川瀬巴水 旅情詩人と呼ばれた版画絵師 没後50年展

[本稿は、「川瀬巴水 旅情詩人と呼ばれた版画絵師 没後50年展」から、当該記事部分のみを抜粋したものです。但し、画像へのコメントを新たに付したり、画像を幾つか追加しました。]

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→ 「川瀬巴水(かわせはすい) 旅情詩人と呼ばれた版画絵師 ―没後50年―」展のポスター。小生、展覧会を見終えて郷土博物館の窓口で、本展の図録を購入。その際、昨年、同じくこの博物館で催された高橋松亭展の図録がないかと尋ねた。実は年初に来た際にも訊いているが、売り切れだって言われているのだが。やはり、ダメだった。でも、この川瀬巴水展のポスターがないのかって、訊いたら、あるって! ダメもとでも確かめてみるもんだね。ちょっと嬉しかった。(但し、このポスター画像は、「あるYoginiの日常 「川瀬巴水 没後50年」展 大田区立郷土博物館」から。)

「furiae」…ベルグクヴィストの周辺(前篇)」の前書きでも書いたけれど、過日、「川瀬巴水(かわせはすい) 旅情詩人と呼ばれた版画絵師 ―没後50年―」なる展覧会に行ってきた。




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← 「川瀬巴水(かわせはすい) 旅情詩人と呼ばれた版画絵師 ―没後50年―」展のポスター裏面。(画像は、「magrittianの道程川瀬巴水 旅情詩人と呼ばれた版画絵師 ―没後50年」より。このブログには、「制作過程を追うことの出来る作品をご紹介」ということで、『渡邊版 「墅火止平林寺」 木版畫順序摺』の製作過程画像が載っている。必見!) 

 場所は「大田区立郷土博物館」である。
 なんと、入場料が無料! 川瀬巴水のあの版画(実物!)を無料で観ることができたのだ。
 ちなみに、今日、12月2日(日曜日)が最終日である!
多くの世界初公開を含む約300点の作品・資料が展示されます」というのだ、見逃しては勿体無い!


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→ 川瀬巴水『品川』 (画像は、「渡邊木版美術画舗」より) 東京に住んで三年目、1981年の四月より94年の三月まで、小生は港区海岸にある倉庫会社内にある会社で働き始めた。会社へは田町駅を経由して芝浦地区を通っていくか、品川駅(港南口)から港南地区を通って海岸地区に向かう。品川という知名はあれこれの思い出を呼び起す懐かしいものなのである。

 川瀬巴水については、既に昨年の秋、高橋松亭(「見逃せし美女の背中の愛おしき」)に引き続く形で「回顧的その心性の謎床し」なる拙稿で大よそのことを書いている。

 また、小生の紹介では心もとないし、つまらないという方には、既に紹介しているが、「川瀬巴水(かわせはすい) 旅情詩人と呼ばれた版画絵師 ―没後50年―」や、さらには下記がいいだろう:
美の巨人たち 川瀬巴水『深版画』


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← 川瀬巴水『鳴沢の富士』 (画像は、「渡邊木版美術画舗」より)82年4月より、数年ぶり、東京でライダー生活を始めた。その数年後、房総や三浦半島、伊豆半島などへのツーリングに飽いた小生、富士山の河口湖や山中湖へのツーリングに凝るようになった。何度、厚木道路そのほかを通って富士五湖方面へ往復したことだろう。角度は多少、違うだろうけど、オートバイを駆りながら、次第にその雄姿を大きくさせる富士やその背景の空を雲を眺めたものだった。

 ここでは「大田区でのくらしと作品の制作」なる項に注目しておきたい。
 なんたって、小生の居住している区なのである:
 巴水は、大正15(1926)年大森新井宿子母沢(現大田区中央四丁目12番付近)に、昭和5(1930)年馬込町平張975番地(現大田区南馬込三丁目17番)に転居し、大田区で生活と版画制作活動を展開するようになります。また、この頃から、関東大震災後に誕生した渡邊版画店以外の新興版元の依頼を受けて多くの作品を出版するようになりますが、これは、巴水が人気と実力を兼ね備えた定評のある絵師であったことを証明しています。戦中は塩原に疎開しましたが、戦後は23年から池上町1127番地(現大田区上池台二丁目33番)に居住し、32(1957)年、ここで没しました。このように、巴水は、その生涯の大半を現大田区内で過ごし、旅行から帰ると写生した風景を版下絵に描き上げました。そのような経緯から、身近であった区内の風景を描いた作品も数多く遺しています。
 「馬込生活もさほど豊かではなかった、家を抵当に金をかりることなど苦しみもあったが一番面白い時代でもあった」と巴水が述懐するように、大田区の地は、その画業における世界的な評価と人気を支え、多くの作品を生み出す拠点となりました。


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→ 川瀬巴水『東海道 日坂』 (画像は、「渡邊木版美術画舗」より)

 ちなみに、「東京の馬込から山王にかけての一帯(現在:大田区南馬込、中央、山王)に多くの文士、芸術家が住んでいて、互いの家を行き来し交流を深めてい」た。よって、「馬込文士村」と呼称されるようになる:
馬込文士村へようこそ - 東京大田区山王、馬込一帯に暮らした文士・芸術家の住居跡を訪ねてみませんか
 ここでは、この話題は採り上げない。せめて、どういう人物たちがいるか、名前だけ列挙しておく:
石坂洋次郎、稲垣足穂、今井達夫、宇野千代、尾崎士郎 、片山広子、川瀬巴水、川端茅舎、川端康成、川端龍子、北原白秋、衣巻省三、倉田百三、小島政二郎、小林古径、榊山潤、佐多稲子、佐藤朝山、佐藤惣之助、子母沢寛、城左門、添田さつき、高見順、竹村俊郎、萩原朔太郎、日夏耿之介、広津柳浪、広津和郎、藤浦洸、真野紀太郎、 牧野信一、真船豊、間宮茂輔、三島由紀夫、三好達治、室生犀星、室伏高信、村岡花子、山本周五郎、山本有三、吉田甲子太郎、吉屋信子、和辻哲郎


 悲しいかな、小生は地元の端っこに辛うじて居住していながら、まだ、ほとんど探索していない:
馬込文士村…あれこれと思い秘めての散歩かな
カラスの森?!

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← 川瀬巴水『熊本城宇土櫓』 (画像は、「渡邊木版美術画舗」より)


 が、ある意味、肝心の木版画を摺る版木の工程については、全く、触れていない。
 上掲の展覧会では、その工程をつぶさに実物(末尾で掲げる作品『野火止 平林寺』)で以て眺めることが出来た。
 


 具体的な詳しい工程の説明に付いて、「川瀬巴水(かわせはすい) 旅情詩人と呼ばれた版画絵師 ―没後50年―」の下記の項を見るのがいいだろう:
「中綱之雨之夕(長野県)」の版下絵と色差




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→ 川瀬巴水『野火止 平林寺』 (画像は、「渡邊木版美術画舗」より) 上掲の展覧会では、その工程をつぶさに実物(まさにこの作品)で以て眺めることが出来た。ちなみに、先述したように、「magrittianの道程川瀬巴水 旅情詩人と呼ばれた版画絵師 ―没後50年」なるブログでは、「制作過程を追うことの出来る作品をご紹介」ということで、『渡邊版 「墅火止平林寺」 木版畫順序摺』の製作過程画像が載っている!




「中綱之雨之夕(長野県)」の版下絵と色差」なる項の末尾に下記の一文がある:

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← 川瀬巴水『馬込の月』 (画像は、「渡邊木版美術画舗」より) 小生には馬込は地元と言っていい
ような土地。ほんの数十年前はこんな風景だったとは、いろんな文章や資料を通じて知ってはいるし、頭の中では分かってはいるのだが、やはり、こうして見事な画で見せられると、感懐も一入(ひとしお)である。

以下に掲載する画像は、「中綱之雨之夕(長野県)」の版下絵「雨之夕暮(長野県中ツナ湖畔之村)」(版画制作に当たり題名が変更されています)と色差(全部で17枚あります)です。色差は版木に貼られ、彫る時に無くなってしまうので、このように残っていることは珍しいことと言えます。版画を作ることが決まり色差までしたのですが、この作品の版画化は見送られてしまったのです。

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→ 川瀬巴水展の展示室の模様。会場を独り占め状態。贅沢の極み!

 こうした幻の版画の版下絵や色差を見ることが叶うのも、今回の展覧会の特色のようだ。

 なお、川瀬巴水作品は下記でたっぷり見ることができる:
hanga gallery Kawase Hasui


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← 川瀬巴水「麻布二の橋の午後」「土井コレクション「川瀬巴水」展 (confidential memorandum of ogawama)」で発見した。営業の必要があってのことだが、この「麻布二の橋」を車で年に何十回、いや、何百回と渡ったものである。通算したら、千回は軽く超えているはず。信号待ちの際などに、この川(高速道路の直下となって日陰の川となっていて、当時とはまるで光景は変わっているのだろうが)の、どこか寂しげな川面を救いを求めるかのようにぼんやり眺め入ったものだった。こんな画が描かれていたことそのことが嬉しい。
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by at923ky | 2007-12-04 14:19 | 日記・雑事


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