊維工場、モスクに火をつけて、略奪したのです。一五万人以上のイスラーム教徒が家を追われています。イスラーム教徒のコミュニティの経済的な基盤は破壊されました。


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by at923ky | 2005-11-03 21:33 | コラムエッセイ

ジョージ・ワシントンの桜の木の逸話

 昨日のラジオでアメリカ合衆国大統領ジョージ・ワシントンの桜の木の逸話が話題に上っていた。
 その逸話というのは、「アメリカ合衆国の初代大統領、ジョージ・ワシントン(1732~1799)は少年時代、父親が大事にしていた桜の木を斧で切ってしまったのですが、正直に「僕がやりました」と告白。逆にその正直さに父親も「お前の正直な答えは千本の桜の木より値打ちがある」とほめたというあのお話」である。

 素直な小生は、ガキの頃、こんな話を多分、小学校の授業の中で聞いて、「そうか、正直って大切なんだ、でも、自分にはできないな」と、こっそり思っていた。
 この話にはいろいろ考えさせるところがある。
 そもそも正直に話したからといって、みんながみんな出世できるとは限らない。父親によっては、お前はなんて碌でもない奴だと罵倒された挙げ句、宮本武蔵ではないが、それこそ桜の木にぶら下げられる、なんていう罰を食らうかもしれない。
 あるいは、馬鹿だな、そんなこと黙っていればいいんだと大人の<知恵>を授けられるかもしれない。秘密を保てない人間は偉くはなれないよ、と諭されるかもしれない。
 穿った見方をすると、ワシントン少年は父親の性格を見抜いていて、正直に告白したら褒めてくれる父親だと分かって告白したのかもしれない。
 それに正直といっても、勇気を持って告白したのかもしれないし、ただただ黙っていることに耐え切れずに、打ち明けることで不安や孤独を紛らわしたい一心だったのかもしれない。小生が犯した過ちを打ち明けるとしたら、気の小さい人間で一人では秘密を保ちきれないからだったかもしれない。
 いずれにしろ、正直者というのは、為政者の立場からすると、国民としての大切な資質なのだということは痛いほど分かる(もし、小生が人を管理する立場の人間だったら、みんな、どんな隠し事もしちゃいけないよ、と言うだろうな。あるいは隠しカメラだって設置するかも)。だからといって、為政者が正直とは限らないのが皮肉というか、悲しいが。

 この有名な逸話を聞いた時、現下の英米によるイラク攻撃のことを連想した。
 イラクが大量破壊兵器を開発するためにアフリカのある国から大量のウラニウムを買ったという偽情報が英米からまことしやかに流され、この情報の故にアメリカ議会では民主党も沈黙を守る結果になったし、必要な時にブッシュ大統領がイラク侵攻を決断することを認めさせることにもなった。
 が、この情報はIAEAによって呆気なく否定された。この偽情報(偽造の証拠)の源は、イギリスの諜報機関「MI6」だった可能性があると指摘されてもいる。真相が如何なるものにしろ、既にアメリカのイラク政権を倒すという方針を左右するには遅すぎた。
[田中宇氏「諜報戦争の闇」参照 ]

 湾岸戦争の時もそうだった。クウェートの女性がアメリカの議会でイラク兵により赤ん坊が残虐な目に遭っていると証言し、その劇的な証言が開戦を決議する契機になったことは有名だ。テレビでもさんざん証言の様子が放映されたものだ。
 さらに、その証言が実はCM会社による作り話だったことを暴露されたことも、今では多くの方が知っている。
 確かに、アメリカは言論の自由の国で、秘密があったとしても、いつかは露見する国なのかもしれない。
 が、その秘密の暴露は全てが終わった後のことだ。
 つまり、イラクへの開戦が決まり、イラクをクウェートから撤退させ、大量破壊兵器の廃棄などを約束させた後、つまりは、アメリカの議会での証言の詐欺紛いの性格の暴露も、後の祭りというわけである。
 
 ワシントンが正直に告白したとしても、桜の木を切り倒した後のことである。後でいくら正直に言ったとしても、やってしまったことは決して取り返しが付かない。殺人を犯した後で、轢き逃げをした後で、実はあれは私がやりましたと言っても、殺された人はこの世に帰らない。一度決まったことは元には戻らない。
 
 さて、昨日のラジオでは、ワシントン大統領の子供の頃の逸話に関して、さらに先があった。
 それは、かの有名な話は、実は真っ赤な嘘、作り事なのだというのである。かの逸話が本当はある人物による作り話なのだということを、聞いた瞬間、えっ、と思ったが、そういえば、以前、作り話と聞いたことがあったかなと思われてきた。
 上掲のサイトから再度、引用する:
「……はこの習慣の由来となった桜の木のエピソードにも及びました。なんとこの話そのものが作り話だったという疑いがでてきたのです。この話はロック・ウィームズが書いた『逸話で綴るワシントンの生涯』という本の中で紹介されましたが、初版にはなく、1807年に出版された第5版から突然登場しているのです。どうもウィームズは売上を伸ばそうとして、それまであった逸話よりさらにオーバーなエピソードを「創作」してしまったようです」
 まあ、ワシントンが正直者だという前提があるからこそ、この話に信憑性を持ったのだろう。ニクソンやクリントンだったら、誰も信じないかもしれない。

 思うのは、アメリカの言論の自由であり、あるいは言論の怖さである。ロック・ウィームズ(Weems, Mason Locke 1759-1825)に類似した人間が自分の本をもっと売ろうとして、過激な話、実話でない話をでっち上げて、ある人物の印象を左右してしまう。ある人物を立派な人間に仕立て上げようとして、思いっきり脚色された人物像をテレビで新聞でネットで、あるいは本の形で、キャンペーンの形で世間に印象付ける。高潔で決断力と勇気のある大統領ブッシュ…。正義の味方。十字軍。

 我々の多くは、ブッシュ大統領の実像を知らないように、フセイン大統領の実像も知らない。フセイン大統領は(ブッシュ大統領よりは)教養があり、子ども好きで、女性の登用を含めて開放的な政策を採っていたのかもしれないし、あるいは英米が喧伝しているように、冷酷な独裁者で残虐な人間なのかもしれない。
 しかし、シーア派、スンニー派、クルド民族らの入り組む国家で冷酷な決断力がなければ国家が国家として持つのかどうか。だとしたら、非難する種なら無数に見つかりそうである。
 フセイン大統領の実像も、ブッシュ大統領の人間性も、このたびの戦いの評価も後世になって初めて定まるものなのかもしれない。
 その時になって、あの頃のアメリカは一部の狂気の集団が舵取りをした、アメリカが思い上がった不幸な時代だったと分かるのかもしれない。
 その全ては先の話だ。分かったところで、犠牲になった軍人も民間人もジャーナリストも帰ってこない。アメリカ軍は解放軍ではなく、ただの侵略者であり、実はやっぱり石油の利権とイスラエルとイラクという超親米の枢軸を作りたかっただけなのだと分かったところで、誰も責任をとるはずもない。
 すべては、物語、映像、印象、偏見、無関心、憎悪の渦巻く闇の彼方なのだ。



                               (03/04/11)
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by at923ky | 2005-10-28 13:00 | コラムエッセイ

K筆「街の緑」に寄せて

 Kさん、こんにちは。
「街の緑」というテーマと、杜の都・仙台についての話題ということで、ちょっとお邪魔したくなりました。
 東京は確かに地図上は緑が多いんですね。
 ただ、緑が代々木公園とか新宿御苑とか、青山墓地とか、元赤坂や皇居、上野の公園など、大きな緑地が点在しているわけです。
 小生の住む地域も、工場の多い街で、住宅街と工場(こうば)とがひしめき合っているんですが、それでも、住宅の庭先やベランダなどにささやかな緑の憩いの空間を持とうと務めているようです。
 並木道もあるんですが、狭い道路に無理矢理並んでいるようで、どことなく肩身の狭い、窮屈な感じを覚えてしまいます。
 おっしゃられるように緑の道を増やし、また繋げていって、歩くに楽しい街にしたいものです。
 と、思ったら、東京都議会は、「東京の緑化推進に関する決議」を出しているのを思い出しました:

 これを読んで気が付くのは、特に後段の「建築物の屋上や壁面の緑化について、都関連施設や公共建築物から早急にこれを推進」というくだりです。
 実際的に自由にできる土地が少ない以上、緑化の余地は屋上や壁面ということになるんでしょうね。
 ということは、飛行機や高層のマンションに住む方の目には、やがては東京の街が緑の街になるということなのでしょう。でも、地上を歩くと、依然として壁面以外は、アスファルトかコンクリート、ガラス、プラスチックの塊ばかりというわけです。
 そういえば、古いビルだと、壁面にツタのようなものが鬱蒼と蔓延っていることがあります。あれはわざとやっているのでしょうか。壁面を緑化するというのは、将来はああしたビルが増えるということなのだろうか。
 小生などが思うに、高層のビルがこれからもドンドン建つようだけれど、その形を今、建ちつつあるような殺風景な、味も素っ気もないビルの形にするのではなく、もっと、ガウディなみとはいかなくても、カオス風な、奇抜な形にし、その表面を緑化したらどうでしょうか。
 それに道路の舗装の色だって、何もねずみ色にしなければいけない理由などないはずです。土の色にしたらと思うのです。そうすれば、道路標識の白や黄色のペイントも、一層、鮮やかに際立つと思うし、道路全体は土の色(茶色系)で目に優しいし。
 そう、ビルの壁面も、目に優しい色に(緑色系)に変えていけばとも思います。
 そうえいば、草の繁殖が可能なコンクリートの開発が進んでいるそうです。たとえば、護岸工事でもそうした緑化を前提にした方法を取るなら、景観上も、随分、違ってくることが期待できそうです:
 http://www.tsuru-con.co.jp/html/vegecret/

 それと、街中の物資の輸送も、江戸の昔みたいに、運河の利用という手段を回復することも選択肢の一つにあっていいようにおもいます。そうすれば、市街地のヒートアイランド現象の緩和にも役立つでしょうし。
 
 杜の都・仙台へは、通過以外に、もう久しく足を運んでいません。小生が卒業してから、大規模な工事が街中で相当にされていたようで、小生が知っている杜の都・仙台とは様変わりしているんじゃないかと、若干、心配です。
 相変わらず、杜の都・仙台という名に恥じない街なのでしょうか。
                                    (02/06/16)
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by at923ky | 2005-10-28 12:56 | コラムエッセイ

バーチャルリアリティと現実と

 バーチャルリアリティ(略してVR)という言葉は既に慣れ親しんでいると言っていいのかもしれない。但し、親しんでいるということと、その原理や効果や目的や可能性を熟知していることを保証するはずのないことは、言うまでもない。
 例えば、下記のサイトでVRについての定義を見てみよう:

「仮想現実。コンピュータの3次元シミュレーションなどにより、人間にとっては現実のイメージに近い仮想的な世界を作ること」とある。
 まあ、こうした新しい概念というのは、理屈を理解するより、「センサーに応じた3Dの映像」などを実地に体験するにしくはない。
 但し下記のサイトを見るまでもなく、「仮想現実」という訳語は誤解を与える(2):

「「みかけや形は原物そのものではないが、本質的あるいは効果としては現実であり原物であること」であり、これはそのままバーチャルリアリティの定義を与える」
 つまり、敢えて仮想という言葉を使うなら、手段としての媒体の我々に与えるみかけや形は原物そのものではないが、我々に与えられる結果としての「現実」は、まさに現実であり原物なのだということだ。

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by at923ky | 2005-08-25 00:32 | コラムエッセイ

屋上緑化の効果

 ヒートアイランド現象に悩まされている東京都が、「2001年4月、改正自然保護条例を施行、敷地面積1000平方メートル以上の民間建築物(公共建築物は250平方メートル以上)を新改築する際、利用可能な屋上面積の2割以上の緑化を義務」付けたことは、御存知の方も多いだろう。
 ヒートアイランド現象とは「地表がコンクリートやアスファルトに覆われた都市部で発生します。水分の蒸発がほとんど起こらないため、地表面の温度が上昇し、空調など人工的な排熱もこれに加わり、夜間になっても気温が下がらない状態」を言う。
 この屋上緑化というのは、「オフィスビルの屋上の空きスペースを利用して樹木、草花、芝生などで緑地を造る緑化サービス事業のこと」を言う。「ヒートアイランド(都市の高温化)現象の解消策」として、「ビル自体の断熱、防音、冷暖房費抑制効果」も期待できるとして、推進されているものだ。
 詳しくは下記のサイトなどを参照願いたい:

 このサイトによると、「最近では都市で生活する人々のストレス解消や癒しにつながるとの指摘」もあるという。

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by at923ky | 2005-08-18 22:48 | コラムエッセイ

濡れ落ち葉の行方

 別に風流なことを書こうというのではない。
 知る人は知っているだろうが、「濡れ落ち葉族」というのがあって、定年を迎え会社に通うこともなくなった亭主たちの一部の方々を指して評する言葉である。
 仕事一筋でずっと来て、趣味もなく、近所付き合いもなく、会社関係を離れると社会とのつながりもない。
 で、出かける当てもないので家でゴロゴロする羽目になる。外出というと、奥さんが出かけるときに、奥さんとしては必ずしもついてきて欲しくはないのに暇な亭主がくっ付いて来る。
 それは秋の日に路上に吹き溜まる落ち葉が、雨や露などで濡れていると、その上を歩いたりすると、靴の裏などに落ち葉がベタベタくっ付いてしまう。
 そのように亭主が奥さんにくっついて回って邪魔でしょうがない、亭主が奥さんの足手まといになっているそういう状態を指す言葉のようである。一説によると評論家の樋口恵子女史が造語された言葉だという。
 さて、つい先日、夫婦(あるいは広くは男女)関係のあり方をいろいろ考えさせる調査結果が公表されテレビ・ラジオなどで話題になっていた。
 その調査によると、男は(亭主は)仕事を隠退しても奥さんがいると独身の男性よりも長生きする。
 しかし、女性のほうは、亭主と一緒に暮らすより、独身であったほうが長生きできるという結果が出たというのだ。

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by at923ky | 2005-08-09 22:16 | コラムエッセイ

いじめについて

 あるサイトの日記や掲示板で、同和問題(最近は、人権問題と呼ばれているらしい)が採り上げられていた。この問題は封建的な時代の遺習とはいえ、現代も生々しい形で、その差別の実態は残っているようである。
 多くは部落差別の問題だったが、そうした同和地区の問題は、見かけ上はかなり改善されたとも聞く。が、実際には、部落を出ても、出自の過去が付き纏い、結婚ができなかったりなど、問題の根はより陰湿になり複雑になった面もあるのかもしれない。
 結婚の際、相手方の<身分>を調べるなど、今も深刻な現実があるとか。
 その陰湿さの一つの面として、「えせ同和行為」が時折、新聞などで記事になるのを見かけることがある。つまり、同和問題の重さや一旦、関わった時の厄介さという現実に乗じる形で、同和問題を口実にして企業や公的機関に不当な寄付や利益を募ったりする。
 部落問題や差別を扱った小説には、住井すゑの『橋のない川』とか、島崎藤村の『破戒』など、いろいろある。

 差別という問題は、神野清一著の『卑賤観の系譜』(吉川弘文館刊)などを読むと、日本においては(日本に限らないと思うが)、少なくとも歴史と共に存在していたことが分かる。

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by at923ky | 2005-08-07 23:07 | コラムエッセイ

都心の新風景

 東京の都心がこの数年、凄まじい勢いで変貌を遂げている。バブルの崩壊で土地の値段が下がり、再開発の勢いがここに来て一気に花開いているという状況なのだろう。
 中には、六本木ヒルズのようにバブル前から計画され、それが今になって形になったものもある。時期がたまたまほぼ重なったということなのだろうか。
 発掘調査が終わった汐留地区や丸の内(丸ビル)、新幹線の到着に伴う品川駅東口、他にも大崎もほんの数年前とはかなり様子が違っているし、まだまだ変わりつつある。大井地区も大規模な工事が続行されている。
 そうでなくとも高層ビルは都心の方々で林立しつつある。面白いのは、大規模開発そして超高層のビルを建てる代わりに敷地には庭園などが設けられるし、ビルの中、乃至は同じ敷地内に高層のマンションも建てられていることだ。
 当然のように、新しいビルが建てば古いビルや家屋は姿を消していく。例えば、汐留地区の再開発で、古い家屋が消えつつある様子を見てみよう:

 品川駅の東口も大変貌を遂げつつある。品川インターシティはビジネスビル群
だが、近くに品川セントラルガーデンが出現し、ちょっとした話題を呼んでいる:

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by at923ky | 2005-07-04 22:31 | コラムエッセイ