教師という因果な職業…ソープ事件に絡んで

 先週だったか小さく、それこそワイドショーネタ風に採り上げられた話題があった。
 北海道のススキノ辺りへ修学旅行に行った高校生のある一団が、ソープランドへ行こうとした。その際、先生がソープとの交渉にあたり、生徒を割り振ったというのである。
 性急に聞くと、先生が率先して生徒をソープに送り出したかのようだが、話は後がある。
 どうしてもソープに行くという数人の生徒に対し、料金などをぼったくられないように、ソープの様子を確かめて生徒を割り振り、先生は近くの喫茶店に待機していたという。
 このことが発覚して、先生は解雇処分になったと聞いている。
 なるほど、結果として生徒をソープに送り出す恰好にはなっているわけで、制止し切れなかった憾みは残るわけで、処分もやむをえないのかもしれない。
 が、何か釈然としないものが残る。生徒を押し留めることの出来なかった先生を責める。穏当な常識からしたら、そうした方向へ話を向けていくしかないのだろう。
 まさか生徒を責めるわけにいかないし。先生の代わりはいるが、大事な生徒の代わりはいないというわけである。
 生徒には何か教育的配慮はしたのだろうか。
 あるいは、生徒の親に訓導はしたのだろうか。
 臭いものにフタというが、一人の気弱な、あるいは生徒へのやや常識を欠いた先生を排除することで、一切はメデタシ、メデタシなのだろうか。 
 もし、自分が先生の立場だったと、ふと、思ってしまう。
 その生徒たちの日頃の振る舞いや性格などにもよるが、生徒がどうしてもソープに行くと言ったら、自分には制止する自信はない。
 第一に生徒に、高校生数人に凄まれたら、相手になれるものではない。また、仮に敢えてその場は制止できても、学校に帰ってからどんな仕打ちをされるか分かったものではない。
 が、その前に、そもそもソープや風俗というものは、厳然としてあり、多くの父兄も、学校の先生も、僧侶だって、キャリア官僚だって、おじいちゃま方だって、回春を求めてせっせと通っているではないか。何故、では生徒には行ってはいけないのか、その説明の根拠を示すのが難しい。
 年齢? 明治の世は15歳で元服していたではないか。女の子は13か14で結婚するか、婚約していたではないか。それこそ15にもならない女の子を妾として可愛がっていたではないか。
 また、今の世は、中学生か、早い子では小学生の高学年になると、好奇心を抑えられない子は、早々とセックスをしているという。
 積極的にするのは、半数の子供のようだ。つまり、遣る子はドンドンやるし、遣らない子は、相当の年齢にならないと、遣らない(あるいは、ずっと、遣らない)。
 事件の顛末は新聞やテレビを見ても、詳細は分からない。
 そもそも、事件に関わった生徒たちの親たちは、その先生を解雇に追いやった責任を少しも感じないのだろうか。
 せめて、本来はその先生に対し、詫びの一言もあってもよかったのではないだろうか。
 どうしてもソープに行きたいという気持ち(衝動、好奇心)は小生も分かる。
 だとしたら、先生に気づかれない形で行くという選択肢もあっていいはずではないか。高校生なら先生に迷惑をかける恐れがあると、分かっていい年齢になっているのではないか。昔の高校生なら、行くとしても内緒で行くくらいの配慮(せこさ、狡さetc.)があったものだが。
 ともかく、今の時代は、先生は厄介な職業だと思う。建前は聖職だが、現実は相当に風俗の面も含めて低きに流れている中で、先生だけが流れに掉さす責任を負わなければならないとは。



                          (01/10/08)
[PR]
by at923ky | 2005-01-04 23:45 | コラムエッセイ


<< 統合失調症だって 「茶の湯とキリスト教のミサ」に寄せて >>