昨日のラジオでアメリカ合衆国大統領ジョージ・ワシントンの桜の木の逸話が話題に上っていた。
その逸話というのは、「アメリカ合衆国の初代大統領、ジョージ・ワシントン(1732~1799)は少年時代、父親が大事にしていた桜の木を斧で切ってしまったのですが、正直に「僕がやりました」と告白。逆にその正直さに父親も「お前の正直な答えは千本の桜の木より値打ちがある」とほめたというあのお話」である。 素直な小生は、ガキの頃、こんな話を多分、小学校の授業の中で聞いて、「そうか、正直って大切なんだ、でも、自分にはできないな」と、こっそり思っていた。 この話にはいろいろ考えさせるところがある。 そもそも正直に話したからといって、みんながみんな出世できるとは限らない。父親によっては、お前はなんて碌でもない奴だと罵倒された挙げ句、宮本武蔵ではないが、それこそ桜の木にぶら下げられる、なんていう罰を食らうかもしれない。 あるいは、馬鹿だな、そんなこと黙っていればいいんだと大人の<知恵>を授けられるかもしれない。秘密を保てない人間は偉くはなれないよ、と諭されるかもしれない。 穿った見方をすると、ワシントン少年は父親の性格を見抜いていて、正直に告白したら褒めてくれる父親だと分かって告白したのかもしれない。 それに正直といっても、勇気を持って告白したのかもしれないし、ただただ黙っていることに耐え切れずに、打ち明けることで不安や孤独を紛らわしたい一心だったのかもしれない。小生が犯した過ちを打ち明けるとしたら、気の小さい人間で一人では秘密を保ちきれないからだったかもしれない。 いずれにしろ、正直者というのは、為政者の立場からすると、国民としての大切な資質なのだということは痛いほど分かる(もし、小生が人を管理する立場の人間だったら、みんな、どんな隠し事もしちゃいけないよ、と言うだろうな。あるいは隠しカメラだって設置するかも)。だからといって、為政者が正直とは限らないのが皮肉というか、悲しいが。 この有名な逸話を聞いた時、現下の英米によるイラク攻撃のことを連想した。 イラクが大量破壊兵器を開発するためにアフリカのある国から大量のウラニウムを買ったという偽情報が英米からまことしやかに流され、この情報の故にアメリカ議会では民主党も沈黙を守る結果になったし、必要な時にブッシュ大統領がイラク侵攻を決断することを認めさせることにもなった。 が、この情報はIAEAによって呆気なく否定された。この偽情報(偽造の証拠)の源は、イギリスの諜報機関「MI6」だった可能性があると指摘されてもいる。真相が如何なるものにしろ、既にアメリカのイラク政権を倒すという方針を左右するには遅すぎた。 [田中宇氏「諜報戦争の闇」参照 ] 湾岸戦争の時もそうだった。クウェートの女性がアメリカの議会でイラク兵により赤ん坊が残虐な目に遭っていると証言し、その劇的な証言が開戦を決議する契機になったことは有名だ。テレビでもさんざん証言の様子が放映されたものだ。 さらに、その証言が実はCM会社による作り話だったことを暴露されたことも、今では多くの方が知っている。 確かに、アメリカは言論の自由の国で、秘密があったとしても、いつかは露見する国なのかもしれない。 が、その秘密の暴露は全てが終わった後のことだ。 つまり、イラクへの開戦が決まり、イラクをクウェートから撤退させ、大量破壊兵器の廃棄などを約束させた後、つまりは、アメリカの議会での証言の詐欺紛いの性格の暴露も、後の祭りというわけである。 ワシントンが正直に告白したとしても、桜の木を切り倒した後のことである。後でいくら正直に言ったとしても、やってしまったことは決して取り返しが付かない。殺人を犯した後で、轢き逃げをした後で、実はあれは私がやりましたと言っても、殺された人はこの世に帰らない。一度決まったことは元には戻らない。 さて、昨日のラジオでは、ワシントン大統領の子供の頃の逸話に関して、さらに先があった。 それは、かの有名な話は、実は真っ赤な嘘、作り事なのだというのである。かの逸話が本当はある人物による作り話なのだということを、聞いた瞬間、えっ、と思ったが、そういえば、以前、作り話と聞いたことがあったかなと思われてきた。 上掲のサイトから再度、引用する: 「……はこの習慣の由来となった桜の木のエピソードにも及びました。なんとこの話そのものが作り話だったという疑いがでてきたのです。この話はロック・ウィームズが書いた『逸話で綴るワシントンの生涯』という本の中で紹介されましたが、初版にはなく、1807年に出版された第5版から突然登場しているのです。どうもウィームズは売上を伸ばそうとして、それまであった逸話よりさらにオーバーなエピソードを「創作」してしまったようです」 まあ、ワシントンが正直者だという前提があるからこそ、この話に信憑性を持ったのだろう。ニクソンやクリントンだったら、誰も信じないかもしれない。 思うのは、アメリカの言論の自由であり、あるいは言論の怖さである。ロック・ウィームズ(Weems, Mason Locke 1759-1825)に類似した人間が自分の本をもっと売ろうとして、過激な話、実話でない話をでっち上げて、ある人物の印象を左右してしまう。ある人物を立派な人間に仕立て上げようとして、思いっきり脚色された人物像をテレビで新聞でネットで、あるいは本の形で、キャンペーンの形で世間に印象付ける。高潔で決断力と勇気のある大統領ブッシュ…。正義の味方。十字軍。 我々の多くは、ブッシュ大統領の実像を知らないように、フセイン大統領の実像も知らない。フセイン大統領は(ブッシュ大統領よりは)教養があり、子ども好きで、女性の登用を含めて開放的な政策を採っていたのかもしれないし、あるいは英米が喧伝しているように、冷酷な独裁者で残虐な人間なのかもしれない。 しかし、シーア派、スンニー派、クルド民族らの入り組む国家で冷酷な決断力がなければ国家が国家として持つのかどうか。だとしたら、非難する種なら無数に見つかりそうである。 フセイン大統領の実像も、ブッシュ大統領の人間性も、このたびの戦いの評価も後世になって初めて定まるものなのかもしれない。 その時になって、あの頃のアメリカは一部の狂気の集団が舵取りをした、アメリカが思い上がった不幸な時代だったと分かるのかもしれない。 その全ては先の話だ。分かったところで、犠牲になった軍人も民間人もジャーナリストも帰ってこない。アメリカ軍は解放軍ではなく、ただの侵略者であり、実はやっぱり石油の利権とイスラエルとイラクという超親米の枢軸を作りたかっただけなのだと分かったところで、誰も責任をとるはずもない。 すべては、物語、映像、印象、偏見、無関心、憎悪の渦巻く闇の彼方なのだ。 (03/04/11)
by at923ky
| 2005-10-28 13:00
| コラムエッセイ
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