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melma!blogサービス終了!

無精庵徒然草」は、事情があってこの「ココログ」と「melma!blog」にてアップしてきた。
melma!blogサービス終了!_c0008789_1863815.jpg 事情というのは、ブログを始めた頃、そもそもブログなるものが分からず、とりあえず取っ付きやすそうな「melma!blog」にて試験的に配信し、使い勝手などを確かめてみたのである。

← 真ん中付近の街灯の灯の直下に注目。明け方の月なのです!

 約二週間ほど運用してみて、なるほどHPと比べて一長一短はあるものの、文章や画像などをアップするという意味では小生にはとても楽で助かることが分かった。
 文章をアップする。小生はメルマガを02年の3月初めより(HPに遅れること一ヶ月ほどのこと)配信してきた。メルマガにて公表した文章は、随時、HPに掲載してきたが、どうにもアップ作業が追い着かず、数百個の文章がメルマガ配信による公表に留まり、HPには掲載できずにきた。
 それらの文章をHPにも収めたいと、それなりに努めてはきたが、溜まる一方という状況は一層、募っていくばかり。
(尚、申し訳なくも情なくも、肝心のメルマガは配信が頓挫したまま。やはり、今のところ、「無精庵徒然草」で手一杯なのである。アップを待つ書評エッセイ群をブログサイトに載せ終えた段階で、再度、態勢の見直しを図るつもりなのだが、今のところ不透明である。)
 そこへ、一昨年だったろうか、小生もブログという簡易な日記公表サイト方式があることを知った。半年余り、幾つかのブログの運用振りを眺めてきた。これなら自分にもなんとか出来るかもと感じられてきた。
 けれど、何事も腰の重い小生、ズルズルと昨年の夏を迎えてしまった。サンバに夢中になったりして、メルマガではなくHPに最初から掲載するレポート、そしてなんといってもサンバダンサーやバテリア陣らの画像を載せる機会も増えるばかり。
 とうとう、晩生の小生、昨夏、ついにブログに挑戦することに決めたのである。
 が、小生のこと、まずは簡単そうに見えた、また、たまたまメルマガの配信にも使わせてもらっていた「「melma!」の公式サイトを眺めていて、よし、やっちゃおう! と思い立ったのである。 
 それが、「melma!blog」なのだった。
 ついで、上記したように「melma!blog」での二週間の運用を経て、「ココログ」での運用に踏み切ったのである。
 このため、二つのサイトで全く同じ内容のブログ「無精庵徒然草」を運用する結果となったのである。
 それぞれに一長一短がある。「melma!blog」には下記するように、日付どころか、アップした時間までが記録される。アクセスも多かった!
 御蔭様で、ブログに手を染め始めたことで、溜まっていた雑文もブログサイトへのアップ作業も捗り、アップを待つのは書評エッセイを中心に残すところあと30個ほど(但し、メルマガで配信した文章のうちコラムエッセイを中心の約100個ほどの雑文は日の目を見る予定はない)。

 ところで、先ほど、たまたま「melma!blog」の公式サイトを覗いてみたら、なんと以下のような案内が:

melma!blog会員の皆様へ

「melma!blog」は2005年11月末日をもってサービスを終了することとなりました。
これまでご愛顧くださった皆様には、大変ご迷惑をおかけすることとなります。
詳細は下記よりご確認くださいませ。


 小生には全くの寝耳に水の話。
 これは困った。拙い!
 何が拙いかというと、アップした時間はともかく、上記したように「melma!blog」で先行する形で二週間、ブログを運用してきた。その間の文章は、当然ながらがこの「ココログ」での「無精庵徒然草」には載っていない。
 小生は、過去に書いた文章は、ネットの世界に参集した当初の一年分ほどを除いては、一切、保存していない。紙への印刷もしていない。全て、メルマガのサーバーかHPか(今はブログサイト)のサーバーに残っている(のを期待する)だけ。
 よって、ここに、「melma!blog」にて先行して掲載した雑文類をここに再掲しておく。
 但し、アップに際し画像は省きました。
                                   (05/11/05記)




無精庵の部屋開店!(August 30, 2004 20:35)

 皆さん、はじめまして、やいっちです。
「melma!blog」なるものの性格をまだ分かっていないのですが、もう、見切り発車で無精庵の部屋を開設し、開店させます。
 とりあえず、挨拶だけ。
 みなさん、宜しくね!

September 4, 2004 00:00」はメールマガジンの再掲。


くもの巣あれこれ(September 5, 2004 15:38)

「我が家の小動物」を開いてびっくり。いきなり、クモ。実は、つい先日、あるサイトの掲示板でクモが話題になっていた。小生、また、バカなことを書いていたっけ。

「 クモの巣……、前はあったのに、昨年から見当たらなくなった。クモさん、何処へ消えたんだろう。あっしは、クモの巣に一切、触れていなかったのに。クモの巣がありがたいのは、部屋の埃も溜めてくれること。
 もしかして、埃が溜まりすぎてクモの巣が重さに耐え切れず壊れてしまった…。クモさんも、部屋の汚さに呆れてしまったんだろうか。だとしたら、根性のないクモさんだ。ね、●×△さん、そう思うでしょ。」
 などと。で、お詫びのしるしに、
「綿埃 集めて固めりゃ 蒲団綿」なんて、句を作った。
 
『我が友は蜘蛛!』なんてエッセイもある。


汗駄句川柳だ!(September 7, 2004 10:47)

 月曜日も仕事が暇だったので、川柳を幾つか作った。順不同で羅列しちゃう。駄句攻撃だ!

(夜半に、数日ぶりの半月を見て)
 半月や 満月ほどは 詠われず
 九月雨(September Rain) 夏を癒して 静かなリ 
 雨の朝 路面に映える 傘の花
 ATM 預金なくても カネ出して(おねがい)
 月影を 掻き削っての 流れ星
 越中の 褌(ふんどし)締めて 男伊達
 ベランダで 紫煙燻らす 蛍族
(月影って、歩いても歩いても付いて来るんだね)
 月影や 悲しみまでが 付いて来る
 ぐい呑みの 二つ並んで 影一つ
 三日月は 心を抉る 匕首か
 月の舟 星の林を 一人旅(柿本人麻呂の有名な歌……)
(日曜日の夜、シトシト降る雨の中、レポートを書いていた)
 静けさや トタン屋根打つ 雨の音
 ヌーブラを 五枚重ねて 銀ブラだ
 茜空 今昔つなぐ 時の道
 星屑を 拾い集めて 銀の雨
 星屑を けんけん跳んで 月の裏


September 8, 2004 01:00」はメールマガジンの再掲。


昨年の馬橋の子供ポルタ(September 9, 2004 23:40)


 子供ポルタの写真です。可愛い!

 いずみさんのサイトでの即興です:

 やれトンボ 空を舞い飛び 秋を呼べ
 トンボさん トンボを切って 宙返り
(つがいの)トンボさん みんなの前で 羨ましいー
 赤トンボ 茜の空に 負けず舞う
 いずみさん 呼べど叫べど 声もナシ
 停電中 今ぞとばかりに サボるかな
(そのうちに、ひょっこり現れるかも)
 いずみさん 泰山鳴動  女一人?

 昨日の営業も暇で暇で、一時間以上も走ってお客さんを見つけられないと、疲れてしまう…。

 いろはにほへど ちりやらぬ 屁の香かな
 こぶりでも 口にふふめば ほら一杯
(昨夜半過ぎ、高い空に見た月は半月…)
 半月や 半分けちって どうするの
(「越中の 褌締めて 男伊達」への返し句)
 越中の 褌(ふんどし)緩めて 男立て!
(この頃、地震が多くて不安だ)
 泰山が 鳴動したら 大事だ
(「好きなのと ひといろの文字 なぞる指」に寄せて)
 白魚の なぞる指先 ゆかしかり
(台風でナシやリンゴがかなり落ちたとか)
 むざんやな 秋の果殺いで 吹く風よ
 風に揺れ のたうつ木立 乱れ髪
 木の葉こそ 片雲の風に 乗るならん
 雨に濡れ 波打つ木々は 洗い髪




映像の時代(September 10, 2004 02:22)

 そう、とっくの昔に映像の時代に入っている。せっせと文章を書き綴っても、一枚の写真に到底、敵わない。サンバのレポートを書いても、読む人は、まずいない。でも、そこに写真が掲載されると、その写真に目が行く。
 で、ついでに、少しは文章も読んでもらえる……なんてことには、まず、ならない。
 読むことは、ネットだと(紙の文章以上に)結構、しんどかったりする。ネットでは短い、それこそ、簡潔なコメント程度の文章が、読む限度なのかなと感じる。
 少しは読書もし、文章を書くのが好きな小生でも、そんな感じ方がある。下手すると、小生が川柳に凝り始めたのも、文章を綴ったり、練ったり、それなりの考察を加えるのがしんどくなっているからではないか、という憶測も生まれないではない。
 が、しかし、思えば、サンバに魅せられたのは、何故なのか。きっと、自分なりの現実が枯渇しているからではないのか。じっくり何事かに取り組む執念のようなものが薄らいでいるからではないのか。
 ストリートでの汗と熱気の迸る現実。その一方での、机(パソコン)に張り付いたような日々。そのギャップの大きいこと。
 映像(映画やテレビ)や音声(音楽)。その圧倒的な存在感と現実感。それに伍するには太刀打ちなど思いも寄らない文章。それでも、天邪鬼の小生はこれからも、何事かを綴っていくのだろう。別に言葉が至上だと思っているわけじゃない。でも、これだという一言、言の葉を探したいという思いがある。
 もしかしたら、決して逆説でもなんでもなく、人間は言葉に尽きるのではないかという思いがある。映像も音声も感触も全て動物だって、分かち持っている。共感する心だって、動物(や植物)は持っていないとは限らない。唯一、人間が動物と違うのは、言葉だけなのではなかろうか。言葉とは、受肉された現実そのものなのだと思ったりするのは、やっぱり変わり者の思うことなのだろうか。
by at923ky | 2005-11-05 13:13 | 日記・雑事


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