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秋扇

 季語表を眺めていたら、「秋扇」という(小生には)不思議な季語のあることに気づく。
 読みは、「あきあふぎ」、あるいは「あきおうぎ」。
 何も今日になって、いきなり気づいたわけではない。なんとなく、分かりやすそうであり、それでいてとっつきにくい感もあったりして、採り上げるのを先延ばしにしていた。
 早速、ネット検索。
水中散歩」さんサイトの「秋扇」なる頁に、「夏が去るころ。不要となってくるものがあります。それが、扇子。
扇で風を送る必要もなくなってくる時期を、「秋扇」と表現するのですが」といった一文を見出した。
 さらに「谺(2005・09)」の、「小林康治『虚実』の世界Ⅰ……山本一歩」を覗かせてもらう。
「秋扇故なく老いてしまひけり」という句が示され、そこに鑑賞が施されている。


秋扇_c0008789_1134435.jpg
→星の待受画面HP


 つい、勝手に転記したくなる:

「秋扇」の淋しさは「老」の淋しさであった。別に何か理由があって秋扇になった訳ではない。季節が移り変われば自然に扇は秋扇になる。人間もまたその通り。人間が老いるについて理由などないのだ。毎日毎日を必死に生きようと、だらだら過ごそうとみな平等に老いる。そしてその結果が今この句を詠んでいる小林康治なのであった。


 なるほど、段々とイメージが形を成してきた…ような。



浅草大百科 浅草の情報サイト」の「出版物 - 季刊誌 2004年秋号」には、「秋の味」と題された粋な小文が載っている。
 全文を転記したいが、そうもいかないだろうから、是非、ご一読を。以下、一部だけ転記させてもらう:

「食」からは離れるが、最後に江戸っ子ならではの秋の粋な言葉を一つ紹介しよう。「扇」というと夏の季語だが、「秋扇」となると俄然色っぽくなる。夏の間は大切にされたのに今では脇に置き忘れられ手にとってもらえない「秋扇」、男女の仲ってのは、、、。扇子の置き忘れにはご用心!!


shu's top page」の「weekly comment 秋扇」を覗かせてもらう。
 ここには、漢詩の読み下し文「秋の扇」が載っている。ちゃんと、小生のようなものにも読め、且つ意味が分かるようにと、分かりやすい内容説明まで用意されている。

「新しい斉国産の白絹を裂くと、それは雪や霜のように真っ白。それを裁ち切って、合わせ張りの円扇を作ったら、満月みたいにまんまる。この扇はいつもわが君の懐や袖に出入りして、動かすたびに微風をおこした。けれども心に掛かるのは、秋の季節がおとずれて涼風が暑さを奪い去れば、我が身は「秋の扇」として箱に投げ込まれ、君のおなさけも中途で絶えてしまうのではないかとい」った内容の漢詩なのだとか。
(改行などは小生が勝手に変更しています。尚、この「秋の扇」乃至は「秋扇」が、ここにおいて季語として使われているかは、定かではない。あるいは、この漢詩が「秋扇」の由来なのだろうか。小生は、全く分からないでいる…。)

 さすがにここまでくれば、「秋扇」という季語のニュアンスも定まってこようというもの。

 「秋扇」、ついこの間までは、なくてはならないものとして使われていた、傍に置かれていたものが、季節がめぐり、必要がなくなると、部屋の片隅に、それとも訪れていた人の足も途切れがちとなった部屋に、一人(一つ)ポツンと置いてある(居る)。
 御用済み。
 それでも、「秋扇」なら保存さえしっかりしていたら、デザインが斬新だったり希少価値があったりすれば、来年、夏(その時期)が到来すれば使われる見込みがないわけじゃないが、飽きられたり捨てられたり嫌われた人の下には、その人は来ない。
 秋扇の風情は、事の終わったその余韻が時に艶かしく漂っているかもしれないとはいえ、寂しさ、哀れさの感が強いのは否めない。

 さて、現代において「秋扇」に相当するのは何だろう。やはり、扇子か団扇ということになるのか。あるいは扇風機?
 コンセントも外されっ放しになる時間が増えている。秋ともなると、涼しいどころか寒さが一気にやってくるようでもある。
 秋の日は釣瓶落とし、ともいうけれど、夏が去り、秋風が吹いて、秋の日になるのが戸惑ってしまうほどに早い、という意味じゃないかと邪推したくなるような。
 ま、それでも、秋扇の風情を愛でる人が居る間は、夏の余韻がそこはかとなく漂っているということなのか。
by at923ky | 2005-09-16 10:34 | 季語随筆


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