「鎌倉の海を守る会」より転記する:
まず、『鎌倉の海を守る会』とは: 「腰越漁港海岸環境整備事業問題をきっかけに立ち上がった海を愛する地元市民が、平成9年1月31日に発足したものです」とのことで、以下、当該頁を覗いてみてほしい。 More ▲ by at923ky | 2007-11-22 00:27
日本は最近はほんの少し喫煙事情が窮屈になりつつあるといっても、依然として喫煙天国だと思っていいだろう。愛煙家にとっては、少なくとも先進国の中では天国なのである。
昨年10月1日に千代田区において歩き煙草(歩行喫煙)を罰する条例が施行された。罰金も課される。車中での喫煙は構わないが、車外へポイ捨てしたなら罰則の対象となる。 実際、小生は仕事柄、車で都内を走り回っているが、車からのポイ捨ての多いこと。道路は灰皿じゃない! と言いたくなる。 海の彼方の欧州連合(EU)では、煙草のパッケージに「喫煙は(人を)殺す」の表示を求める法令が実施されるという。既にそこまで対煙草対策が進んでいる。 愛煙家の一部には、マナー向上に努めているというが、マナー向上というのは、自分を律すればいいというだけではなく、喫煙する仲間をも制するものでないと、自分はちゃんとやっているから文句ないだろうという、単なるアリバイ、言い逃れに過ぎない。 煙草を吸わない人と同席する際、「煙草を吸ってもいいですか?」と尋ねて、OKがあったら吸うようにしている、などと澄まして語る人もいる。 が、ここは日本である。煙草を吸っていいですかと聞かれて、正直に嫌ですとかダメですと言える人間がどれほどいるものか。仕事の都合、職場の上下関係、男女の柵(しがらみ)などがあって、それに曖昧を以って良しとする、無駄な軋轢を避ける、そんな倫理が土壌としてあることを多くの喫煙する大人も分かっているはずだ。 More ▲ by at923ky | 2005-04-28 11:46
Sさん、こんにちは。
とても興味深く読ませてもらいました。 日比屋了慶とルイス・デ・アルメイダとの逸話も、小生には初耳でした。 早速、ネットで調べてみると、以下のようなサイトがありました(但し、「日比屋了珪」と記されている)。 戦国時代、そして大航海時代の当時、日本もヨーロッパの国々の支配への触手が伸びたわけです。その先兵が例によって宣教師達だったわけですね。茶の湯に限らずキリスト教の影響は広範に渡って及んだもののようです。 けれど、民度の高さに、簡単には支配の手が及ばないことを悟ったとも聞いています。下々の民衆であっても、渡来の文化に興味を示し、理解し、学習し、習得し、我が物としていく文化に脅威を覚えたのでしょうか。 ![]() 利休も、彼自身は分からないけれど、彼の後妻や娘の中にはクリスチャンがいたようですし、利休が考案したと言われる茶杓に、十字架のモチーフを読み取る向きもあるようです。 [茶杓(ちゃしゃく)はあるサイトを参照 ] 袱紗さばきや回し飲みの技法も、当時の宣教師等が行っていたものを真似たもののようですね。 「千利休とその妻たち」の著者・三浦綾子氏が、ある時、利休の子孫と言われる千宗室氏を訪ねた際、利休の切腹の理由は如何にと問うたところ、宗室は即座に利休がクリスチャンだったからと答えたとか(エッセイの中で三浦氏が書いている逸話)。 「茶の湯と十字架」の関係については、以下の本があるようです(小生は未読): 『茶道と十字架 』(増淵宗一著、角川書店) 何処かのサイトで読んだことで、茶の湯の道についても詳しくない小生が真偽の程を確かめ様がないのですが、茶室の出入り口(躙り口)が狭いのは、天国へいたる狭き門を象徴しているという説もあるようです(四畳半の茶室そのものは、村田珠光(1423~1502)の創案によるもの)。 [この項も含め、飛び石などの庭園の思想とキリスト教の関係は、茶室への躙り口や、利休が切腹を命じられたのはクリスチャンであったが故であると いう逸話も含め、このサイトに詳しい。 ] その村田珠光は寺を追われた身だったようですね。 でも、禅の教えを捨てられなかった。そんな時に京都で出会ったのが、能阿弥(1397~1471)や一休だったわけです。能阿弥からはお花の生け方を学び、和の文物への眼識をも学んで、後の侘び茶へ繋げていったのでしょう。 だからこそ、茶の湯の世界には、自由な誰もが親しめる形での禅の教えが茶の香りのように漂っているのでしょう。 大きな声では言えませんが、濃茶を喫することは、健康にいいだけでなく、座禅で長く坐っている際の、眠気覚ましに効果的だったとか。修行にも、いろいろ苦労があったんですね(小生は、この眠気覚ましに効果的という一点で、禅とお茶の関係に得心が行ったものでした。ああ、なんて下世話な理解だろう)。 村田珠光が親しめる形に大成する以前のお茶(お茶の葉っぱの種)は、栄西禅師により中国(宋)から1191年に齎されたものであることはクイズの問題などで出題されることがあるように、よく知られていることです。但し、栄西のお茶は、いかにも禅の修業と教えの厳しさとから切り離すことの出来ない、厳かなお茶だったとか…。 但し、歴史を遡ると、遣唐使により平安時代の頃には(ことによると奈良時代の頃には既に)齎されていたとか。貴族や僧侶の間では、その形は分からないけれど(中国の風習に学んでいたのでしょうけど)お茶は広まっていたようです。 あるサイトによると、「日本のお茶の歴史は、平安時代に遣唐使の一行に加わって唐に渡った3人の僧、永忠、最澄、空海が、日本に喫茶の風習をもたらしたとする説が一般的」だとか。 このサイトによると、「文献上では「日本後記」の815年の記事に、僧の永忠が自ら煎じて嵯峨天皇に献じたという記事があ」るということです(小生は未確認。でも嵯峨天皇とお茶の逸話は有名ですね)。 さて、日本のお茶のルーツが中国にあることは間違いないのでしょう。飲茶の風習は数千年の歴史があるとか。お茶に毒消しの効果があるということは古くから知られていたようだし。 ただし、当然のことながら仏教を含めて宗教との繋がりは必ずしも明確ではないようです。もともと中国にあった風習が、後に中国に伝わった仏教の世界にも無関係ではありえなかったということなのでしょう。 日本へお茶の文化が古来より中国から直接、あるいは朝鮮を通じて入っていても不思議ではない。お茶と認識していたかどうかは別として、薬草とか漢方に類するものとして、日本でも有史以前から伝わっていたのではないだろうか。 日本に渡来した中国人の先人が、そうした日常生活に不可欠の産物を齎さないとは考えられないからだ。それが継続する形で日本に土着したかどうかは分からないとしても。 「禅やキリスト教の儀式を形骸化させることによって、日常のなかに宗教的な境地を呼び入れた。茶の湯は信仰を持たぬ者にも宗教の喜びを味わわせてくれる」という指摘は、粗忽な小生も納得します。 特に利休が大成したお茶は、キリスト教への態度が厳しくなる中、見かけの上での脱宗教(脱キリスト教)が絶対条件だった以上は、宗教臭さを極力排したものと推測されます。 その結果が、我々に親しめるお茶の文化になった…としたら、皮肉な歴史を感じざるを得ません。 「教えはあるが、伝道はない。祈りはあるが、神はいない。」至言ですね。 (02/11/15) [本稿は、Sさんの「茶の湯とキリスト教のミサ」と題された一文に寄せたコメントです。] ▲ by at923ky | 2004-12-27 00:17
「ファーストフードとしての人間の誕生」戴いたコメントへの返事
Kさん、こんにちは。コメントをありがとうございます。 前回の発言をしてから小生は、やや短絡的で図式的過ぎる説明ではなかったかと反省していました。 仕事での移動中、今の若者はなぜ切れるのか、切れやすいのかを少し考えていました。あるいは、本当に今の若者は切れやすいのか、もしかしたら昔の若者だって相当に切れやすかったのではないか。あるいは、凡そ、若者は元々切れやすいのではないのか、とも考えました。 これは実際のところ、昔と今の若者を比べるのは極めて困難です。切れやすさを示すような指標があるわけでもないし、では今の中年や熟年世代の人の昔を胸に手を当てて思い返してもらっても、それは往々にしてセピア色の霞の彼方の若い頃を思い起こすのが精々で、本当にその人が若かった折の煮えたぎる青春(ああ、懐かしい言葉! 昔は大手を振ってこの言葉が使われていた)がありありと現前できるわけもありません。 そんなことができたら文学者か映画の作り手か、とにかく一角のクリエーターになれます。戦後の一番厳しかった時代、終戦直後など、悲惨な事件が頻発したと歴史の書物にはあります。とてつもない謀略事件も起こっていました。その中に若者が関与した事件も多数あります。 ただ、警察の力も混乱の中、及ばなかったために、またマスコミの報道も微に入り細に入っての報道とはいかなかったわけです。ましてワイドショーなんて今ほど盛んではありませんでしたし。 つまりはみんな自分の生活を遣り繰りするのに懸命だったわけです。他人のことなど構う余裕などなかったわけですね。 だからといって、別に今は他人の事を忖度できるほどに暇が出来たから、少ない事件が針小棒大式に大袈裟に採り上げられていると主張するつもりはありません。 ただ、少年による重大犯罪は実際には近年減っているという統計もあったはずです。 むしろ、それより、小生は今の少年の場合、情念が内に篭っているのではないのかという恐れ、懸念のほうが大きいのです。 つまり今の子供はいい子であることを幼いうちから更に思春期を過ぎてまで宿命付けられているのです。なんといっても一人っ子か、せいぜい二人きりの子供の家庭がほとんどです。 昔のように、子供がたくさんいるし、親は生活に必死で子供の面倒など見ておられないから、親の目の届かないところでの子供の自由な(しかし、その代わり危険すれすれの)生活空間がたっぷりあったということです。 (その典型は芸能人を見れば一目瞭然です。昔の芸能人はさんざん悪さもやったし、浮気や不倫もやったし、暴力団との交際や腐れ縁もどぎついくらいにあったわけです。でも、それらの非行がマスコミの槍玉にあがることはありませんでした。だからのびのび芸能活動を展開できたわけです。しかし、今はマスコミのカメラの眼はどこのレストランで誰と何を食べたか、何を喋ったか、ファッションはどんなふうかに至るまで、否、家の居間に至るまで逐一暴露され、マスコミのねたにされる時代です。これでは時代を象徴する大きな俳優も歌手も育つ余地が日本にはありません。だから才能のある人は海外に脱出するわけでしょう。ちょっと余談でした) ということは常に親や近所や学校などの監視の元にあるということです。一挙手一投足が他人の目を気にしてなされることを余儀なくされているのです。家庭では親に対して近所に対して挨拶をするいい子、学校では仮に悪ぶった子供でも人目のあるところではいい子であることを計算します。なんといっても偏差値と内申書の時代なのですから。 その、いい子であるということは、つまりはある一定の仲間内でのいい子であるということです。 つまり家庭なら家庭という狭い空間でのいい子です。親に対して反抗はしないこと、言われたことは守ること、反論はしないこと、それがいい子です。子供だったら時には親に反抗したり、逆らったりするのが本来自然の姿のはずなのに。 また、学校や遊び仲間同士という空間でのいい子であることを絶対的に選択の余地なく余儀なくされます。 その仲間内の中では、いじめがあれば素直に虐めに参画し、あるいは逆にいい事をしようという空気が生じれば素直にいい事をします。ボランティアが奨励されれば、率先してボランティアだってするわけです。 一見すると立派な心がけのようですが、実はここに重大な陥穽があります。 むしろ子供(に限りませんが)は天邪鬼のところがあってこそ人間らしいのではないでしょうか。つまり虐めを仲間内でやっていたら、俺だけはやらない、という人間がいてもいいわけです。 逆にボランティアが唱道されたなら、そんなもん、やれっかよと、内心はやりたくてもやらなかったりする、そんな天邪鬼なへそ曲がりなところもあって初めて人間らしいと思えるのです。 しかし、現代はマスコミの発達や様々な行動に関する神経過敏の傾向があって、その仲間内での空気には絶対にといっていいほどに逆らえない密閉されたような空間が随所に転がっているわけです。家庭、学校、塾、クラブ活動、男女関係。 ということは、その人はある空間の中では、密閉された空間の中では常にいい子であるという習性を幼いうちから徹底して体に叩き込まれているということです。その限られたその都度の場では異議を唱えられない子供(人間)に育つといことです。 が、しかし、社会というのは、しかも現代は特に異なった空間、異なった価値観、異なった風習の下で育った他者との出会いの場です。つまり異質な心性の相克の場であるということです。 にもかかわらず、限定された空間の中で、つまりは無菌室の中で育った子供(人間)には異質な空間の場で育った人間との付き合い方、対処の仕方を全く知りません。常に同質であることを求められて育ったのに、無菌状態で育てられたのに、いきなり社会という雑菌のうようよする空間に放り出されたなら途方に暮れるのは当然の話なのです。 つまり他者に街中で出会ったら、他者はただの風景か背景に止まるしかないか(それは電車の中で女の子が平気で化粧できるのも他者はただの背景でしかないからです)、でなくて、他者が己の空間に立ち入ったら対処の仕方を学んでいないわけですから、パニックに陥るのは当然なのです。 きっとこれからの時代は、例えば学校では仲間同士仲良くやれよ、と教育するのではなく、異質な空間に育ったもの同士の出会いの機会が増えることを想定して、異質なものが出会った際に如何に付き合うべきかを学ぶ場にすべきではないかと思う次第です。 (01/06/23) ▲ by at923ky | 2004-12-07 22:52
「ファーストフードとしての人間の誕生」
個性を大事にと喧伝されたことがある。今の若い人たちの(一部かもしれないが)中にも、特にファッションや音楽関係にうるさい人などには、自分のやりたいようにやる んだ、それが個性の発揮だし、独自性の表現だし、競争社会の中で目立ち、傑出する道なんだと主張する人が多い。 個性、学校でさえ、個性の尊重を言う。個人の意思や独自性の尊重、そしてその個性を伸ばすことが大切だ、なんて考えが主流になっているようだ。 しかし、振り返ってみて子供の頃に自分のやりたいことが明確になっていた人がどれほどいたろうか。高校や大学を受験する頃にも、自分のやりたいことが分からないままに、とりあえず内申書と偏差値とで理科系か文科系に早々と振り分けられたままに、気が付いたら高校に、あるいは大学に籍を置いていたという人が多いのではなかろうか。 大学などに入学する年齢になって、ようやく遅まきながら、はて自分は何をしたくて大学に来たのだろう、などと悩みだすのである。 それでも、悩む学生はまだましなほうかもしれない。 大学を卒業して就職する段になって初めて、自分はどんな会社が、どんな職が向いているんだろうと悩みだす学生も多いようだ。 が、それどころか近年は、大学を卒業して社会人になってからも、やりたいことが分からずにフリーターという形態を選ぶ人もかなり増えている。下手すると、そのほうが今は多いのかもしれない。 それが、即ち、悪いわけではない。いいわけでもないが。 実は、きっと今の時代は、子供の頃に社会に目覚める機会が減っているのではないかと、密かに小生は思っている。 極めて型通りに説明すると、昔は貧乏な家庭が多かった。ほとんどの家庭がそうだったと言ってもいいくらいだ。その貧乏な生活の中で、つまり端的にはカネに困るという自分の、あるいは親の暮らし振りを経験する中で、社会を否応なく意識せざるをえなかったのである。 今も実は貧乏という表現はしないまでも、実質において劣悪な環境に置かれている家庭は多い。というより、実情は、そうした家庭のほうが圧倒的なのではないか。ますます多くなっているのではないか。 にもかかわらず、家庭は、子供が大概、一人っ子か、せいぜい多くて二人なものだから、子供に惨めな思いをさせまいと親は必死なのである。また、衣料品くらいは結構、豊富だし安く買える状況にある。食べるものも工夫次第では、そこそこのものが食べられる。 つまり、その日の暮らしには困らないわけである。 それに何といっても今はローンがたっぷり用意されている。当面は借金でしのげるというわけである。 そうして高い教育費に難儀しながら、子供には生活の苦労を見せず、つまりは社会というものをシビアーな形では見せず、従って子供が社会にぶつかって社会を意識する機会を奪い去ってしまい、結果として子供は家庭と学校(と塾)を往復する中で無菌状態で育ってしまうのである。 だからといって小生は今の子供たちが悩みを抱えていないなどという暴論を吐くつもりはない。悩みを抱えない子供など、小生は信じない。 ただ、その悩みは子供にとって、勿論、深刻だし切迫しているのだけれど、それが社会から隔離されているものだから、悩みが抽象的に浮き上がっているのである。 悩みや痛みが、だから他人と共有することが不可能になりつつある。 なぜなら、社会との触れ合いを通して初めて自分の悩みが相対化されたり、他人との意志の疎通を通して共有化されたりするのだとしたら、その契機が捨象されているからである。 子供はファーストフードのように礼儀正しく、折り目正しく、順序立てて、つまりはマニュアル通りに育てられていく。親達自身が社会から孤立を余儀なくされているので、情報を雑誌やテレビや聞きかじりの無責任な噂や流行に頼って得るしかないわけで、そうした親が子供に施しえる<教育>にしても、何処かで聞いたような出来そこないのマニュアルに従った教育しか与えられない状況にあるのである。 小奇麗な服を着て、清潔を保ち、今も昔に変わらぬ世間体に怯え、そうして綺麗に切り込まれた箱に押し込まれ並べられて、エスカレーター式に社会に放り出されるのである。 つまりは昔は子供の頃から徐々に社会に慣らされたものが、今は、無菌状態、無垢の状態で社会に、しかも一人で立ち向かわなくてはならないのである。 かくしてファーストフードとしての人間の誕生である。 (01/06/19) ▲ by at923ky | 2004-12-07 22:44
「天の川海山群や七夕海山群など」
"海上保安庁では、昭和58年度から日本周辺海域の詳細な海底地形の調査を行っており、約300個に及ぶ海山、海底谷等を発見してきました。この度、我が国で開催されたGEBCO(ジェブコ:大洋水深総図)委員会でこれらの海山や海底谷の名称が国際的に承認されました" 昨夜、車中でラジオから海山(かいざん)という小生には聞きなれない言葉が流れてきた。その海山の名称には、例えばかぐや姫海山、織姫海山、牽牛海山などがあるという。皆さんは御存知だったろうか。 小生には初耳である。 自宅に帰って早速、事典に当ってみると、海山や海丘(かいきゅう)という言葉についての説明があるが、具体的な名称となると全く挙げられていない。 ちなみに海山とはNIPPONICAによると「海底の盛り上がりで、麓から頂上までの高さが1000メートル以上あって、比較的孤立しており、頂上付近の広がりが狭い海底地形の一つ」とある。つまり1000メートルに満たないものは海丘ということになる。 が、この説明を読む中で、そういえば何かの図鑑で海の底の数知れない山や丘を描いた挿絵を見たことがあったのを思い出した。海山という言葉も聞いたことも見たこともったのである。 ただ、昨夜(というより既に未明だったが)のラジオで聞いた、かぐや姫とか、織姫とか、牽牛という名称の海山があるというのは全くの初耳だったというわけである。 事典では、先述したように具体的な名称が一切挙げられていない。小生はネットで検索してみることにした。すると、確かに、これらの優雅な、ロマン溢れる名前を付けられた海山があるのだった。 タイトルに示したような「天の川海山群や七夕海山群」に止まらず、「長寿海山群」として還暦海山、古希海山、喜寿海山、傘寿海山、米寿海山、白寿海山があり、「秋の七草海山群」「秋の七草海山群」などもあるという。 冒頭に引用したように、これらの名称がこの度、国際的に承認されたこと、そして七夕にちなむということもあり、昨日のラジオで織姫海山などが紹介されたのだと思われる。降って湧いたような話題の報道のされた理由も、少しは事情も分かった気がした。 *海山群についてもっと詳しく知りたい方は、以下のアドレスを示しますので、興味のある方は覗いていただければと思います。 http://www.kaiho.mlit.go.jp/info/kouhou/k20010507.htm まあ、七夕の日は過ぎてしまったが、ちょっと小耳にはさんだので遅ればせながら、お話した次第である。 (01/07/10) ▲ by at923ky | 2004-12-07 22:32
「独我論と心身問題と」
哲学事典(平凡社)によると「独我論」とは「実在するものは自分の自我だけであって、他我およびいっさいのものは、自分の自我の意識内容として存在するにすぎぬという立場」とある。バークリーなどがこの代表者とされるが、フィヒテやさらには現代哲学の地平ではヴィトゲンシュタインが今日的課題に関わって中心的人物と言えるかもしれない。 小生は昔、デカルトをかじった頃、デカルトの「我思う、故に我在り」という観点からは決して肉体としての人間、あるいは具体的相貌としての自然とは出会えないと直感した。 デカルトは思惟実体(精神)において絶対確実な原理を得たかのごとく確信したかもしれないが、しかし、そこからは延長実体(物質や肉体)には決して通底することはないことに深刻な煩悶を抱いた。 挙句、脳の奥の松果体という部位に救いを、つまり精神と物質との幸福な出会いの糸口を見出したそうとした。が、高校生の小生にも、それは苦し紛れの誤魔化しだと察せられるお粗末な議論に過ぎなかった。 結局のところ、デカルトの明晰・判明な思惟というのは、つまり方法的懐疑というのは、あくまで方法的な懐疑であって、それは一種の方法的虚構の論理と見なすのが妥当なのだろう。 そうした仮構された方法的論理空間の内部だからこそ、明晰・判明な思考が妥当しえる。つまり、数学や数学から類推された論理が妥当しえる(かのような)情念の世界をデカルトは虚構したのである。 しかし、肉体は、そして自然は必ず人間の尊大な営みを裏切る。 遠い昔、ソクラテス以前の人、哲学の始祖とも言われるタレスは、天文学を窮めようと、いつものように瞑想に耽りながら歩いていて、思わず何処かの穴に落っこちてしまった。 それを見たある無学な女は「偉い人かもしれないけれど、目先のことには疎いんですね」と笑った。 所詮、哲学者というものは現実離れしたものなのかもしれない。だから卑賤な者たちに高尚な哲学など分かるはずもない、と開き直ることも出来ないこともない。 けれど、その穴というのは、実は、それこそが現実なのかもしれないと考えられないだろうか。 又、別の例を出そう。 例えば、1プラス1は幾つか。答えは教科書通りで行くと、2である。 それは正しいのかもしれない。 というより1プラス1イコール2というのは定義なのであって、答えというより約束に近いのかもしれない。 しかし、例えば1プラス1イコールとノートに記入し、さて答えを導き出そうとして、その最中に地震が起きたり、あるいは天上から雨水が垂れてきてノートが破れたり、ずぶ濡れになったりしたとしたら、答えを出すところの騒ぎではないはずだ。 その場合、地震や雨水の漏れは1プラス1とは別次元のこととして無視すべきなのか。関係ないことだから考慮の外に置くのが常識なのか。 しかし、現実とは、実はそうした思いも寄らないことの連続だったりするのではないのか。 とすると1プラス1とイコールで結ばれるはずの2との間には深い亀裂が覗けているのではないのか。論理の上での1プラス1イコール2というのは、そうした現実の生活空間の偶然性、カオス性を除外した、虚構空間上の不可視の論理世界なのではないのか。 けれど、しかし話はここでは終わらない。数学や物理やによって得られた知見が折に触れ技術や応用の形で我々の生活空間に適用されてくる。実際、その諸法則によって飛行機だって飛ぶし、車も動く。 こうした実績というか現実があるからデカルトは数学の力を確信したのだろう。論理の世界から導き出された法則や規則が何故に現実の世界に妥当するのか、そこにこそ、デカルトは不可思議を覚えたのだということを忘れてはいけない。 さて、近年のコンピューターの発達は目覚しいものがある。その恩恵に我々は浴している。その発達がロボットの製作という象徴的な形で我々の前に具体化されようとしている。 コンピューターは論理の世界の所産である。その論理的言語をパソコンなどの形で我々の前に具現化されているわけだ。 その一定の成功は論理という言語を身体という肉体の創造の形で、新たな段階に踏み出そうとしている。 あるいはコンピューターの論理の新たな可能性を人間の脳に見出していると言うべきかもしれない。 つまり人間の脳の神経網の巧みさに改めて驚かされ、素子の微細化という武器を手に、再度(昔、AI=人工知能の構築を図って、見事に壁に突き当たったことがある)人工の頭脳を作ろうとしているのである。 そして人間の脳の特殊な構造を研究するとは、つまり人間の身体との関わりの中で脳を考えることに他ならないと気づいたのである。 脳は身体との相関関係なしには発達しなかったものなのだ。 それゆえ、人間型ロボットを実現させるという明瞭な目標を立てる形でプロジェクトを組み、論理(記号)と物体(肉体)との相関を研究しようと試みられているわけである。 肉体とは人間にとって一番、身近な自然なのである。 小生は、きっとロボットの構築だけでは人間の脳の研究は偏ったものになるし、早晩、行き詰まるに違いないと思っている。 何故なら、人間の身体は単なる肉体ではないのだ。人間は(多くの動物は)男と女で(雄と雌で)成っている。 つまり、そこにはセックスが介在しているのだ。 セックスを好もうが嫌悪しようが、男女(雌雄)の交わりなしに人間の肉体という自然はドラマも輝きも悲劇も喜劇も生じない。 何故に病気はあるのか、何故、老衰という現象があるのか、何故に恋や愛欲はあるのか。そうした一切を抜きに、ロボット(ロボットという綺麗な透明な身体)の構築を図っても、小生には半端なものにしかなりえないと思うのである。 独我論はたとえ成立すると当人が思っていても、現実がその独我論者の微睡(まどろみ)を破る。岩の上に座って悟りを開こうと思っても、その岩が崩れたら、あるいはその修行者が下痢で悩まされたら、悟りどころではないのである。 仮に結論を出しておくとするなら、独我論は成立する、従って客観的世界は存在しない、となるだろう。論理からは決して客観的世界は出てこない。独我論の螺旋世界からは脱出不可能なのである。従って客観的世界は見出せない。 但し、その独我論を夢想する肉体は空しく滅びるだろうという、ただそれだけの現実があるだけである。 (01/05/06) ▲ by at923ky | 2004-12-07 22:28
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