「季題【季語】紹介 【10月の季題(季語)一例】」を眺めていて、気になりつつも、漢字が読めないばかりに、つい目を背けてしまう季語がある。
それが今日の表題に選んだ「朱欒」である。 「朱鷺」に似ているようでもあるが、違うことは小生も分かる。(ちなみに、「朱鷺」は「しゅろ」と読み、鳥トキの異名である。ちなみついでに書けば、小生が帰郷の際などに東京から上越新幹線を使う新幹線の愛称が「トキ」なので、敢えて漢字で表記すれば、「朱鷺」となるのかもしれない)。 さて、もったいぶるのはよそう。小生だって今、調べてみて分かったのだし。「朱欒」は「ざぼん」と読む。 そう、果物の「ざぼん」である。別名は、「文旦 (ぶんたん)」である。 「季節の花 300」の「文旦 (ぶんたん)」なる頁を覗いて画像をまず見てみる。 ↑20日夕刻、家の直近の駅近くにて。月影は分かるとして、その右斜め上に小さく星影が…。 その上で、説明を読むと、「東南アジアのマレーシア原産」であり、「17世紀頃、中国の船が難破して鹿児島県に漂着したが、その船に乗せていた文旦が国内で広まった。 名前はそのときの船の船長の名前、謝文旦さんの名をとって命名された」とある。 「みかん類では最大の実をつける」とか。 さすがに果物にも疎い小生だが、「ザボン」と聞くと、現物が思い浮かぶ。しばしばというわけではないが、時折は食卓で見たりしたことはある。 ポルトガル語の「zamboa」が「朱欒(ざぼん)」として表記されたのだろうか。 時折は食卓で見たことはあっても、そもそも果物は一切、店では買わない小生、田舎とか人様の家でならば見ることはあるが、今となっては我が家の食卓に上るはずもなく、「朱欒(ざぼん)」に纏わるような思い出などはありえようはずがない。 ネット検索してみると、北原白秋の主催する詩雑誌の名前が「朱欒(ザンボア)」だったことを知った。北原白秋ファンや詩に造詣の深い人には今更の知識に過ぎないのだろう。 この詩雑誌「朱欒(ザンボア)」によって世に出た作家がいる。室生犀星である。 彼の「小景異情」がこの雑誌に掲載される。実は、「朱欒(ザンボア)」を読んでいた、当時は無名の詩人がいた。萩原朔太郎である。 「ほら貝:作家事典 萩原朔太郎」によると、「1913年、北原白秋の主宰する「朱欒」に掲載された室生犀星の「小景異情」に衝撃を受」けたとある。 つまり、「明治の新体詩運動以来、口語体の詩が試みられてきたが、流麗な韻文でなければならないという無意識の縛りがあった。「小景異情」はこの先入観を打ち砕いた作品で、萩原は自らも韻律にこだわらない口語体の詩を堰を切ったように作りはじめる。室生犀星と文通をはじめ、翌年、山村暮鳥をくわえて人魚詩社を設立。室生は生涯の友となる」というわけである。 一方、室生犀星はというと、「室生犀星の『黒髪の書』を読む」によると、それまでにも経緯(いきさつ)はあったのだが、。「スバル」「朱欒(ザムボオ)」などに作品を発表し、注目された。大正3年(1914年 25歳)、無一文で萩原朔太郎を訪ねる。犀星の詩才に感激していた朔太郎は、犀星を歓待し、その後二人の仲は生涯続くこととなる」という次第なのである。 室生犀星(むろうさいせい)の世界に親しんだ人なら知っていることなのだろうが、彼は不遇な生まれだった。上掲のサイトによると、「父親は加賀藩から俸禄を受ける身の小畠吉種という男で、母親は一人住まいの吉種に仕えていた女性と推測されている。犀星出生時、吉種はすでに68歳になっていて、世間体をはばかってか生後1週間の犀星を寺に捨てた。寺の住職の内妻、赤井ハツが犀星の養母となる」という。 同じく上掲のサイトの、表題ともなっている「室生犀星の『黒髪の書』を読む」は是非、一読はしてほしい一文である。 この室生犀星も、馬込文士村の一人である。小生はこの馬込の近くに居住していることもあり、折あらば「馬込文士村」に関連する取材などを地元で行いたいという考えがあるが、いつになったら実現することやら。 ネット検索していたら、「朱欒の花のさく頃 杉田久女」なる随筆が見つかった。今は賞味している場合じゃないが、短いこともあり、覗いてみるのもいいかも。 この随筆については、「○蝶追うて春山深く迷ひけり ・杉田…」の中での鑑賞が興味深いかも。 さて、季語随筆の場だということを思い出して、軌道修正と行こう。 「ikkubak 日刊:この一句 最近のバックナンバー 2002年11月14日」を覗くと、「這ひ這ひのおもはぬ速さ朱欒(ざぼん)まで 正木ゆう子」なる句が見出される。 「ほんとうに思わぬ速さだ、這い這いは。気づくと意外なところまで這い這いしている。この句は「朱欒まで」がいい。朱欒はきっと赤ちゃんに似ているのであり、朱欒を転がして赤ちゃんは満足している」という坪内稔典の鑑賞がいい。 さらにネット検索を続けると、次のような字余りの句に行き当たった。 つまり、「朱欒割くや歓喜の如き色と香と 石田波郷」である。ここでは石田波郷のこの句の字余りが効果的に使われ、「文を読みづらくし、読み手への印象を強めることが出来る」事例だと書いてある。 ここまで来ると素人にはどう受け止めたらいいのか、惑うばかりである。まあ、「七五調の表現」の勉強にはなるかもしれないのだけれど。
by at923ky
| 2005-10-21 02:07
| 随想
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