葡萄とワインの間に

 過日、【10月の季題(季語)一例】に「葡萄」という季語が見出されたので、表題(テーマ)として採り上げるつもりで書き出したのはいいが、「万葉の恋は孤悲とも鳥渡る」なる句が目に飛び込んできたばっかりに、話が大きく逸れてしまった。
 そう、この句の中の、「恋」が「孤悲」と万葉集の中では表記されていることを知り、その辺りのことを調べてみたくなってしまったのだ。
 
 今日こそは、「葡萄」に焦点を合わせていくつもりである。
 さて、ネット検索して分かることは、敢えて季語としての葡萄について説明しているサイトは少ないということ。何ゆえ、葡萄が秋の季語なのか。葡萄狩りという季語乃至はそういった行楽が秋ともなると行われる。
 それは今のわれわれにも慣れ親しんだ光景であり話題の種である、ということか。
 その意味で、「葡萄」が秋の季語だと、今更ながらに説明するのも野暮なのかもしれない。




 無論、葡萄についての背景などは、あれこれ説明してくれるサイトは多い。
 ネット検索していて、いきなり、「ぶどうについて」というサイトをヒットしてしまって、ショックだったりする。
 もう、このサイトを覗いてくれたら、小生如きに何を付け加えることがあろう。
 どうも、このサイトに限らないのだが、ホームページへのリンクボタンがないのが困る。
 探ってみると、HPではないが、幹に当たる頁は、「磯キリンのガーデニング道楽」という頁のようだ。

 さて、「ぶどうについて」を覗かせてもらうと、まず、冒頭の一文が興味深い。つまり、「おそらく人類が最初に食べた果物の一つとされ、また、「猿酒」という言葉 があるように、摘んだ果実をそのまんまにしておくだけでお酒ができることから 、最も原始的な酒として、人類が初めて口にしたアルコール飲料は、ぶどう酒に ほぼ間違えないと言われている」というのだ。
 実際、本文の中にもあるが、「旧約聖書に出てくる植物名では、ぶどうはオリーブを抜いて、群を抜いて多 く、ぶどう酒に関しても、新旧の酒と革袋の例えや、赤ワインをキリストの血と 見なして信仰の証(あかし)を立てる聖餐式(せいさんしき)など、イエスの時 代にはすでにぶどうやぶどう酒が人々の生活に密接な関わりを持っていたことが 伺われる」という。

聖書と木材」なるサイトによると、「やはり一番多いのは「ぶどう」でした。数えた方法はぶどうという単語を数えたので当然「ぶどう酒」が入ってきます。ぶどうの木ということでは52箇所になってしまいます。しかし樹木の中では一番出てくる箇所が多いことは間違いありません」という。

「ぶどうVitis viniferaは、西アジアまたはコーカサス地方が原産 の植物で、有史以前から利用されており、また、最も古くから栽培されていた植 物と見られていて、エジプトではすでに4千年以上前に栽培が始まっていたという」が、それが聖書の影響もあり、欧米などでは、格別な果実として広まったわけである。

「ブドウ属は、北半球の温帯地方を中心に全部で65種ほど知られており、日 本にもヤマブドウ・エビヅル・ギョウジャノミズなどの野生種がいくつか分布している」というが、日本において葡萄の栽培が奨励された経緯が面白い。
 つまり、「日本では従来から、酒と言えば米で作るものであった。言うまでもなく米は 日本人の主食であり、しかもただでさえその絶対量が不足していた。それを嗜好 品である酒の醸造に割いてしまうことに抵抗を感じた明治政府は、比較的寒いと ころ、痩せ地、砂利や砂が多くて水田耕作に向かないところでもぶどうの木なら よく育つことから、これを導入してぶどう酒を作らせ、少しでも多くの米が食用 に回されるように図ったが、フィロキセラの侵入や、また栽培技術が未熟だった こともあり、山梨県などの一部を除き、ほとんどがとん挫してしまった」とか。
 そういえば、幕末か明治の初期だったか忘れたが、欧米の人がワインを飲んでいるところを見て、日本の人々は血を飲んでいると誤解した、というエピソードを聞いたことがある(典拠を見出せていない)。

 小生は見逃したが(予告編だけ見た)、つい先月、「プロジェクトX~挑戦者たち~」という番組で、「第178回 9月13日放送 「北のワイン 故郷再生への大勝負」 ~十勝・池田町~」が放映されたばかりである。なかなかの苦闘のドラマがあったようである。

 しかし、やはり葡萄というと、欧米は歴史からみても関わりが古く長い。聖書の記述に焦点を絞っても、なかなか一筋縄ではいかない含蓄ある世界がある。
 聖書によると、最後の晩餐の場面には、パンとぶどう酒とが登場する。
ぶどう酒の奥義」という頁などを見ても、葡萄や葡萄酒(ワイン)への思い入れはただならぬものがあると知れる。
 
 葡萄。果汁も濃密なコクのあるもので、ひところ、赤ぶどう酒のポリフェノールが脚光を浴びたことがあった。

 文学だと、スタインベックの「怒りのぶどう」が有名だ。小生は高校時代に読んだきり。ストーリーなどすっかり忘れてしまった。
 中身より、本格的な文学作品を読了したという喜びのほうが大きかったような。情けないことである。

 小生はピーター・フォークが演じた「コロンボ刑事」シリーズが好きだった。中でも、「別れのワイン」は幾度見ても味わい深かった。

 小生は、酒が飲めない体質。ビールもコップに一杯飲むと、もうギブアップである。
 が、このドラマを見て、俺もウイスキーや日本酒はともかく、ワインだけは飲めるようになりたいと思い立ち、近くの酒屋で銘柄も何も分からないのに、知ったかぶりで値段だけで選び、夜、いそいそとワインを開けようとした…のだが、無知な小生、ワインオープナーも準備しているはずもなく、コルクの栓を抜くのにやたらと苦労した。
 予想されるように、コルクの栓はなんとか抜けたけれど、コルクの破片というか残骸がワインの中に零れていったりした。
 それでも、ワイングラス(同じ店で買った!)にワインを注ぎ、グラスをゆっくり回してワインがグラスの壁面に揺れ、ワイン色をグラス越しに透かして眺め、気分も出して、さて、やおら飲んだ…のだけれど、まあ、葡萄っぽい酒だと思っただけで、その日は一杯飲んだだけでお開き。
 翌日の夜、飲んだかどうか覚えていない。
 何日か経って、大半のワインが残っているボトルを台所の片隅に見出して、なんとなく恨めしいような思いに駆られ、さらにしばらくして、後ろめたい思いをしつつ、こっそり(誰も見ているはずもないのだけれど、でも、自分にさえ見られないようにして)、ワインを台所の流しに流し去ったのだった。
(同じような経験を日本酒でもしている。やはり、恐らく一回だけ飲んだだけで、一月ほどしてから流しさってしまった。小生、発作的に、自分も酒を飲めるようになりたいと思い立つ癖があったようなのである。いずれも学生時代のことだが…。) 
 今となれば、懐かしい思い出であり、愛しくなるような自分の児戯であった!
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by at923ky | 2005-10-23 01:41 | 季語随筆


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