ある日の夢:パスカルの原理とグローバリゼーション(01/11/05)
ある日、夢を見た。 世界の中を、それとも世界そのものがその何ものかの現れとして、吹きすさぶ盲目的な意志が蠢いている、そんな夢を見たのだった。 パスカルの原理(下記注参照)なんて、いつ習ったのか、それさえも覚えていない。学校(教科書)でだったか、それとも、何かの啓蒙的な科学書で知ったのか、それも定かではない。 ただ、妙に小生には印象的な原理として記憶に残っている。 ちなみに手元の事典(NIPPONICA2001)で字義を調べてみると、以下のようである(但し、専門的なことは省略してある)。 「密閉した容器の中で静止している流体の各部分の圧力は、考える面の選び方によらず一定であるという原理。1653年フランスのB・パスカルが提唱した」「一部分の圧力を増すと、どの方向にも圧力は上昇するので、他の部分の圧力も同じだけ増すことになる」 「水はそれを入れる容器の形に従って自由に形を変えるが、袋に入れた水を押し縮めようとすると、その圧力で抵抗し、どの方向から押しても圧力は等しい」 ちなみに個体では、この原理は成立しないという。 さて、自分の中で何故、この原理が印象的だったのか、昔のこととて、今はもう説明のしようがない。ただ、この我々が生きている世界が密閉された容器に収まっているのだとして、その容器内にいる者たちには、この原理がある種の象徴的な形で通用するのかな、と、夢想した記憶だけはある。 その密閉された空間が、例えば家族だったり、あるいは学校だったり、地域社会だったり、さらにはもっと大きく、県とか国のレベルにまで、思考上では広げられるわけだ。 ある家族の誰か、それがご主人であれば、その人にリストラの苦難が押し寄せたら、そのしわ寄せは大なり小なり、家族全員が被る。無論、パスカルの原理のように、誰彼に均等に圧力が掛かってくるとは、直ちにはいえないだろう。 けれど、瞬間的には誰にも均等に圧力が圧し掛からないとしても、多少の(一定の)時間を経過して見るなら、その圧力を被った結果の姿が様々であれ、やはり圧力の面だけを見ると、均等になっていくのかもしれない。 家族という多少なりとも緊密な集団の場合は、一般論として、妥当するとして、これが地域社会とか、学校とか、何かのクラブ内とか、などにおいてはどうだろうか。 昔、使われた用語を使うと、共同社会という、何らかの仲間意識のある閉鎖された社会(世界)の中では、相当程度にパスカルの原理が成り立つのではなかろうか。仲間内では喧嘩したり競争したり、あるいはいじめがあったとしても、しかし、外部から何かの攻撃や異論や介入などがあれば、大概は一致協力して対抗することが多いようである。 少し飛躍するが、国レベルでも、当然、国内的には多様な利益集団などの利害が錯綜しているし、有形・無形の集団が、入り組んで競合し共存し共生している。 けれど、何か違う国から攻撃を受ければ、内に矛盾を抱えていても、そんなものは棚上げにされて、とにかく国家の危機に対処するのが最優先課題となる。 だから、愚かな指導者などは、国内に対処し切れない課題を抱えて行き詰まると、外敵を殊更に作って、緊張状態を演出し、強権を握り、国内の不満層を押さえつけようとするわけである。 ところで、20世紀の半ば頃からか、世界は狭くなったといわれるようになった。交通手段の発達が、この世界は狭いという意識を醸成する上で、まず、大きかったのだが、更には、情報伝達手段の目覚しい発達が大きく影響している。 それが20世紀末には、インターネットの登場があり、この世界は窮屈に感じられてならないという意識を極端に高め始めたように小生は感じる。 90年代に入ってインターネットの普及が先進国を中心に見られたが、同時に並行するようにして経済・金融を中心にしてグローバルスタンダードが喧伝されるようにもなった。 両者が平行しているのかどうかは、即断を許さないが、相当程度に相互利用・相互干渉しつつ、世界に強烈に圧力を押しかけてきたことは、結果から見る限り、否定しようがないと思う。 世界が密閉されているのかどうか、それが家族であっても、学校であっても、ある抽象的な密閉状況はあるにしても、また、それがその集団の中にいる人間にはかなり強烈な息苦しさとして感じられるとしても、しかし、いずれは家族から子どもなら育っていく可能性はあるし、学校からは卒業する日が来るわけだし、何かの集団からは軋轢はあっても抜け出す可能性は、全く閉ざされているわけではない。 が、世界となると。 日本が嫌だから、違う国へ移住することは、可能である。それこそ、何処か安全な国を求めて、生活コストの安い国で戴いた退職金や年金で暮らすことを夢みることは可能である。 否、可能であったと言い直すべきか(自衛隊を派遣するに際し、戦闘行為の可能性のない安全な地域に送り出すというが、世界の何処にそんな安全な地域があるのか、教えてもらいたいものだ。みんな、こぞってそこへ移住するだろう、日本人だけじゃなく、アメリカ人だって、きっと)。 そう、今はもう、世界の何処も、離れ小島の状況を享受できる時代ではなくなったのだ。ハワイも、グァムも、沖縄も。 つまり、世界は今、密閉されたのである。あまりに急激なグローバリゼーションの圧力とインターネットの普及(これは無論、先進国内での普及が圧倒的である。が、だからこそ、ある種の圧力の塊となって世界を駆け巡るのだ)とが、今、巨大な圧力塊となって、世界を駆け巡っているのである。 その圧力は世界を均等にするまで(その均等の意味は今は、問わない)、世界を均して文化も経済も、宗教も、民族も、凡そ過去から引き摺ってきた文化や伝統の全てを徹底的に破戒して、種種雑多な要素を掻き混ぜて、グジャグジャな混沌状態を一度は現実化されるまでは、その勢いを押し留めることは不可能だろう。 そのとてつもない混沌状態の果てに、今世紀の半ばか末までに何らかの秩序が生まれるかどうかは、小生の想像力の及ぶところではない。 グローバリゼーションという前代未聞の均等化の圧力洪水は、国も民族も宗教も地域の伝統文化も、否、地域共同体そのものを破戒し去るのだろう。その圧力には家族では、抗しきれないのだろう。離婚や不倫の増大は、目に見えない、けれど、均等化の趨勢の圧力の結果の一つなのだと推測する。 つまり、凡そ、集団というものが破裂か破綻の窮地に瀕しているわけである。当面は、様々な集団が、現状以上に結束を固めるだろう。内部の波乱を許さないだろう。が、それは風船が内部の圧力でパンパンに膨らんでいるようなもので、破裂への秒読みが始まった(破裂の予感が現実化し始めた)ということの如実な現れなのだと推測される。 今、凄まじい均等化の圧力は、一切の集団を遅かれ早かれ押し潰す、そのまさに直前にある。その圧力に抗するには、いつかはどのような集団も逆に邪魔なものとして、解消を余儀なくされる。つまり、無数のバラバラな個人のみの散在する、混沌の限りを尽くした世界の、そのトバクチに立っている。 粒子状となった個人が、全体として波のような形となって、世界を漂流するのだろう。いつの日かの混沌の果ての秩序を回復するまでは。 パスカルの原理から、とんでもない妄想に話が及んでしまった。さあて、もう寝よう…、あれ、目が覚めないよ。 [(注)「わがまま温泉日記」の「パスカルの罠(わな) ~源泉掛け流しの落とし穴~」では、「パスカルの原理」を温泉のお湯の循環問題と絡めて応用していて、読んで楽しい。 (05/06/19 アップ時追記)]
by at923ky
| 2005-06-19 03:44
| コラムエッセイ
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