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山口二郎「公共放送と政治」(上)(メルマガより転載)

[以下は、小生が登録しているメルマガ「PUBLICITY」(パブリシティー) 」からの転載である。関心のある部分をそのまま転記する。但し、改行など些少の編集を施した箇所はある。当該メルマガの冒頭に「転送・転載自由」とあるのでなせるわざである。
 本稿を転載するのは、NHKを典型とする放送のタカ派への偏向を危惧しているからである。テレビでもラジオでも、NHKのみならず民放でも、小泉政権になってから特に顕著なのだが、タカ派に都合のいい言論人や政治家の出演・登用が目立つ。
 逆に言うと、都合の悪い言論人は干される傾向が強まっているということだ。
  イラクへのアメリカの一方的な言い掛かりと攻撃でのNHKのニュース報道は、まさに大本営発表の再現のように感じられた。アメリカ側の発表が、コメントを付されたり、異なる立場からの意見も併せて伝えられることもなしに、まるで真実のように垂れ流しされていた。
 NHKよ、ここまで来てしまったのかと、慨嘆したものだった。今は、もはや、これまでかと情なく感じている。この度の事件で、一層、NHKは与党タカ派に阿(おもね)るようになるのだろうか。
 小生の勘違い、杞憂に過ぎないのなら、それはそれでいいのだけど。
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「PUBLICITY」(パブリシティー) 編集人:竹山 徹朗
E-mail:freespeech21@yahoo.co.jp
blog:http://takeyama.jugem.cc/

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        ◆◇今号の目次◇◆

【投稿紹介】
▼山口二郎「公共放送と政治」(上)

【@編集室】
▼「朝鮮人になれる?」とキョンジャは言った(国見注記:この記事は略させてもらった。すみません)

        ◆◇     ◇◆

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【投稿紹介】

▼NHKの番組改編問題について、北海道大学の山口二郎さんから1月末に、以下のメールをいただいた。若干編集して紹介する。

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 竹山さん

 いつも面白く拝見しています。先日は拙稿をご紹介くださりありがとうございました。

 現下の焦眉の問題であるNHKへの政治介入について、私も重大な関心を持っています。私自身、90年代はいろいろな番組でNHKに協力してきました。

 しかし、2000年頃を境に急に「はずされた」という感じで、最近はまったくNHKの仕事はしなくなりました。特に、ある時期までラジオ第1放送で年に2,3回連続コラムのような番組を作っていたのですが、その番組の変化にNHKの変質を感じます。

 以前は、浅田彰、香山リカなどと一緒に時事的な問題を語る自由な番組を作っていました。浅田さんなど、高橋哲哉を呼んできて、昭和天皇の戦争責任を自由に論じたくらいです。

 総合テレビは真っ先に統制されましたが、ラジオと教育テレビにはそうした自由な空気が残っていたわけです。

 しかし、ラジオの準レギュラー陣も入れ替えが進み、「諸君」、「正論」によく登場する人が出てくるとともに、我々は退きました。

 海老沢体制の長期化の中で、管理が隅々にまで浸透したのでしょう。教育テレビの質を保っていたETV2000もなくなってしまいました。今のNHKは単なる政府広報局です。そのニュースは見るに耐えません。

「論座」の求めに応じて、「NHKと政治」について一文を書きました。まだ発売されていないので取扱注意ですが、竹山さんには是非読んででもらいたいと思い、送ります。

 今後ますますの健闘を祈っています。
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 いやぁ、洛陽の紙価があがるってぇもんよ。感謝です! 特に「論座」論文にはない、90年代以降の実際の体験に臨場感があり、これは貴重な証言である。

▼本誌読者には、『戦後政治の崩壊』(岩波新書)を読んで登録しました、という方がおそらく数十人単位でいるのだが、登録してみたものの、「チャタレイ夫人の恋人だとかチンスケしゃんだとかマン姫しゃんだとか、宮沢りえが素晴らしいだとか、全く政治問題に関係ない話ばかりじゃないか、不謹慎な!」と怒って登録解除した人が必ずいるに違いない。

 何より、登録した人に「山口二郎は、こんな軟派なメルマガをすすめやがって!」と思わせてたら申し訳ないなあ、でも、取り上げるテーマのすべては繋がっているのだが……と思い悩む
こともあったが、名誉挽回である。ふっふっふ。

▼この問題は、NHK寄りのマスメディアと朝日寄りのマスメディアとのケンカばかりが目立っており(NHK寄りの方が優勢)、また、問題の本質が海老沢前会長“個人”の責任問題と化し、肝心要の「表現の自由」が問われない、非常に“公正中立を欠いた”、歪んだ事態になっている。

 今回の報道の「公正中立」ぶりは――もしくは、ニッポンのマスメディアが常に唱えている「公正中立」の欺瞞ぶりは、東京地裁が週刊文春に出版禁止仮処分を出した時(去年の3月)の、マスメディアの論調を思い出せば明らかだ。あの時は一斉に反発したくせに、今回は論点をずらして平気なんだから、ちゃんちゃらおかしいゼ。

▼山口さんの論文は、「公共性とは何か」を明らかにすることによってNHKの存在意義そのものを根っこから問い返す、今までありそうでなかなかなかった内容である。要するに、「NHKは公共放送ではない」という真実を明かすわけだ。
 長文なので、2回に分ける。

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公共放送と政治

 番組への圧力があったかどうかをめぐって、NHKと政治の関係が問われている。小論では、公共性とステレオタイプという二つの問題を通して、今のNHKの抱えている問題について考えてみたい。

 NHKは民間放送と自らを区別し、公共放送を名乗ることによって受信料の徴収を正当化している。

 しかし、NHKが使う「公共(Public)」という言葉こそ、民主政治と密接不可分な公共性という観念が日本に定着していないことを物語る典型例である。

 確かに営利事業ではなく、国民一人一人の醵金によって運営するということは、公共性の一要素である。しかし、それだけで公共を名乗れるわけではない。

 公共とはすべての人に開かれたという意味であり、公開の場で議論する、誰でもそこにアクセスできるという意味を含んでいる。逆に、私的(Private)という言葉は閉ざされたという意味である。たとえば公立の美術館でも「Private」という立て札があれば関係者以外立ち入り禁止の空間であるし、民間の施設でもデパートや私鉄の駅は公共の空間である。

 従来日本では、政府が国民の税金によって仕事を行えばこれをすべて公共と呼んできたのであり、その中身や質の公共性を吟味することはなかった。

 だから、裏金作りや年金積立金の私物化を行ってきた警察や社会保険庁が公共の名に値するかどうかという議論もつい最近まで行われなかった。一連の不祥事は、NHKもこのような古き、悪しき意味における公共放送であることを明らかにした。

 国民の醵金によって運営する以上、NHKに対する何らかの民主的な統制は不可欠である。

 予算の国会承認という制度は、国会が国民に代わってNHKを統制するという趣旨で作られたものである。その意味で、国会による統制こそ、NHKの公共性を担保する重要な柱である。

 しかし、政治家はあらゆるものを権力闘争の手段にする宿命を負う以上、さらにメディアの報道が人々の政治意識に大きな影響を与える以上、NHKに対する統制も国民代表としての観点からではなく、自らの党派的な利益を図る干渉に堕する危険性を常にはらんでいる。

 したがって、公共性を確保するためには、国会(議員)によるNHKに対する監督の過程も厳しく吟味されなければならない。即ち、先に述べたとおり、誰に対しても開かれた場で、誰に対
しても説明可能な手続きや過程を通して統制が行われなければならない。さもなければ、民主的統制は国会において多数を占める特定党派による権力行使の隠れ蓑に堕してしまうのである。

 NHKの公共性を考えるときに、番組に対して自民党の政治家が具体的に何を語ったかは重要ではない。NHKと与党政治家の日常的な接触の仕方自体が、既にNHKが本来の公共性から完全に背理していることを示している。

 幹部がなぜ自民党タカ派の政治家のもとに通い、個別の事務所等(これはプライベートな空間)で予算に関する「ご説明」を繰り返すのか。

 予算の説明なら国会の逓信委員会ですればよい。

 国会議員の側で疑問があるのならば、同じく委員会の場で何時間でも質疑討論をすればよい。それだけの話である。

 国会による予算の審査が民主的な統制であるためには、議員とNHKとの接触は徹頭徹尾国会という公共的な空間で行い、その記録も国民に公開されなければならない。それが「皆様のNHK」というスローガンの本来持つべき意味である。

 閉ざされた空間で当事者同士が話をするという行為は、他人に聞かれるとまずいことを話していると推定されてもやむをえない。これが公共機関における倫理である。

 この機会にNHKには政治家に対する「ご説明」の全体像を明らかにしてほしい。

 予算や経営方針に関する国会への説明はNHKの重要な公務であり、公務に関しては国民に対する説明責任を負うはずである。いくつかの役所の不祥事が示すとおり、重要な問題をプライベートな空間で決めることは公共財産を私物化することにつながる。

 NHKの場合も、一部の幹部と政治家が密室で馴れ合うことによって、報道を私物化しているのである。

 県議会議員と県庁職員との接触をすべて記録に残し、情報公開の対象とした片山善博鳥取県知事の英断に倣い、この際NHKも政治家との接触をすべて記録に残し、国民に公表する制度を作るよう勧めたい。

 特定の政治家に対するご説明によって国会の審査を潜り抜けようとしたNHKの行為は、受信料を払っている一般視聴者に対する背信である。小ざかしい国会対策に血道をあげることによって、NHKは公共放送たることを自ら放棄している。

 繰り返す。国民の醵金によって運営されることは公共放送と同義ではない。開かれた姿勢こそ公共放送の本質である。

(この項続く)

[以上、転載終わり]
by at923ky | 2005-02-06 09:59 | コラムエッセイ


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