「茶の湯とキリスト教のミサ」に寄せて

 Sさん、こんにちは。
 とても興味深く読ませてもらいました。
 日比屋了慶とルイス・デ・アルメイダとの逸話も、小生には初耳でした。
 早速、ネットで調べてみると、以下のようなサイトがありました(但し、「日比屋了珪」と記されている)。
 戦国時代、そして大航海時代の当時、日本もヨーロッパの国々の支配への触手が伸びたわけです。その先兵が例によって宣教師達だったわけですね。茶の湯に限らずキリスト教の影響は広範に渡って及んだもののようです。
 けれど、民度の高さに、簡単には支配の手が及ばないことを悟ったとも聞いています。下々の民衆であっても、渡来の文化に興味を示し、理解し、学習し、習得し、我が物としていく文化に脅威を覚えたのでしょうか。
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 利休も、彼自身は分からないけれど、彼の後妻や娘の中にはクリスチャンがいたようですし、利休が考案したと言われる茶杓に、十字架のモチーフを読み取る向きもあるようです。
[茶杓(ちゃしゃく)はあるサイトを参照 ]
 袱紗さばきや回し飲みの技法も、当時の宣教師等が行っていたものを真似たもののようですね。
 「千利休とその妻たち」の著者・三浦綾子氏が、ある時、利休の子孫と言われる千宗室氏を訪ねた際、利休の切腹の理由は如何にと問うたところ、宗室は即座に利休がクリスチャンだったからと答えたとか(エッセイの中で三浦氏が書いている逸話)。
 「茶の湯と十字架」の関係については、以下の本があるようです(小生は未読):
 『茶道と十字架 』(増淵宗一著、角川書店)

 何処かのサイトで読んだことで、茶の湯の道についても詳しくない小生が真偽の程を確かめ様がないのですが、茶室の出入り口(躙り口)が狭いのは、天国へいたる狭き門を象徴しているという説もあるようです(四畳半の茶室そのものは、村田珠光(1423~1502)の創案によるもの)。
[この項も含め、飛び石などの庭園の思想とキリスト教の関係は、茶室への躙り口や、利休が切腹を命じられたのはクリスチャンであったが故であると
いう逸話も含め、このサイトに詳しい。 ]
 その村田珠光は寺を追われた身だったようですね。
 でも、禅の教えを捨てられなかった。そんな時に京都で出会ったのが、能阿弥(1397~1471)や一休だったわけです。能阿弥からはお花の生け方を学び、和の文物への眼識をも学んで、後の侘び茶へ繋げていったのでしょう。
 だからこそ、茶の湯の世界には、自由な誰もが親しめる形での禅の教えが茶の香りのように漂っているのでしょう。
 大きな声では言えませんが、濃茶を喫することは、健康にいいだけでなく、座禅で長く坐っている際の、眠気覚ましに効果的だったとか。修行にも、いろいろ苦労があったんですね(小生は、この眠気覚ましに効果的という一点で、禅とお茶の関係に得心が行ったものでした。ああ、なんて下世話な理解だろう)。
 村田珠光が親しめる形に大成する以前のお茶(お茶の葉っぱの種)は、栄西禅師により中国(宋)から1191年に齎されたものであることはクイズの問題などで出題されることがあるように、よく知られていることです。但し、栄西のお茶は、いかにも禅の修業と教えの厳しさとから切り離すことの出来ない、厳かなお茶だったとか…。

 但し、歴史を遡ると、遣唐使により平安時代の頃には(ことによると奈良時代の頃には既に)齎されていたとか。貴族や僧侶の間では、その形は分からないけれど(中国の風習に学んでいたのでしょうけど)お茶は広まっていたようです。
 あるサイトによると、「日本のお茶の歴史は、平安時代に遣唐使の一行に加わって唐に渡った3人の僧、永忠、最澄、空海が、日本に喫茶の風習をもたらしたとする説が一般的」だとか。
 このサイトによると、「文献上では「日本後記」の815年の記事に、僧の永忠が自ら煎じて嵯峨天皇に献じたという記事があ」るということです(小生は未確認。でも嵯峨天皇とお茶の逸話は有名ですね)。
 さて、日本のお茶のルーツが中国にあることは間違いないのでしょう。飲茶の風習は数千年の歴史があるとか。お茶に毒消しの効果があるということは古くから知られていたようだし。
 ただし、当然のことながら仏教を含めて宗教との繋がりは必ずしも明確ではないようです。もともと中国にあった風習が、後に中国に伝わった仏教の世界にも無関係ではありえなかったということなのでしょう。
 日本へお茶の文化が古来より中国から直接、あるいは朝鮮を通じて入っていても不思議ではない。お茶と認識していたかどうかは別として、薬草とか漢方に類するものとして、日本でも有史以前から伝わっていたのではないだろうか。
 日本に渡来した中国人の先人が、そうした日常生活に不可欠の産物を齎さないとは考えられないからだ。それが継続する形で日本に土着したかどうかは分からないとしても。

「禅やキリスト教の儀式を形骸化させることによって、日常のなかに宗教的な境地を呼び入れた。茶の湯は信仰を持たぬ者にも宗教の喜びを味わわせてくれる」という指摘は、粗忽な小生も納得します。
 特に利休が大成したお茶は、キリスト教への態度が厳しくなる中、見かけの上での脱宗教(脱キリスト教)が絶対条件だった以上は、宗教臭さを極力排したものと推測されます。
 その結果が、我々に親しめるお茶の文化になった…としたら、皮肉な歴史を感じざるを得ません。
「教えはあるが、伝道はない。祈りはあるが、神はいない。」至言ですね。



                                    (02/11/15)
[本稿は、Sさんの「茶の湯とキリスト教のミサ」と題された一文に寄せたコメントです。]
 
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by at923ky | 2004-12-27 00:17


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